私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうかあなたに打ち明けさせてください。

私自身

もうそろそろ、と見られている方。

 

とてもとても痩せていて、

骨と皮だけのような体。

 

腕が縮こまっていて、

肌は茶褐色。

 

お名前を呼ぶと、

わずかに瞼をピクッと動かされた。

 

私。

 

私自身であると教えられなければ、

私だって思おうとすら思えなかった。

 

家に帰り、思い浮かべると

その方と心で一つなのを感じて、

 

家族、と浮かんだ。

 

涙が出てくる。

 

ありがたいと感じるからかな?

なんで泣くのか分からない。

 

あなたが私に代わって見て欲しいです。

 

私自身として見たい。

 

私の最期の最期に、何を思う?、、

 

優しくされたい、

赦して欲しい。

 

そう思うな。。

 

だから

その方という私自身に

 

優しくありたい、

慈しみたい。

 

と思う。

 

私ができることは、何もないのだけれど。

 

 

風船バレー

何日か前、

みんなで風船バレーをやった時のことを打ち明けさせてください。

 

先輩の職員さんが声をかけて、

みんなで風船バレーをやりました。

 

椅子や車椅子に座って机を囲み、

職員がフォローしながら楽しんでいただきます。

 

先輩の職員は、

場を盛り上げて、みんなを喜ばせるのがとても上手です。

 

みんな

時を忘れて、我を忘れて、

夢中になっていて、とても楽しそう。

 

そんな輪の中にいさせてもらいながら、

私が感じていたことは、

 

罪悪感、孤独感、寂しい。

 

先輩は、

本当に一人一人のことをよく見ていて、分かっていて、

しっかりした声で、どう声をかけたらいいかよく分かっています。

 

どうやったら喜んでもらえるのか分かっていて、

いつもなら帰りたいと言い出す人も、

楽しんで夢中になってました。

 

風船バレーをしながら、

 

ああ、

私は、喜ばせてあげられない、

分かってあげられない。

 

だめだなあ、、と

敗北感と、罪悪感を感じていました。

 

家に帰ってからfacebookを見ると、

 

海岸で4、5匹の犬たちが、

ジャンプしながら風船バレーをしている動画が目に入りました。

 

その動画を見ていると

犬たちの楽しそうな感じ、幸せを感じが伝わってきます。

 

なのに、

私が認知症のおじいちゃんやおばあちゃん、

職員たちと一緒になってバレーしていた時、

 

感じていたのは、

孤独感や無価値感でした。

 

私一人だけが、

その場で幸せや楽しさを

 

純粋に感じられていなかったのかもしれない。

 

私は楽しませてあげられない、

喜ばせられない、

 

愛と平安を与えられる者のはずなのに、

できてるでしょ?私って言えない。

 

自分が気が進む時、利用できる時はいいけど、

それ以外は面倒。

 

素晴らしい介護者でありたい。

よく見られたい。

楽しませて、喜ばすことができるものでありたい。

できてるでしょ?私って言いたい。

それを証明したい。

 

ずっとそう思っています。

 

これは本当にうんこ以下の願望なのかもしれません。

 

みんなの方がよっぽど素直です。

 

普段、

文句ばかり言ってきて、

少し触れただけで怒り出す人が、

 

「うんちでちゃった」って正直に打ち明けてくれます。

 

躊躇せずに、素直に、助けを求めてきます。

 

どうやら私は

うんこ以下の願望にしがみついているようです。

 

その願望に気がついて、

やめていきたいです。

 

私には何も分からないし、

できていないのに、

 

わかろうとしたり、

できる人であろうとします。

 

いつも、いつも、いつも、それしかしてません。

 

でももう、

 

彼らを

本当の彼らが見えていない私に代わって、

どうしてもあなたに見ていただきたいんです。

 

彼らが教えてくれていることに、

素直に開いていて、受け取りたいです。

 

私の誤りに気づけるように

どうか助けてください。

 

みんなのことが、分からない。

何言っているのか分からない。

何してあげたらいいか分からない。

何を言って、してあげたら喜んでくれるのか分からない。

 

私が、うんこ以下の願望を握っているからだ、ということに

気づけない。

 

心のままに

この体を

手足をお使いください。

 

そう浮かんだので書きました。

 

いつものことだけど

また口先だけで終わると思います。

 

でも

私には何も分からないし、見えていないので、

そうするより他にないとも思っています。

 

ごめんなさい

新しいことを覚えないといけない。

 

間違えたらいけない。

 

迷惑かけたくない。

 

ビクビクして怖い。

 

自分のことばっかり考えてる。

 

全然、みんなのことにフォーカスしようとしていません。

 

帰ってからやっと、

ホッとしてみんなのことを振り返ると

 

何かに触れて涙が出てくる。

 

みんなのことを

全然分かってあげられなくて、ごめんなさい。

 

食事をスプーンで口に運んで、

食べていただくこと一つ、

 

その方がどうして目を閉じていて、

なかなか口を開けようしないのか、

 

私には分かりません。

 

その方のことを分かろうともせず、

見た目で判断し、

 

私の都合ばかり考えて、

ただ終わらせよう、やろうとしていました。

 

