私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

勉強会後①

 

さっき参加した勉強会(昼)で

 

speak upしたのだけど、

後から思いついたこと。

 

 

私はいつも下ばかり見て

人と目を合わせない。

 

自分の思っていることや

感じていることを

隠している。

 

 

 

4月合宿の時、

キッチンで祥子ちゃんと向き合って

 

彼女から本心を聞かされた時、

 

 

まっすぐ目を見て言われた。

 

私の愛と助けを求める懇請。

 

 

 

下ばかり見てきたから、

 

 

私自身の本心を

まっすぐに見て言われたことは

 

 

恩寵だったと思う。

 

 

 

怖かったし、

なるべく直面したくないから避けたい。

 

 

 

だけど

あれから

もう愛と助けを求める懇請を無視したくない、

受け入れたい。と強く決断するきっかけになった。

 

 

輪島でまさに目の前で

愛と助けを求める懇請をexpressするのり子さんを見せてくれて、

一緒に癒された体験があり、

 

 

6月合宿で

一体性を感じた。

 

 

勉強会中に、

キッチンで二人で向き合った映像が浮かんだ。

 

 

私は下を見て

面と向かっているのに

 

目の前にいる祥子ちゃんと目を合わせず、

すぐそらしていた。

 

祥子ちゃんはまっすぐに

見ていたと思う。

 

その映像。

 

 

その映像が浮かんだとき、

 

良かった

これで良かったんだ。

 

と思った。

 

 

 

みんなからは良かったね、とか

深刻にならないでいいとか言われたけど、

 

正直

ふざけんじゃないよ。

と思っていた。

 

 

 

だけど、

6月合宿で、

 

ルーシーを観た後、

 

祥子さんに見えているけれど

 

本当は私たちは一つなのかもしれないという感覚を感じて

 

 

その一体性。

 

幸せな感じ、

 

穏やかで

 

包まれているような、

 

どこまでも広がっている感じ。

 

 

I am everyhwere.を

感じた。

 

 

その後に

聖霊に見せられた

向き合っている映像。

 

 

あれは恩寵だったんだな、と

やっと思えた。

 

 

ルーシー後の一体性と

あの時感じた分離感、

どちらがいい?と感じた時、

 

正しさよりも

間違っていたい。

 

  

 一体性の方がいい、と思った。

 

 

 

6月合宿中に

ラファエルから奇跡講座の一説を読むように言われた時、

 

祥子ちゃんが

一緒にページを探してくれたりして、

色々助けてくれた。

 

焦っていたから

すごくありがたかった。

 

 

6月の合宿のときは、

もう怒りは感じていなかったけど、

 

 

ありがたかった。と言いたいと思った。

 

 

 

本人にも言わなかったし、

今更ここで書いている。

 

 

本当に、

表現したり

口にすることをしないできた。

 

 

 

こうして

書いていても、

 

 

自分にはspeak up する価値もない。という

無価値感、

 

悲しみと寂しさが上がってくる。

 

 

今ものすごく泣きながら

これを書いている。

 

 

 

悲しいなら辞めたら。という声がする。

 

 

 

勉強会で話しているうちに、

聖霊とのパイプが広がっていき、

 

 

自分の中で

奇跡だと認めて、

 

そうだ、と強化させてくれている感じがした。

 

 

私にとってあれは奇跡だった。と話したとき、

 

 

思いと

感じたことを

口にする、という表現が一致していた。

 

 

聖霊と一つだった。

 

 

 

 

これから

 

闇も、

奇跡も、

 

隠さないで

表に出していきたい。

 

 

本当の私は誰かを

思い出すため。

 

 

もう忘れていたくない。

 

 

思い出したい。

 

 

 

誰とも比較する必要がない、と言われて、

逆に比較ばかりしている自分に気がつく。

 

 

他の兄弟と違って

ファンクションもしていないことに無価値感を感じている。

 

 

God Isに一言上げただけで

強烈な無価値感と罪悪感にかられる。

 

 

怖い。

 

 

いろいろあげられるみんな、すごいなと思う。

 

 

 

 

多分

とても愛されているのだと思う。

 

 

その愛が怖い。