私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

混迷

仕事を離れて1週間ほど経った。

 

時間の余裕があるはずなのに、、

全然進めたいことができないと感じる。

 

mindfulで過ごせるはずだと思っていたが、

家族に投影して、まったく逆の状態。

 

むしろ仕事している時の方が

ワークブックを読んだり、ブログなど、真剣にやろうとしていた気がする。

 

あの聖霊の見方で見て欲しい!

あの感謝の思いに触れたいから、

 

早く仕事したい、

早く現場に出たい、と思い出したりする。

 

全体的に閉鎖的、無気力な感じがしている。

 

とにかく早く終わらせたい、という思いがある。

 

あっという間に1ヶ月なんか過ぎてしまうから、

早く色々やりたいんだけど、、。

 

そう焦ってばかりいる。

 

それは全部、自分のプランだ。

 

 

何よりもまず自分のプランを脇に置いて、

まず聖霊に尋ねる。

 

全然やろうとしていない。

 

忙しいからとか

今、仕事をしているかどうかは関係ないんだな。

 

 

今まで学んできたように見えることや、

人間関係。

 

言葉。

フレーズ。

 

誰かがこう言ったとか。

 

まったく入らない。

 

今までの聖霊が与えてくれたように見える経験、、

 

コース用語。

コースの文章。

 

そういうものが一切、

まったくあてにならない。

 

記憶に残らない。

 

初心者どころか、0。

 

広がりをほとんど感じていない。

 

 

何なんだいったい?

 

そんな感じで

何が何だかわからなくなっている感じがしている。

 

 

 

ここに繋がっていたい

数日前、

以前施設で介護の仕事をしていた時のことをふと思い出した。

 

96歳くらいのMさんが

体調が思わしくなく、

医務室の隣の休養室のベッドで横になっていた。

 

横になったまま、

その前のワーカー室まで聞こえるほどの大声で叫んでいた。

 

「みなさーーーーーーん!!

 

ありがとーーーーございましたーーーー!!

 

みなさーーーーーん、

 

さよーーーーーならーーーー!!」

 

 

Mさんのことを色々思い出した。

 

22日の勉強会の時に

どのように聖霊が見ているのかを感じた、

 

あの聖霊

 

ありがとうーーーー!!

 

という思いが溢れて号泣した。

 

 

Mさんの思いなのかな。。

 

自分がMさんをよく思わなかったり、

自分がイラついていたりしていたことを思い出した。

 

それでも、

なんでありがとう、なんだろう。。。

 

でもありがとう、と伝わってくる。

 

なんで。。

 

 

泣く。

 

 

過去色々あったように思えることにフォーカスしないで、

ここに合わせていたい。

 

本当に。

 

空から降ってくるような、、、

溢れるような、、

 

ありがとうーー!という思い。

 

聖霊に、

兄弟をどう見ているのか教えて欲しい。

 

自分が介護という仕事を通じて

身体として相手に何かをなしたい。

 

22日の時も、そう思っていた。

 

だけれども

このありがとうを何回か感じていくうちに、

 

聖霊に見てもらいたい。。

あなたが私に代わって見てもらいたい。

 

相手が誰なのかを、教えてもらいたい。

 

身体として何かをなさしめていただく、ということは結果で、

 

真実を知りたい。

聖霊から教えて欲しい。

 

より、そう思うようになった。

 

 

平安へのツールInstrument for Peace〜11月22日以降に感じたことについて

22日のLive配信の自分の枠の勉強会の時に、

佳苗さんがのり子さんと一緒にやっている平安へのツールInstrument for peaceを一緒に見ることになった。

 

後日、

私が佳苗さんの平安へのツールInstrument for peaceを自分のこととして受け入れると言われた時、

佳苗さんの平安へのツールInstrument for peaceを自分の事として受け入れたくない

という猛烈な反発、憎悪が沸き起こった。

 

自分は22日、自分の平安へのツールInstrument for peaceをやってもらいたかったけれども、やらないほうがいいだろうと勝手に自分で思って、言い出さなかった。

 

これをきっかけに

心の奥を聖霊と一緒に見てもらいたい。

 

☆平安へのツールLevels of mind   Instrument for peace

https://levelsofmind.jp

 

真理はあなたの欲求を通して取り戻される。

それは、あなたが真理以外の何かを欲することにより失われたからである。

(T-20.VIII.1.2)

 

1.

私が

A)22日の佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れるように言われたこと

 自分の勉強会の時に平安へのツールInstrument for peaceをやって欲しいと言わなかったこと

について考える時、

B)憎悪、怒り、剥奪感、悲しみ、後悔

を感じます。

なぜなら、

C1)佳苗さん、のり子さん、それを言ったイエス

が責められるべきであるし、或いは未来に、

C2)佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れなければならない

      勉強会でやって欲しいことを言えなくなる

ことが起こるのを恐れているからです。

 

2.

