私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

よくやってるね

昨日の工場での話の後、

自分の勉強会を聞き直した。

 

最後の方で、

私の方から、

「私は全然聖霊に従ってないよ。。」と不信を口にした。

 

心と不一致な感じがしたが、

口から出た。

 

それをきっかけに、

のり子さんから

聖霊を信じようとしている自分自身のことも信じなければならない。

 

信頼するって大切だよ

 

と言われている。

 

これを聞いている時に感じていたことは、

 

分かってるよー!

 

聖霊を信じたいんだよ!

 

兄弟のことも信じたい!

 

それを自分の口から言わせてくれよ!

 

思ってるんだよ!

 

でも、最初に疑ったのは私の方だった。

自分自身を。

 

いえいえ、私はまだまだできないですから、、ということが邪魔だ、と。

それこそが傲慢なこと。

 

私は神の子ではありません、と言っている。

 

謙虚そうに見えるけれど、

確かに全然従えてないよ、と自分への不信を口にしたときの違和感を

はっきり覚えている。

 

本心ではないことを言ってしまった。

しまった、、と思った。

 

傲慢なのか。

 

 

昨日の工場で

兄弟に奇跡講座の話をすることがあった後に、

この話をもう一度聞く。

 

ダメダメだった。

情けなさと、悔しさを感じていた。

 

そして動画を聴きながら、

のり子さんに指摘されたことが恥ずかしいように感じていた。

 

知ったかぶりしたような、

分かっています。私。というところからの会話だったと明らかにされたように感じる。

 

なぜなら、

奇跡講座について語ることよりも、

聖霊がさせたかったのは

 

彼女の愛と助けを求める声を

私自身の愛と助けを求める声として受け入れることだったと

動画を見た後に気づき、

 

しかもそれを避けるために

とうとうと語ってしまったということが恥ずかしく、情けなく感じたから。

 

それを受け入れることを避けていて

嫌だと思っている。

 

だけど、

愛と助けを求める声、

神を求める声、

私の声なんだ。

 

それを受け入れたいし、

兄弟を信頼したい。

 

そうも思ってるんだよ。

 

そう思って

聞かせて欲しいと思ったんだ。

 

泣く。

 

それを

できたかできないか、で判断するのではなく、

そうしたい、と心から思っている自分を信頼したい。

 

応援したい。

 

よくやってるね。と。

 

聖霊

ありがとうございます。