ごめんね。

 

何にも分かってない。

 

何もできていない。

 

申し訳ない。

 

何やってるんだろう。

 

怖いし、

罪悪感も感じている。

 

目を開いてないのは、

私の方だ。

 

よくやりたい。

 

できてると思われたい。

 

心を閉じてて、ごめんなさい。

 

それでも、

目の前の方を、私自身として見たいです。

 

 

 

恩返ししたいです

よろしくお願いしますと言うと、

 

その認知症の男性は、

 

深々と頭を下げて

 

合掌して

ありがとうーーーと言われました。

 

 
もう私にはなすすべがありません。

 

私には何もわかりません。

 

何もできません。

 

誰なのか分からない。

 

まったく分かってないのに

それなのに、関わらせていただける。

  

させていただいている恩返しをしたいです。

 

だから

私は正気になりたいです。

 

仕事はいいけど

何で食べるものだとか、いちいち何であなたに従わなきゃならないんだ!と

今でも思っています。

 

でも

 

あなたは私に何をお望みですか?

 

何をして欲しいですか?

 

それしか言うことができなくなってきました。

 

彼が私に正気になるようにと教えてくれていることに、

開いていたいです。

 

 

ロドリゴと同じでした

私はスピリチュアルな人で分かっています。

 

他の人たちと違って、私は特別なんです。

 

エス聖霊を知っている私は、特別なんです。

 

だから私がみんなに手本を見せてあげよう。

 

ここやこれ、あの人たちは

みんな私のためにこさえられたんだ。

 

神に感謝します。

 

私、のためにいてくれて。

 

私、のためにあってくれて。

 

このように思っていました。

 

だけど、

 

それのどこが悪いの!

私が間違ってる訳ない!

私が正しいに決まってるじゃないか!

 

そう信じていました。

 

エス聖霊、神という言葉や、

私はこれを知っている、

こう感じている私は優れている。

 

だから

それを語ることは恐れない。

 

そう思って何が悪い?

 

ある一言を言われた時から動揺し始めました。

 

私が何かもたらすものになれる、と信じていた状況や人から

手のひらを裏返したように

裏切られて、攻撃されたように感じ始めました。

 

利用できると思っていた人が

井上様や

ロドリゴを非難し、攻撃する日本人たちに見え始めました。

 

怒り、恐れ、罪悪感、私が間違っているはずがない。

悪いはずがない。

恥ずかしい。

そう感じ始めた時、

 

まさか

映画そのままに

私が本当にロドリゴと同じことをしていたなんて、

 

今までまったく気づきませんでした。

知りたくもなかった。

 

奇跡講座やイエス聖霊

宗教のようにして、

 

言葉を語り、

私はこうやってますと信仰を語って救えると信じていた

ロドリゴと同じでした。

 

働くところ、そこで働く人たち、与える相手という偶像。

 

私が与えられる聖人。

愛を持って与えられるもの、という偶像。

 

全部利用して、

私が望む、都合のいい偶像にしていました。

 

 

言葉や徴を利用して偶像にし、

信仰する私でいたかったです。

 

悔しい。

悔しいです。

 

全否定されたように感じます。

 

負けに感じます。

 

 

言葉や、

今までこうしてきましたとか、

私が宗教にしていた奇跡講座も手放し、

 

最後にロドリゴが平安を見出したように、

 

私も彼と同じ平安を望みます。

 

 

 

ナイチンゲール願望

困っていて

助けに行かなきゃいけない人が何十人もいて、

 

私は助けに行かなければならない。

 

そうしなければならない。

 

ナイチンゲールになりたい。

 

ヒーローになりたい。

 

恥ずかしい。

 

どんどん、その願望が大きくなっているような気がします。

 

でもどうにもならなくて

恐れと罪悪感を感じているから、

やらなくては、、、とも思ってます。

 

だけど、ふと声が聞こえた気がしました。

 

忘れないで。

救わなきゃならない人や

なんとかしなきゃいけない人がたくさんいるのではなく、

 

助けと治療が必要なのは、

私一人だけなんだということを。

 

そうだった。

 

目の前の人たちが誰なのか、私には分かりません。

 

目の前の人がむせて咳き込んで苦しんでいる時、

その人が苦しんでいるようにしか見えません。

 

枯れ木のような体が、

現実としか思えない。

 

平安ってどこにあるんですか?

 

私はどうしたら良いんですか?

 

やることはやっているように見えるけど、

私に一体何ができるんですか?

 

その人は今も光の中で笑ってるんですか?

 

私に真実を教えてくれているのですか?

 

私には分からない。

 

でも何か触れていて、

私はそれに触れていたい。

 

分かりたい。

 

平安を教えてください。

 

彼が癒し手です。

 

私は

彼に助けてもらう必要があります。

 

真実を教えて欲しい。

 

私が、見えないものが見えていて

信じてしまっているということを、

 

もっと、

私に、治療が必要なことを、

 

私は狂っているということを自覚させてください。

 

体じゃないけど、

相手を私自身として見たい。

 

体のケアをしているけれども、

体じゃないということを教えて欲しいです。

 

どうか本当のことを思い出させてください。