私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

職場でなぜここにいるのか、私はどうしたいのかを全部打ち明けたら罪悪感が湧きました

 

私はキチジローとおんなじです。

 

罪を犯しました。

「すまんと思ってます。」

 

 

一昨日、

私が、

「いつも何してるの〜?気になるな」と同僚に聞かれた。

 

いつもごまかしてきたけど、

なぜか今日は、興味あるな、という感じだけど突っ込みが激しく、

そこから逃れられない感じがした。

 

毎回それを聞かれるたびに、

「いやちょっと、、」とか「手伝いを」とか、

「想像にお任せします」と言うように、後ろめたさと罪悪感を感じて、

完全に誤魔化してきた。

 

滝行してんの?とか漫画家?とか

色々妄想されていて、みんなで笑っていたけど。

 

その場にいた同僚に、

「正直に言うと変に思われると思っているし、みんなから理解されないと思っているから言いたくなかった。」

「きっと分からないし、変だよ。」

とまず打ち明けた。

それでも聞きたがるので、諦めた。

 

嫌だな。

 

これを言うと、

私が普段、優しくするふりして、憎しみや怒りにまみれてやっているのがバレる。

善人ヅラして演技してるとしか思われないだろう。

普段ファンクションしていることをどうやって説明したらいいんだろう?

ここにいられなくなるかも。

 

一番嫌なのは、ここが逃げ場でなくなってしまうこと。

公然と高らかに宣言してしまったら、逃げ場がなくなるじゃないか!!

 

しかし、

どこも私だ。誰もが私だ。

隠れたくない。隠したくない。

 

前の職場を辞める時も

私の人生の目的や、神に従っていきたいとか目覚めたいという思いを、偉い人に打ち明けたけど、

必ず罪悪感がわくのでやりたくない。

毎回、英雄気取りになってしまい、恥ずかしくなり、失敗したという思いで苛まれる。

 

しかし、

今日は彼女たちから逃れられそうもなかった。

 

それで、どんどん口から出してしまった。

 

聖霊にチューニング、しませんでした。

間違っていったかもしれない。

 

形のことだけ言おうとして、

本当は私は、何を望むのか?は後から出てきた。

 

形のことを言っても意味がない。

 

 

自分が誰だか思い出したい。

体じゃないって知りたい。

ここにいる高齢者が誰なのか知りたい。

死にゆく体に見えるけど、誰なのか知りたい。

光でスピリットだと知りたい。

みんな愛で一つだって思い出したい。

 

帰りたい!

帰りたいんだよ!

もう嫌なんだよ、この世界に生きてるなんて。

私はうんざりしてる。もういいって。

 

ここにいるのは、介護なんて苦手だけど、

憎しみや悲しみ、惨めさを感じるけど、

相手が誰なのか知りたいから。

これが私じゃないって聖霊に教えてもらいたいから。

教えてもらいたいから、従って、ここにいる。

 

本当は福祉だとか、全く場違いで、嫌いで避けたいし、

いつも憎しんでいて怒っていて、悲しいんだ。

 

いつも心では祈り、

合宿や勉強会では口に出していることを、

思わず口に出したら、止まらなくなった。

 

合宿は

神に従って、目覚めたいと願っている仲間と共に、

秘密にしてきた思いや感情を、表に出して癒されていくための場で、

そのために6日間休みをもらってます。

 

ここのみんなに迷惑かけてすみません。

でも私は全部を捧げたいから。人生を。

 

神とか聖霊とか、

もうそのまま言うしかなかった。

 

ちなみに、

毎月、6日ほど休みをとっても誰も何も責めてこないし、

 

むしろリーダーが、

今まで休みとりにくくしてごめんね、

前より取りやすくなったと思う、と引け目を感じながら言ってきた。

 

全部いうのはガイドじゃなかったと思う。

突っ走るのは悪い癖だと思う。

 

 

でも、これだけは構わん!と思っていた。

 

どこから誰にどう思われてもいい!

