私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

宅急便代というトリガー

宅急便代は最初、当然自分が出すものだと思っていた。

 

自分の家から発送したお皿にかかるものだから。

 

これは前の記事に書いたように、

みんなで割った方がいいと言われた時、

抵抗を感じた。

 

私が正しい、と言い張りたい。

 

それでも祈ると割った方がいいと感じた。

 

1週間くらい前の全体のミーティングで

宅急便代のことが話題に上がった時、ドキッとした。

 

それをきっかけに、

何か自分の中で不安定、不安、自信のなさが浮かび上がった。

 

兄弟から

料理班という聖霊からあてがわれたファンクションについて

どう感じているか聞きたいと言われた。

 

これ。

 

何も感じていなければ、

動揺することはありえない。

 

私の中でもはや宅急便代がどうの、ということではなく、

料理班、というファンクションに対する自分の姿勢が暴かれたと思った。

 

これを聞いた時の感情は、

怒りや悲しみ、

罪悪感。

 

ラファエルからのインタビューの時に感じたことと、

全く同じ感じ。

 

くそーー!

恥。

それ以上聞くな!

明るみに出さないでくれよ。

暴かれたくない。

 

聖霊への、

自分の確信のなさ。

自分が従いたいとか言っておきながら、

ぐらついて意志しない。

 

失敗して逃げおおせたのに、

それを明るみに出さないでくれ。というような。

 

強さは違っても、

全く同じ。

 

そしてこれは

私の中の

愛と助けを求める泣き叫びなんだ、ということを思い出した。

 

そうだ。

 

最初に、のり子さんという聖霊から料理班というファンクションをあてがわれた時、

真っ先に嫌だ。と抵抗が上がった。

 

そして、

嫌々やっているんだ、やりたくない。

そんな思いを見ながらもやってきたが、

 

果たして本当に、

私は真剣に、この抵抗や罪悪感を認め捧げることこそがファンクションで、

そのためにコラボレーションしてやっている、

 

そのように捉え、受け入れて

真摯にやってきただろうか??

 

本当にそうしてきただろうか??

 

振り返りたくもなかったことを、

振り返るきっかけになった。

 

いや、

私は本気じゃなかった。

 

確かに、のり子聖霊から言われて、

はい。と返事した。

 

私が、はい。と言った。

 

なんでもスイスイやるということではなく、

どんな抵抗やむかつきや、怒り爆発や

やりたくねえ、、という思いが現れても、

 

それこそ心で受け入れて認識して、

聖霊に捧げていくことがファンクションなのに、

 

そこから逃げ腰だったこと。

 

真剣じゃなかった。

 

 

ああ、、、。

 

そうだったな。

 

 

やってやってる。

 

そんな思いだった。

 

まだ人ごとにしている。

 

 

しかし、

聖霊のやりますか?という問いに

はい。と答えたのは自分だった。

 

自分だ。

 

 

この自宅の皿を三崎口に発送するのに

宅急便を利用したことを思い出した時、

 

以前UPした父と母が協力してくれて、

私に任せなさい。と

言われたことを思い出した。

 

ああ、

あの父と母は聖霊だった。

 

おかげさまで色々思い出させてもらったことも

ありがたかった。

 

 

何より自分が差し出そうとしていないことを。

 

 

させていただいてる。

 

 

そんな思い、全然なかった。

 

 

させていただいている。

 

 

本当に、なかった。

 

今もあるかと聞かれれば、

ない。

 

 

それでも

自分の傲慢さに、

恥に触れることで思い知らされ、

 

謙虚になることに導かれたことに、ありがたいと思った。

 

本当は、そうしたい。

 

今そう思えなくても、

向かう方向に気づかせてくれた。

 

これが私の泣き叫びなんだ、ということも。

 

もう一つ上がったのは、

兄弟の言うことで、

自分に自信をなくして、感じていることがコロコロ変わり、

筋が通らない自分が、本当に赦せない。

 

私、こう感じています!

と言った瞬間に、

兄弟からこう感じる、と違うことを言われると、

 

そうなのかな、、

どうだろう、、、と迷い出し、

ふらつき始める自分が、本当に憎い。

 

聖霊とずれてる自分がとにかく憎い。

嫌い。

いつもなんでこうなんだ、私は。

自分、赦せん。

自分、死ね。

悲しい。

情けない。

 

兄弟と関わっている間に、何度も何度も上がってくる。

 

これも

私の愛と助けを求める声なんだ。

 

罪悪感、や

無価値感、という言葉でカテゴリー分けしてまうと

それがリアルになってしまう。

 

分けないでくれよ。

 

そう思っている。

 

罪悪感とか無価値感、

 

それはみんな同じ、

私の泣き叫びなんだよ。。と

聖霊は慈愛の眼差しで言っているのを一瞬感じた。

 

嬉しかった。

 

 

はい。やりますと言いながら、

料理班というファンクションに、

つまり

今、聖霊に差し出すことから

自分を裏切っていたことに気づかせてもらった。

 

陽子ちゃんと祥子ちゃんがこれについて触れてくれて

ありがたいと思った。

 

ありがとう。

 

と、これは、

私の心の中でのことで気付いたこと。

 

 

で、

エスはどうして欲しいのだろう?

 

 

やっと、

ほっとする感覚が戻ってきて、

スペースを開けようと思えるようになった。

 

 

兄弟から攻撃されている、と言う正当化を止めることができるまで

時間がかかる。

 

いや、

時間をかけたいんだ。

 

逃げたいから。

 

 

もう一度、

聖霊に合わせていきたい。