私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

救済は兄弟の中にある

 

目の前に見えている

横断歩道とその向こうのビル。

 

この景色。

 

それは過去。

 

 

今日、聖霊から教えてもらったこと。

 

 

これから何かするのではないんだ。。

 

 

TENETを思い出す。

 

 

私の愛と助けを求める泣き叫びが浮上していて

 

その私の思いは、

 

 

これが私だと信じないで欲しい!

 

これが私じゃないよって言って欲しい!

 

私が誰なのかを思い出させて欲しい。

 

それは起きなかったと教えて欲しい。

 

これが助けを求めている、ということなのか。

 

 

悲しみ、虚しさが上がっていても、

聖霊

神を信じたい。

 

兄弟の奥を信頼したい。

 

 

すると愛とつながりを感じられた。

 

一つなんだ。

 

ありがたい。

 

 

それを望む。

 

そうだ!

 

私はこれを信じる。

 

 

一つであることを思い出せてくれて、

ありがとうございます。

 

そのような機会を与えていただいて

ありがとうございます。

 

 

嬉しい。

 

  

私が知りたい、教えて欲しい!助けて!と叫んでいる。

 

欲しくて仕方ない真実、愛を

兄弟に聖霊が与えるままに与えていただく、ということなのか?

 

 

それが、私の、

救済なのか?

 

 

まさにそれを知りたい!と私が望んでいる、、

 

私が欲しくて仕方ない愛と助けを

 

兄弟という私に与える、ことが?

 

 

聖霊に助けを求めるとは、

 

自分が知りたくて仕方ないその答えを

あなただと思っているそれはあなたではない、という答えを

助けを

兄弟に聖霊から与えていただく、ということ?

 

 

そうやって”私自身”が救われるのか?

 

そうやって誰なのか思い出すことができるのか?

 

私が。。

 

 

何かに、

 

何かに触れている。。

 

 

泣く。

震えて爆発しそう。。

 

 

もしかしたら、

 

私自身の中だけでなく、、

 

兄弟の中にある

愛と助けを求める声に

 

私が欲しくて欲しくて仕方ない

助けて欲しくて仕方ない、

 

聖霊からの愛を、助けを、慈悲を与えることによって、

 

私が何者だったかを思い出すことができるのか。。

 

 

なんてことだ。。

 

 

なんとありがたいことなんだろう。。

 

 

私の救済は兄弟に与えることにあったなんて。。

 

 

コースの本を読んだからではなく、、

 

今心が震えていて、

本当にそうなのかもしれない、、と心から湧いてきて、

 

感謝と嬉しさ、喜びを感じている。

 

 

ありがたさのほんのわずかしか受け取っていないけれども、、

 

兄弟の中に救済を用意してくれた、神への感謝。。

 

どれだけありがたいことなのか、、

まだ私には分かっていない、、。

 

少しだとしても

今それに触れさせてもらえていることがありがたい。。

 

 

聖霊が助けてくれている。。

 

 

ありがとうございます。

 

 

聖霊

私は何も分かっていません。。

分かりません。

 

あなたが見ているその逆を信じていて、

私は狂っています。

 

真実を思い出させてください。

 

私はあなたに使われる、ということを

何もわかっていません。。

 

救済がどこにあるのか、何なのか?

まったく分かっていません。。

 

何も分からないので、

あなたを信頼し、

あなたに私を差し出します。

 

どうか助けてください。

 

兄弟と

神と一つだと思い出させてください。

 

神様

どうぞよろしいようにお使いください。