私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

父・母・娘ごっこに同一化する気は一切ございません。

例外はもう作りたくない。

母だけではなく、父とも真剣勝負だ。

 

父がふと

「どうにもならないな」というようなことを言った。

 

人間はもう神に頼らないとどうにもならない。と五井先生の話を話した。

 

「他力本願だね。」

父から言われて驚いた。

 

すごいな、、

まさか父から全託と同じような言葉を聞くとは。

 

それがきっかけだったか、

五井先生が教えてくれている話を、父に話し始めた。

 

守護霊、守護神様は誰にでもいらっしゃる。

その守護霊、守護神様は、完全に菩薩行で、

こちらが気づこうが気づくまいが、ずっと助けてくれている。

だから、こちらから神様ありがとうございます。という思いを傾けるんだよ。

そうすると守護霊様が働きやすくなるんだよ。

私たちは助けてもらってる神様に感謝するんだよ。

いつでもお祈りだよ。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように。

私たちの天命が全うされますように。

守護霊様ありがとうございます。

守護神様ありがとうございます。

 

そうやって祈ろう。

五井先生に助けを求めよう。

 

守護霊様に嫌な思いを消していただく話とか、つらつらと話した。

 

今までも話したことはあった。

それと今回が違うところは、

 

”父は、私なんだ。

私とあなたは一つで、愛で神の子なんだ。

それを一緒に思い出したい!

思い出す仲間として話そう。

 

それで興味を持つかどうかは、手放そう。

そういう期待は神にお返ししよう。”

 

そう思っていたことだった。

 

父は黙っていたけど、耳を傾けているようだった。

 

父は、いわゆる心の世界のことや

祈りについて、抵抗が強く興味なんかないだろう、と思っていた。

 

だから、つらつら話し続ける自分も意外だった。

 

最後は、

「わたしと一緒に祈ろう!守護霊、守護神様もそうおすすめしている感じがするよ。」

と父に言った。


マイティーコンパニオン、祈る仲間が増えると、加速するんだな。

お互いがお互いを助ける、という感覚。

ありがたい。


五井先生のお顔の写真盾を、父にあげた。

 

「神様にまかせきる」という五井先生の本も。

 

五井先生の講和のyoutubeも教えてあげた。

 

父自身が、

「他力本願だね。」

そう言ってきた通りに、

”素直に守護霊・守護神にまかせなさい”という動画。

 

喜んで受け取り、

「講義ありがとう」

と言ってきた。

 

素直に嬉しかった。

 

ああ、そうか。

父にも、素直に正直にこの思いを打ち明けていって、いいんだ!

 

そうしたい。

 

透明でありたい。

父や母に見える、私なのだから。

 

「聞いてくれて、ありがとう」

父に言った。

 

自分の部屋に、

「あそこに飾ったよ。」と早速、五井先生の写真たてを飾っていた。

 

最後に、

「修行だね。」と笑っていた。

 

私が父という自分自身のことをどう見ているか、

信じているか、そのままなんだな。

 

「わたしとあなたが誰なのか思い出す仲間として、迎え入れたい。」

祈りたい。

そう父にも話しているように。

自分が望むように。

 

それしか見れない。

本当にそうだ。

 

父が、お金のやり取りをうまくやらないのは、お前のせいだ!と責め続ける!

と母が激しく怒っていた。

 

母はイエスが好きらしいが、気になるとは言わない。

昔から、教会の話や、イエスの映画はたくさんみた!と自慢する。

 

母にイエスはどうなの?と聞いてみた。

冷蔵庫に小さいイエスの顔のマグネットを貼っている。

 

「それに向かってブツブツ言ってるよ。」

 

そうだったのか。

 

「そのイエスに、あなたが気になりますって告白してみたら?」と、

今度は母にイエスや、心の中でイエス祈ろう、とか

エスの話を始めた。

 

「イエスは、母ちゃんのこと嫌ってないよ。」

そう口から出た。

 

お金がきっかけで、

さっき父と言い争いになっていた。

その父への憎しみ、怒り、復讐したい、傷つけられた、悔しい思いを話し始めた。

 

自分でやってきた、おままごと劇場。

 

かわいそうな母。

悪者の父。

なんとかしなければならない娘。

 

パペット。

全員、わたしの手。

 

何千回とやってきた茶番。

 

もうーーー!!

こんな茶番に、同一化する気、ございません

 

聖霊に祈りながら、聞いていたが、

でも祈るしかないよ。と言って、またイエスや五井先生の話をした。

 

そうか。

父と母は、

目覚めたいとか、神を求めたいと思わない人、というふうに除外する必要なんて、

なかったんだ。

 

それをしてたのは私だ。。

 

だから、

自分に慈しみを与える、自分に優しくしよう、

神はそのように夢見るものも、愛してくださっているのだから、と

母にも言っていいんだ!

 

だって、一緒に神の愛を受け取りたいよ。

わたしと母は一つで、私だから。

 

神は愛で、愛を受け取って欲しいって、イエスは母ちゃんに思っているよ。

一緒に受け取っていこうね。

そう話した。

 

自分が自分をどうみているか、鏡だ。

 

愛と慈しみを自分自身に与えよう、

自分にも与えていこう。

神になさっていただくままに。

 

そう決断すると、父や母にも慈しみたくなるんだな。。

 

私が私に、優しくあって欲しいんだ。

慈しんで欲しいんだな。。

 

わたしを慈しんでいこう。

よくやってるね。

ありがとうございます。

 

 

今日は、

「私はあなたの子供じゃないんだ。

私とあなたは一つで、神の子だと思い出したい。一緒に思い出したい。祈りたい。」

それを両親に話している時、つながりと広がり、愛を感じていた。