私が

A)22日の佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れるように言われたこと

 自分の勉強会の時に平安へのツールInstrument for peaceをやって欲しいと言わなかったこと

について考える時、

B)憎悪、怒り、剥奪感、悲しみ、後悔

を感じます。

なぜなら、

C1)佳苗さん、のり子さん、それを言ったイエス

が責められるべきであるし、或いは未来に、

C2)佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れなければならない

      勉強会でやって欲しいことを言えなくなる

ことが起こるのを恐れているからです。

 

これらのことは、私が

D)存在価値が奪われる者、失ってしまう者

ということについて正しいことを証明しています。

 

。。。。

人の平安へのツールIFPを受け入れたくないんだよ!

受け入れるなんてものすごい屈辱、負け。

悔しい。悲しい。

私は違うんだ。

佳苗さんが感じている罪悪感や闇は佳苗さんの方にあるのであって、私にはない!

 

そう言い張り続けたい!

 

苦しい。

でも受け入れたら死ぬような、負けだと感じる。

悲しい。

 

自分がやって欲しいと言わなかっただけなのに、言えなかった。

よくあるパターンだ。

やりたかったのにできなかったと後悔する。

。。。。。

 

私は今の感情を望みません。だから私が知覚していることが真実ではない可能性を考える準備ができています。癒しのプロセスの一部として、私はこの同様(に私が与えた意味)を越えて見ること、そして心の内側を見ることを意志します。

 

3.

私は以下の事象の中で私が演じている役割を、罪悪感なしに見る方法があると学ぶことを望みます。

 

A)22日の佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れるように言われたこと

 自分の勉強会の時に平安へのツールInstrument for peaceをやって欲しいと言わなかったこと

について考える時、

B)憎悪、怒り、剥奪感、悲しみ、後悔

を感じ、

C1)佳苗さん、のり子さん、それを言ったイエス

が責められるべきで、或いは未来に、

C2)佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れなければならない

      勉強会でやって欲しいことを言えなくなる

ことが起こるのを恐れています。

 

4.

私は以下の知覚について自分が正しくありたいという望みを手放します。

 

A)22日の佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れるように言われたこと

 自分の勉強会の時にInstrument for peaceをやって欲しいと言わなかったこと

について考える時、

B)憎悪、怒り、剥奪感、悲しみ、後悔

を感じ、

C1)佳苗さん、のり子さん、それを言ったイエス

が責められるべきで、或いは未来に、

C2)佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れなければならない

      勉強会で言いたいことを言えなくなる

ことが起こるのを恐れています。

これらのことは、私が

D)存在価値が奪われる者、失ってしまう者

ということについて正しいことを証明しています。

 

そのかわりに幸せであることを望みます。自我の歪んだ考え方/見方を通して、私は自分の動揺の原因とその解決法が、心の外側にあると知覚しています。この投影は非常にリアルに見えます。その目的は、心が内側を見ることを妨げることだからです。

 

5.

もし私の同様の原因と解決法が心の外側にあるのだとしたら、私は自分の心の状態を変えることについて実に無力と言うことになります。私の投影(内側に見たくないものを外側に見ること)が、私が無力さを感じる理由であり、

C1)佳苗さん、のり子さん、それを言ったイエス

及び/又は、

C2)佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れなければならない

      勉強会で言いたいことを言えなくなる

 ことが未来に起こるのを恐れていることが、私の動揺の原因に見える理由なのです。

 

。。。。

確かに、これから未来に起こることのように思っている。

。。。。

 

6.

私が

A)22日の佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れるように言われたこと

 自分の勉強会の時に平安へのツールInstrument for peaceをやって欲しいと言わなかったこと

について考える時、

B)憎悪、怒り、剥奪感、悲しみ、後悔

を感じます。

なぜなら、

C1)佳苗さん、のり子さん、それを言ったイエス

が責められるべきであるし、或いは未来に、

C2)佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れなければならない

      勉強会で言いたいことを言えなくなる

ことが起こるのを恐れています。

これらすべては、

D)存在価値が奪われる者、失ってしまう者

という信念の結果として現れたものです。

 

。。。

奪われに奪われていって、

完全に惨めでみんなにはあるけど私にはない、ということが確定してしまう。

 

あれ?

佳苗さんを一つとして見たくないけれど、

佳苗さんが感じているものは私にはない、

とあっちに追いやっていたかったけれど、、

どうやら同じことを感じているみたいだ。。

根っこが同じ、なんだ。

同じなのか。。

一つなのか。。

それは私の中にあるのか。。

。。。。

 

7.

私が誰かや何かに対して動揺するのは、彼らや出来事が、私が気づかないようにした信念を心に映し出している時です。私がこの世界の何かを責めたり恐れたりする時、それは動揺とその解決法をあるがままに(心の中の決断として)見ることを妨げる為であり、その代わりに自分が望む自己概念、他者、世界のイメージを維持する為なのです。

 

この心のトリックが罪悪感や恐れをどこかに移し替えるように見えたとしても、実際には同様を維持し続けることになります。自己概念、他者、世界のイメージを責めたり恐れたりすることは、自分を肉体と肉体の世界に制限し、本当の私自身であるスピリチュアルな抽象性を否定することを必要とします。全ての動揺を手放す最初のステップとして、自分の外側にあると思っていたものを、自分の心の中に見ることを望みます。

 

A)22日の佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れるように言われたこと

 自分の勉強会の時に平安へのツールInstrument for peaceをやって欲しいと言わなかったこと

 について動揺することは、

C1)佳苗さん、のり子さん、それを言ったイエス

や、又は未来の考えの

C2)佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れなければならない

      勉強会で言いたいことを言えなくなる

が、私の罪悪感、恐れの原因であることにしようとする、一つの企てに過ぎません。

 

8.