本当に、そうしたいと思っているのだから。

正直に、素直に。

それだけだ。

 

本当に、それだけだ。

私は神が創造したままの私である、これを思い出したい。

これだけだ。

 

私は洗い流され、癒されたい。

そして愛されている神の子だと思い出したい。

みんな愛だと思い出したい。

そのために6日間くらいの休みをとって、その場に毎回参加し、

そこで自分達で隠さず思いを話したり、吐き出したり、聞いたりしている様子を

自分達で撮り、配信している。掃除、準備、ミーティングしている。

神に従ってる。

 

そのまんまを話した。

 

隠すものか。

隠れてどうする。相手は自分自身だ。

 

自分に正直でありたい!

それだけだ。

何の損失があるのか?

相手は自分だ。

 

誰にどう思われても、間違っていても、

自分自身に正直であった。

それでいい。

 

話終わると同僚に、

そうなんだ〜、

「〇〇(ここのユニット名)に来てくれてありがとう」と言われた。

 

感謝されるとは思っていなかった。

 

いや、申し訳ないです、、、

という罪悪感が湧いてきた。

 

洗いざらい話した後、普通に仕事に戻る。

 

責められるんじゃないかという後ろめたさと罪悪感はあったけど、

もう、何を思われようと、避けられようと構わなかった。

 

しかし帰宅後、

猛烈に罪悪感が湧いてきた。

 

ああ言えばよかったとか、言いすぎたとか、

ロドリゴと同じで、

俺は正しい、お前は間違っている、こうしたい!と主張し続けてしまった。

またしても。。

 

ロドリゴだ。またやってしまった。

 

「来てくれてありがとう」

そう言われてありがたかったけど、やっぱり罪悪感と無価値感が湧いてきた。

 

 

言葉がそのまま出てきた。

 

 

「すまんと思ってます。」

こんな弱くて。

 

 

こんな醜い憎しみまみれな私が、

こんな笑顔で慈しみ、優しく接することが仕事、みたいなところにいて、

宇宙一ふさわしくない、こんな私がいてすみません。

 

私は、映画沈黙のキチジローです。

本当に彼とおんなじです。

 

でもロドリゴでもあります。

 

すると、

 

ロドリゴもキチジローも、どちらも正しくない。”

 

そう感じた。

 

 

「私、知ってます!私は罪を犯したものだ、って知ってます!

私はこれなんだよ!知ってるんだ」

 

 

一体これのどこが正しいのか?

 

 

神しかないのに。

 

 

 

この後、ずっとああ言えばよかった、ああすればよかったが止まらなくなった。

未来と過去に原因を持たせている。

 

平安へのツールをやった。

 

私は間違いを犯してしまったので、弁明します。

「そうじゃないんです!」

「あれはああだったんです!」

「違うんです!」

「違うんですよ!

こう言いたかったんですよ!」と証明したい。

弁明します。言い続けたい。

 

本当、キチジローそのままです。

 

罪を犯してしまったので、

頑張って罪を取り除いたり、取り繕わないといけないんです、私は。

 

 

私は、罪深いものです。

 

 

ああ、確かに、

私は今、間違っている。

 

そうか。

私はロドリゴも、キチジローも、どちらも私だと望まない。

 

どちらでも私ではない。

 

私ではなかった。

 

消えていく姿。

 

いなかった。

 

 

ありがとうございます。

 

 

幸せでありたいです。

 

あなたから与えれたこの言葉のままに、

私は、神が創造したままの私だと思い出したいです。

 

兄弟も私も、愛だった。

愛しかなかった。

神だけ。

神しかなかった。

 

それだけを思い出したい。

 

それだけが私の願いです。

 

 

合宿と職場に違いを作ろうとしていて、自分を裏切っていた。

 

 

まだやってるだろうけど、

 

その時、精一杯、

 

自分自身に素直で、正直でありたい。

 

自分を裏切りたくない。

 

もう、私自身から隠れたり、隠していたくない。

 

 

ガイダンスに従わなかったと思うと聖霊に祈ると、

赦されている感じがした。

 

職場でも一つ一つ、聞いて従っていきたい。

 

 

本当は、

 

いつも私は怒りや憎しみを感じて、悲しいんだ、と

 

同僚に正直になること。

打ち明けること。

 

弱々しさ、

ダメダメさを晒すこと。

 

そのためでした。

 

 

ロドリゴモロだしの勘違いな自分も、

今、ここでも晒します。

 

 

それが本当の私ではないから。