私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

平安へのツールInstrument for Peace〜11月22日以降に感じたことについて

22日のLive配信の自分の枠の勉強会の時に、

佳苗さんがのり子さんと一緒にやっている平安へのツールInstrument for peaceを一緒に見ることになった。

 

後日、

私が佳苗さんの平安へのツールInstrument for peaceを自分のこととして受け入れると言われた時、

佳苗さんの平安へのツールInstrument for peaceを自分の事として受け入れたくない

という猛烈な反発、憎悪が沸き起こった。

 

自分は22日、自分の平安へのツールInstrument for peaceをやってもらいたかったけれども、やらないほうがいいだろうと勝手に自分で思って、言い出さなかった。

 

これをきっかけに

心の奥を聖霊と一緒に見てもらいたい。

 

☆平安へのツールLevels of mind   Instrument for peace

https://levelsofmind.jp

 

真理はあなたの欲求を通して取り戻される。

それは、あなたが真理以外の何かを欲することにより失われたからである。

(T-20.VIII.1.2)

 

1.

私が

A)22日の佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れるように言われたこと

 自分の勉強会の時に平安へのツールInstrument for peaceをやって欲しいと言わなかったこと

について考える時、

B)憎悪、怒り、剥奪感、悲しみ、後悔

を感じます。

なぜなら、

C1)佳苗さん、のり子さん、それを言ったイエス

が責められるべきであるし、或いは未来に、

C2)佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れなければならない

      勉強会でやって欲しいことを言えなくなる

ことが起こるのを恐れているからです。

 

2.

私が

A)22日の佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れるように言われたこと

 自分の勉強会の時に平安へのツールInstrument for peaceをやって欲しいと言わなかったこと

について考える時、

B)憎悪、怒り、剥奪感、悲しみ、後悔

を感じます。

なぜなら、

C1)佳苗さん、のり子さん、それを言ったイエス

が責められるべきであるし、或いは未来に、

C2)佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れなければならない

      勉強会でやって欲しいことを言えなくなる

ことが起こるのを恐れているからです。

 

これらのことは、私が

D)存在価値が奪われる者、失ってしまう者

ということについて正しいことを証明しています。

 

。。。。

人の平安へのツールIFPを受け入れたくないんだよ!

受け入れるなんてものすごい屈辱、負け。

悔しい。悲しい。

私は違うんだ。

佳苗さんが感じている罪悪感や闇は佳苗さんの方にあるのであって、私にはない!

 

そう言い張り続けたい!

 

苦しい。

でも受け入れたら死ぬような、負けだと感じる。

悲しい。

 

自分がやって欲しいと言わなかっただけなのに、言えなかった。

よくあるパターンだ。

やりたかったのにできなかったと後悔する。

。。。。。

 

私は今の感情を望みません。だから私が知覚していることが真実ではない可能性を考える準備ができています。癒しのプロセスの一部として、私はこの同様(に私が与えた意味)を越えて見ること、そして心の内側を見ることを意志します。

 

3.

私は以下の事象の中で私が演じている役割を、罪悪感なしに見る方法があると学ぶことを望みます。

 

A)22日の佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れるように言われたこと

 自分の勉強会の時に平安へのツールInstrument for peaceをやって欲しいと言わなかったこと

について考える時、

B)憎悪、怒り、剥奪感、悲しみ、後悔

を感じ、

C1)佳苗さん、のり子さん、それを言ったイエス

が責められるべきで、或いは未来に、

C2)佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れなければならない

      勉強会でやって欲しいことを言えなくなる

ことが起こるのを恐れています。

 

4.

私は以下の知覚について自分が正しくありたいという望みを手放します。

 

A)22日の佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れるように言われたこと

 自分の勉強会の時にInstrument for peaceをやって欲しいと言わなかったこと

について考える時、

B)憎悪、怒り、剥奪感、悲しみ、後悔

を感じ、

C1)佳苗さん、のり子さん、それを言ったイエス

が責められるべきで、或いは未来に、

C2)佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れなければならない

      勉強会で言いたいことを言えなくなる

ことが起こるのを恐れています。

これらのことは、私が

D)存在価値が奪われる者、失ってしまう者

ということについて正しいことを証明しています。

 

そのかわりに幸せであることを望みます。自我の歪んだ考え方/見方を通して、私は自分の動揺の原因とその解決法が、心の外側にあると知覚しています。この投影は非常にリアルに見えます。その目的は、心が内側を見ることを妨げることだからです。

 

5.

