私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

父と母に、一緒に祈ろうよ!

朝のゴミ出しはいつも父がやるが、今朝は私が出した。

 

仕事を始めるので、私が出してもいいかな、と思った。

が違和感がある。

 

父は俺の仕事だと、言い、

私は自分も出してもいいのに、と言い張った。

 

ああ、こりゃだめだ。。。

 

父と母へ、咄嗟に口に出した。

 

「一緒に祈ろうよ!」

 

「イエスや、守護神さんがどうしたらいいと言っているか、一緒に祈ってみよう。

聞いてみようよ。」

 

母はイエスに、父は守護神さんに、

3人で、少しの間、口を閉じて沈黙。

 

「どういう感じがする?」

 

母は、みんなでその時々で行けばいいと思う。とスッキリした表情で言った。

父は、しばらく納得しなかった。

私は、朝寝てる人がいれば、代わりの人が行く、と母と一致した。

 

みんなが一致するまで、祈ろう。

俺が正しい、と言い張ると苦しい。

それを手放して、私たちの平安のためにも一度祈って受け取ってみよう。

もう一度祈ってみよう、と言った。

私たちが決めないで、神様に決めてもらおう。

 

私たちはどうしようもないから、決めてもらうおう。

 

みんなが一致するまで、正しいと思う言い張りを退けて、

平安の神様の答えを聞いてみるんだよ。

 

説明して、少しの間だったけど、祈った。

 

結局、3人一致で、

その時行ける人が無理なく、助け合って行けばいいね、となった。

広がりを感じ、安堵していた。

 

私が、私に言い張っていた。

自分が神に尋ねてなかった。

私が、私に、サレンダーするだけだったのか。。

 

 

次は母。

 

買い物に行った。

自分の食べたいものと、家族みんなで食べるものを一緒に会計した。

母が、私が払う!と言い張った。

私は、自分のものがあるのでその分は払いたいと言った。

 

母に言った。

「これも一緒に、イエスがどうしたらいいと言っているか、祈ろう!

私たちの平安のために。」

 

母は家計に関しては、私も父も立ち入らせないほど、物凄い頑固だ。

絶対譲らないできた。

すぐに激しくキレながら、もういい!と不貞腐れる。当てつける。

 

しかし、もう私は妥協しない。

一緒に祈りたい。

間違ってるかもしれない。

私とあなたは一つで、神の子だと教えてもらいたい。

そのために、まずはあなたを一緒に目覚めのために祈る私自身として迎え入れたい。

 

そこから降りるつもりは、一切ない。

 

母はいつも通り、

いいよ!いいよ!払ってもらったら、買いに行ってもらうのに気が引けて頼めないから。と

それで全部払う、それは絶対譲れない。無理。

逆ギレしていた。

 

それでも、

「一緒に祈ろう。

エスがなんと言っているか、一緒に受け取りたいんだよ。」と何度も言った。

 

母が、

「なんと言っているかわかんないよ。」というので、

「わからない、でもいいし、

なんとなく、こう言ってる感じがするなあでもいいよ。

エスの答えは平安を感じるはずだから。」

 

「お前は頑固だって、イエスはわたしのこと絶対怒ってるよ!」と母が言う。

 

「イエスは責めないよ。大丈夫だよ。わかなくていいから聞いてみよう。」

 

お互い激しく言った。

 

その後、初めてかもしれない。

母と二人で、沈黙し、目を閉じ、イエスに祈った。

 

私が正しい!

答えなんか、わからない!

もう、私の意見が通らなかったら、あんなの意見でいい!

と母は祈った後も、答えがわからず、ギャーギャー言う。

 

私も、イラついていた。

心を沈めて、声を尋ねても、母が目の前でキレてる姿にムカついた。

 

これを手放したい。

それでももう一度、祈ろう。と言った。

 

もう、降りていかない。

 

何度か、沈黙して母とイエスに祈った。

 

何度か祈った後、、最後に、

私の中に、

「母に払ってもらいなさい。」という感じが広がり、

安心感を感じた。

ああ、心地いいな。。平安だ。

 

母と一つだと感じて、平安だった。

ああ、負けだ。。

 

そこまで行き着いた後、

母に、

「イエスが払ってもらいなさいって言っている感じがしたよ。」

正直に、感じたままにそう打ち明けた。

 

すると、

「そうだろう。」と言って、笑顔で終わった。

 

母とイエスに祈ることで、一つに感じた。

 

そうしてみて、わかった。

わたしが、わたし自身に、わたしが正しい!と言い張っていただけだった。と。

 

母にみえる、わたし。

 

罪悪感ゆえに、

わたしが払う!と言い張りたかったわたし自身だった。

 

助けて!というわたしの声。

 

わたし、だったんだ。。

 

わたしがわたしにサレンダーするだけだった、と。。

 

ありがとう。

ありがとう。

 

結局、母の言っている通りになった。

ちくしょう!あいつの言いなりになった。と思ってきた。

 

でも、祈った結果、

元の通りで母の言う通りになったとしても、それでいい。

 

エスと一致した心である方が、幸せなのか。

相手が母でも。

 

一緒に祈ってくれてありがとう。

一つだと感じて、嬉しく、幸せだったよ、と母に言った。

 

「イエスの答え受け取れてたかな?」と母が言うので、

 

「一緒にあなたが払うんだよって答えを感じて、幸せを感じてたじゃん!

それが受け取れてるってことだよ。

よかったね!ってイエスがめちゃめちゃ喜んでるよ。」と話した。

 

母が嬉しいそうだった。

 

もっと聞いてほしい!

耳を傾けてほしい!

エスがそう、母とわたしに言っている感じがして、

それを伝えた。

 

ああ、そうなんだな。

「これからも一緒に祈っていこう。」と、

母というわたしへ伝えた。

 

 

父は、生活についても、もうどうしようもないな、、と思っている。

 

ゴミのことで祈った後、部屋に戻り、

五井先生の本「神様にまかせきる」を読んでいた。

 

一瞬だとしてもあの時、

自分の意見を退けて、祈ったのだと思う。

 

ありがとう。

すごいな。。

 

認めるのが怖いが、

そうであるはずがない、と思い込みたいが、、

 

この人、本気だ。

 

思わず、「素晴らしいね」と父を励ました。

励まし、慈しみたいと思わずにいられなかった。

 

ありがたいと思った。

 

ありがとう。

 

母との祈りのことも、父に話した。

 

 

わたしが、わたしをどう迎え入れているか、

見せてくれてありがとうございます。

 

わたしがわたしにサレンダーする機会を与えていただいて、ありがとうございます。

神様ありがとうございます。

 

父、母よ。

一緒に祈ってくれて、ありがとうございます。

 

早速、母聖霊が、
勝手に自転車で行くとわたしは決めていたのに、

「明日どうやって行くのか、

それもイエスに祈らんといかんじゃないの!」と

ありがたいツッコミをいただいた(笑)