私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

ロドリゴと同じでした

私はスピリチュアルな人で分かっています。

 

他の人たちと違って、私は特別なんです。

 

エス聖霊を知っている私は、特別なんです。

 

だから私がみんなに手本を見せてあげよう。

 

ここやこれ、あの人たちは

みんな私のためにこさえられたんだ。

 

神に感謝します。

 

私、のためにいてくれて。

 

私、のためにあってくれて。

 

このように思っていました。

 

だけど、

 

それのどこが悪いの!

私が間違ってる訳ない!

私が正しいに決まってるじゃないか!

 

そう信じていました。

 

エス聖霊、神という言葉や、

私はこれを知っている、

こう感じている私は優れている。

 

だから

それを語ることは恐れない。

 

そう思って何が悪い?

 

ある一言を言われた時から動揺し始めました。

 

私が何かもたらすものになれる、と信じていた状況や人から

手のひらを裏返したように

裏切られて、攻撃されたように感じ始めました。

 

利用できると思っていた人が

井上様や

ロドリゴを非難し、攻撃する日本人たちに見え始めました。

 

怒り、恐れ、罪悪感、私が間違っているはずがない。

悪いはずがない。

恥ずかしい。

そう感じ始めた時、

 

まさか

映画そのままに

私が本当にロドリゴと同じことをしていたなんて、

 

今までまったく気づきませんでした。

知りたくもなかった。

 

奇跡講座やイエス聖霊

宗教のようにして、

 

言葉を語り、

私はこうやってますと信仰を語って救えると信じていた

ロドリゴと同じでした。

 

働くところ、そこで働く人たち、与える相手という偶像。

 

私が与えられる聖人。

愛を持って与えられるもの、という偶像。

 

全部利用して、

私が望む、都合のいい偶像にしていました。

 

 

言葉や徴を利用して偶像にし、

信仰する私でいたかったです。

 

悔しい。

悔しいです。

 

全否定されたように感じます。

 

負けに感じます。

 

 

言葉や、

今までこうしてきましたとか、

私が宗教にしていた奇跡講座も手放し、

 

最後にロドリゴが平安を見出したように、

 

私も彼と同じ平安を望みます。