もし私の同様の原因と解決法が心の外側にあるのだとしたら、私は自分の心の状態を変えることについて実に無力と言うことになります。私の投影(内側に見たくないものを外側に見ること)が、私が無力さを感じる理由であり、

C1)佳苗さん、のり子さん、それを言ったイエス

及び/又は、

C2)佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れなければならない

      勉強会で言いたいことを言えなくなる

 ことが未来に起こるのを恐れていることが、私の動揺の原因に見える理由なのです。

 

。。。。

確かに、これから未来に起こることのように思っている。

。。。。

 

6.

私が

A)22日の佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れるように言われたこと

 自分の勉強会の時に平安へのツールInstrument for peaceをやって欲しいと言わなかったこと

について考える時、

B)憎悪、怒り、剥奪感、悲しみ、後悔

を感じます。

なぜなら、

C1)佳苗さん、のり子さん、それを言ったイエス

が責められるべきであるし、或いは未来に、

C2)佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れなければならない

      勉強会で言いたいことを言えなくなる

ことが起こるのを恐れています。

これらすべては、

D)存在価値が奪われる者、失ってしまう者

という信念の結果として現れたものです。

 

。。。

奪われに奪われていって、

完全に惨めでみんなにはあるけど私にはない、ということが確定してしまう。

 

あれ?

佳苗さんを一つとして見たくないけれど、

佳苗さんが感じているものは私にはない、

とあっちに追いやっていたかったけれど、、

どうやら同じことを感じているみたいだ。。

根っこが同じ、なんだ。

同じなのか。。

一つなのか。。

それは私の中にあるのか。。

。。。。

 

7.

私が誰かや何かに対して動揺するのは、彼らや出来事が、私が気づかないようにした信念を心に映し出している時です。私がこの世界の何かを責めたり恐れたりする時、それは動揺とその解決法をあるがままに(心の中の決断として)見ることを妨げる為であり、その代わりに自分が望む自己概念、他者、世界のイメージを維持する為なのです。

 

この心のトリックが罪悪感や恐れをどこかに移し替えるように見えたとしても、実際には同様を維持し続けることになります。自己概念、他者、世界のイメージを責めたり恐れたりすることは、自分を肉体と肉体の世界に制限し、本当の私自身であるスピリチュアルな抽象性を否定することを必要とします。全ての動揺を手放す最初のステップとして、自分の外側にあると思っていたものを、自分の心の中に見ることを望みます。

 

A)22日の佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れるように言われたこと

 自分の勉強会の時に平安へのツールInstrument for peaceをやって欲しいと言わなかったこと

 について動揺することは、

C1)佳苗さん、のり子さん、それを言ったイエス

や、又は未来の考えの

C2)佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れなければならない

      勉強会で言いたいことを言えなくなる

が、私の罪悪感、恐れの原因であることにしようとする、一つの企てに過ぎません。

 

8.

動揺することは、

A)22日の佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れるように言われたこと

 自分の勉強会の時に平安へのツールInstrument for peaceをやって欲しいと言わなかったこと

 が、私が求めているものに反するとき、価値があって正当化できるように見えます。

私が求め(ていた)、期待している(いた)のは、

E)佳苗さんの平安へのツールIFPを受け入れる必要がなくなること

のり子さんと一緒に平安へのツールIFPをやってもらえること

です。

私はまだ、

D)存在価値が奪われる者、失ってしまう者

を信じているので、

 

私が幸せになり、完全になり、平安になるためには、

E)佳苗さんの平安へのツールIFPを受け入れる必要がなくなること

のり子さんと一緒に平安へのツールIFPをやってもらえること

が必要だと考えています。

 

。。。。。

人の平安へのツールIFPを自分の事として受けいれる必要がなくなって欲しい!

受け入れなくてもいいと言って欲しい。

受け入れたら、自分がなくなって絶対不幸になるじゃないか!

のり子さんと一緒にこれをやることで、きっと素晴らしい深い癒しが得られるに違いない。

賜物をゲットできるに違いない。将来。未来に。

だから必要なんだ。救われるためにそれをよこしてくれ!

それをやってもらえないから私は今、不幸なんだ。

 

ここで感じ始めたこと、、

 

24:49〜

悲しい。。

寂しいよ。

孤独になるために一生懸命頑張っているのか。。

 

その必要はないんだ

 

そう感じる。

 

悲しい。。

すぐここに、聖霊がいてくれるのに頑張って無視してるよ。。

人のを受け入れるの嫌なんだよ!と言い続けて。。

 

幸せになりたいんだよ。

 

人の平安へのツールIFP受け入れたくないって言い続けていることが、悲しいよ。

 

こんな悲しいことを望んでいるのか。。

 

のり子さんと一緒に平安へのツールIFPやってくれないから癒されないっていうのって、

ここにいてくれる聖霊

愛を持って見てくれる聖霊がここにいてくれるのに、ガン無視してる。。

 

そうやって

自分を無視していること、

除け者にしていることが、とても悲しいんだ。

 

。。。。。

 

この不足の信念と、その結果として現れる期待は、私にとって心の平安よりも重要なものでしょうか?

