私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

工場で奇跡講座の話をする

今日職場で、

普段あまり会話しないのに、ある同僚が私に話をし始めた。

 

最初は

こんなこと職場で話せないんだけどね、と言って、

 

宇宙人やspiritualについて

興味があるような感じだった。

 

心のことに興味ある様子だった。

  

○○さんは怒っていると素直に表現していてずるいと思っている

ということだった。

 

なぜこの会話が始まったか分からないが、

 

聖霊と聞かせてもらおう、

そう思った。

 

彼女はその〇〇さんは、

自分自身の姿だと分かっているようだった。

 

すごいな。

自分自身だと認めてる。

 

そこから、

 

怒涛のように

私が話し始めてしまった。

 

はっきりと覚えていないけれども、、

自分が分かっていると思っている限りの

奇跡講座の内容。

 

工場で奇跡講座の話をするなんて、初めてだった。

 

神の子が分離を望んで、

それをやってみたいと突き進んで

罪悪感と恐れを感じてしまった。

 

〇〇さんが怒っていることに腹を立てているけれども、

 

その怒りは、

愛を失ってしまったと叫んでいる自分の泣き叫びなんだ。

 

そうだね。

怒っていることを認めたいね。

 

今幸せを感じていないことを。

 

愛されてないと信じていることを。

 

愛を感じていない、平安ではないのなら、

それは分離を望んでいるから。

 

この世界のものは必ず終わっちゃうよね。

 

この世界の愛と呼ばれるものも、

永遠ではない。

 

世界ってプロジェクターで映し出されている映像なんだ。

 

映像の〇〇さんのせいにしていたい。

 

今感じている愛ではない感情、

怒りもそうだけど、

 

神から離れていたいと思っていることが原因なんだ。

 

自分の心に原因があるから

それを遡っていく必要がある。

 

神の愛だけが本当なんだ。

 

私たちはそれを失ってしまったという夢を見ている。

 

この見ていると思っている世界も、

真実ではなくて、夢なんだ。

 

本当の幸せ、

平安に戻る為には、私たちは目覚めなければならないんだ。

 

私たちはspiritなんだ。

 

神の子なんだ。

 

それを思い出す為に

聖霊という助けが必要なんだ。

 

私たちが神の子だと思い出す為に、

自分の心を聖霊に導いてもらう必要がある。

 

本当の幸せの為に。

 

神とひとつであることを思い出す為に。

 

私はもう

この世界に平安も喜びも、愛もないと感じてる。

 

神の子だったと目覚めたい。

 

あなたと私ってバラバラじゃないんだって。

一つなんだ。

 

それを思い出したい。

 

その為に

聖霊という存在に導いてもらう必要があるんだ。

 

エスに奇跡講座というものを教えてもらって、

今仲間と共に導いてもらっているんだよ。

 

○○さんの中にも

聖霊はいて導いてくれているんだよ。

 

 

話した内容は前後するけど、、

そんな感じで話をずっと続けて、気づいたら休憩時間になっていた。

 

驚いたのは彼女が、

 

そういう話、興味ある。

と言って聞いてきたこと。

 

へーそうなんだ。

と言って、話の途中で何度か尋ねてきた。

 

私の方が少し驚いた。

 

私は思っていること100%隠さずに話した。

 

話している間、

 

解放されて広がっていく感じと、

話している私と聞いている彼女が一つのような感じがした。

 

彼女と一つだと見たかったし、

聖霊に委ねられていたか分からないけれど、

 

私自身に隠したりごまかすことはしたくなかった。

 

 

工場の中で

 

大きな声で、

神や聖霊、神の子という言葉で

普通に話した。

 

長々と話した後、

 

彼女から、

 

ありがとう。

色々聞けてよかったよ。と笑顔で言われた。

 

嬉しそうだった。

 

話の内容を理解できているかは分からなかったけれど

 

ありがたかった。

 

 

彼女は私なんだ。

 

セッション、という言葉が浮かんだ。

 

私が一方的に長々と話してしまって、

彼女の思いをもっと聞くべきだったな、、と思った。

 

いつもこれをやってしまう。。

 

ガイダンスかわからなかったし、

これで良かったか分からない。

 

 

だけど、

今こうして思い出していると

 

とても嬉しい、ありがたい。

 

ありがとう。という思いが湧いてくる。

 

幸せだな。

 

 

間違っているかもしれないけれども、

 

これを書くように聖霊に促された感じがして、

なぜか分からないけれども今書いている。

 

ありがたいと思う一方、

 

今振り返ると

全然、奇跡講座について正確に伝えられてないと思う。

 

 

これを晒すのが恥ずかしい。。

 

 

抵抗がある。

 

情けない。

 

罪悪感を感じる。

 

 

全然だめじゃん。。

 

聖霊の思う通りにできてなかったに違いない。

私がほとんど一方的に話してしまったから。

 

彼女の思いをまず受け入れるのが先だった。

 

後から後から、後悔が上がってくる。

 

奇跡講座について、私は何も分かってないんだな。

説明できない。

 

改めて思い知らされた。

 

今感じているダメダメさを

正直に認めて晒したい。

 

今思い出しているのは、

ラファエルからのインタビューの時に感じた感情。

 

真理について聞かれ、

リトリートの感想を聞かれているだけなのに、

 

恥、罪悪感、無価値感、死にたい思い、恥を晒してくれるな、という怒りが溢れた。

 

そういうものなんだ。

 

泣き叫びが噴出するものなんだ。

 

それを思い出させてもらっている。

 

 

それでも

関係なさそうな職場の工場という場所で、

 

神への思いや

今までやってきたことを素直に口に出せたということは、

ありがたかったし、幸せだった。

 

自分勝手かもしれないけれど。

 

 

もう一度

今、聖霊に尋ねたい。

 

聖霊

このような機会を与えていただいて

ありがとうございます。