 

。。。。。

いいえ。

私はこれを望まない。

。。。。。

 

9.

この世界のすべての物事は一つとなり、私にとっての善きことの為に働いています。私が私の動揺の原因だと考えていたものは、まったくそうではありませんでした。

動揺するという選択は、その真の原因、すなわち今この瞬間心の中で下されている決断である、分離/不足の信念を見ないという選択なのです。これは原因が過去/未来にあり、現在はその結果であると見ようとする企てなのです。

 

10.

今この瞬間、私が何にもまして求めているのは、平安です。

私は自分にとってのただ一つの目的である心の平安と再びつながるために、

D)存在価値が奪われる者、失ってしまう者

という信念に疑問を呈し、

私は自分にとってのただ一つの目的である心の平安と再びつながるために、

自発的に

E)佳苗さんの平安へのツールIFPを受け入れる必要がなくなること

のり子さんと一緒に平安へのツールIFPをやってもらえること

という欲求を手放します。

 

11.

心の平安とは、今この瞬間、感謝の中で下すことができる決断です!罪悪感や恐れと言う結果があり得るように見えたのは、私が過去や未来に原因があるという信念にすがりつくと決めたからでした。

私が自分が過去/未来に与えた意味を手放し、赦されて無罪である「今」に対して心を開きます。

 

12.

私は、今までこの世界にあると思っていた私の動揺の原因は、心の中の疑われることがなかった信念と決断であったことを認識できたことに感謝します。

私は私自身の心の平安の為にもう一度決断しました。

 

。。。。。

8で、人の平安へのツールIFPを受け入れたくないと言い張り続けることが、こんなにも悲しいものなのか、、と気づいた。

佳苗さんの、平安へのツールIFPをとするべきところを、

ずっと人の、平安へのツールIFPをとすり替えていたのに途中で気付いた。

佳苗さんの、に変えたら、痛々しさ、悲しい、罪悪感を強く感じ始めた。

この痛々しさに触れたくなかったし、見たくなかった。

自分の中に。

だからずっと、怒って防衛し、人のせいにしていたし、

すぐこれは私のではない、佳苗さんのものだ。としたくなる。

ずっとそれをやってきた。

シェアやエクスプレスも怒って人のせいにして、

自分の痛みを見ないで、触れずに終わる。

そればかりだ。

 

確かに途中の8で聖霊を感じ、

聖霊と自分が望んでいることの違いを感じさせてもらった。

どっちを望むのか、

幸せを選択できることを。

 

でも今回、

この痛々しさを感じて終わった。

 

私の中に、この痛々しさがあるんだ。。

見たくないし、認めたくなかった。

 

私の愛と助けを求める泣き叫び、という言葉ヅラや

すぐにこれを望まないと言うことで、蓋をしてないであげたい。

 

この痛々しさに触れていこう。

自分の中に認めていきたい。

 

そして聖霊に助けを求めていきたい。

 

言葉ではたくさん言ってきたけれど。

 

今回、初めて、

平安へのツールInstrument for peaceの深さ、、に触れたと感じている。

本当にもっとじっくりと時間をかけてやっていってもいいと思っている。

まだ分かっていないけど、、、

平安へのツールInstrument for peaceはとてもとても深いものなんだ、、と感じている。

 

今まで表面的だったのかもしれない。

 

平安へのツールInstrument for peaceは

本当に今まで横滑りしたり、人に当てつけて見てこなかった、

罪悪感や孤独や無価値感、この痛みに触れていって、

自分が何を望んだ結果だったのかを思い出し、

何を望むのかを選択し直すとてもありがたいツールなのだな、、と改めて深く感じている。

 

実際、

それを認めていこうと思い始めたのは、

この平安へのツールInstrument for peaceや、

 

共に目的を一つにしている兄弟、

のり子さん、佳苗さん、その場にいた真我なるハートのみんなのお陰様、

きっかけとなったLive配信の勉強会を視聴してくださった皆さんのお蔭様です。

 

一人では見ていけないんだな。。

 

ありがとうございます。

 

状況など、こうでなければ、

スルーして深くやろうとしなかったと思う。。

 

すべてはJesusの手配の中にあると信頼します。

 

いつも

相手や何かのせいにして、怒り憎悪の大爆発から始まるけれど。。

 

神様ありがとうございます。

聖霊ありがとうございます。

 

どうかこれから、

怒りのその奥の奥にある、

 

本当は隠していたかった信念、感情、

この私の痛みに触れ、

見ていくことができるようにどうか助けてください。

 

あなたの愛と助けを望みます。

 

 

ありがとう。

ありがとうございます。