動揺することは、

A)22日の佳苗さんの平安へのツールIFPを自分の事として受け入れるように言われたこと

 自分の勉強会の時に平安へのツールInstrument for peaceをやって欲しいと言わなかったこと

 が、私が求めているものに反するとき、価値があって正当化できるように見えます。

私が求め(ていた)、期待している(いた)のは、

E)佳苗さんの平安へのツールIFPを受け入れる必要がなくなること

のり子さんと一緒に平安へのツールIFPをやってもらえること

です。

私はまだ、

D)存在価値が奪われる者、失ってしまう者

を信じているので、

 

私が幸せになり、完全になり、平安になるためには、

E)佳苗さんの平安へのツールIFPを受け入れる必要がなくなること

のり子さんと一緒に平安へのツールIFPをやってもらえること

が必要だと考えています。

 

。。。。。

人の平安へのツールIFPを自分の事として受けいれる必要がなくなって欲しい!

受け入れなくてもいいと言って欲しい。

受け入れたら、自分がなくなって絶対不幸になるじゃないか!

のり子さんと一緒にこれをやることで、きっと素晴らしい深い癒しが得られるに違いない。

賜物をゲットできるに違いない。将来。未来に。

だから必要なんだ。救われるためにそれをよこしてくれ!

それをやってもらえないから私は今、不幸なんだ。

 

ここで感じ始めたこと、、

 

24:49〜

悲しい。。

寂しいよ。

孤独になるために一生懸命頑張っているのか。。

 

その必要はないんだ

 

そう感じる。

 

悲しい。。

すぐここに、聖霊がいてくれるのに頑張って無視してるよ。。

人のを受け入れるの嫌なんだよ!と言い続けて。。

 

幸せになりたいんだよ。

 

人の平安へのツールIFP受け入れたくないって言い続けていることが、悲しいよ。

 

こんな悲しいことを望んでいるのか。。

 

のり子さんと一緒に平安へのツールIFPやってくれないから癒されないっていうのって、

ここにいてくれる聖霊

愛を持って見てくれる聖霊がここにいてくれるのに、ガン無視してる。。

 

そうやって

自分を無視していること、

除け者にしていることが、とても悲しいんだ。

 

。。。。。

 

この不足の信念と、その結果として現れる期待は、私にとって心の平安よりも重要なものでしょうか?

 

。。。。。

いいえ。

私はこれを望まない。

。。。。。

 

9.

この世界のすべての物事は一つとなり、私にとっての善きことの為に働いています。私が私の動揺の原因だと考えていたものは、まったくそうではありませんでした。

動揺するという選択は、その真の原因、すなわち今この瞬間心の中で下されている決断である、分離/不足の信念を見ないという選択なのです。これは原因が過去/未来にあり、現在はその結果であると見ようとする企てなのです。

 

10.

今この瞬間、私が何にもまして求めているのは、平安です。

私は自分にとってのただ一つの目的である心の平安と再びつながるために、

D)存在価値が奪われる者、失ってしまう者

という信念に疑問を呈し、

私は自分にとってのただ一つの目的である心の平安と再びつながるために、

自発的に

E)佳苗さんの平安へのツールIFPを受け入れる必要がなくなること

のり子さんと一緒に平安へのツールIFPをやってもらえること

という欲求を手放します。

 

11.

心の平安とは、今この瞬間、感謝の中で下すことができる決断です!罪悪感や恐れと言う結果があり得るように見えたのは、私が過去や未来に原因があるという信念にすがりつくと決めたからでした。

私が自分が過去/未来に与えた意味を手放し、赦されて無罪である「今」に対して心を開きます。

 

12.

私は、今までこの世界にあると思っていた私の動揺の原因は、心の中の疑われることがなかった信念と決断であったことを認識できたことに感謝します。

私は私自身の心の平安の為にもう一度決断しました。

 

。。。。。

8で、人の平安へのツールIFPを受け入れたくないと言い張り続けることが、こんなにも悲しいものなのか、、と気づいた。

佳苗さんの、平安へのツールIFPをとするべきところを、

ずっと人の、平安へのツールIFPをとすり替えていたのに途中で気付いた。

佳苗さんの、に変えたら、痛々しさ、悲しい、罪悪感を強く感じ始めた。

この痛々しさに触れたくなかったし、見たくなかった。

自分の中に。

だからずっと、怒って防衛し、人のせいにしていたし、

すぐこれは私のではない、佳苗さんのものだ。としたくなる。

ずっとそれをやってきた。

シェアやエクスプレスも怒って人のせいにして、

自分の痛みを見ないで、触れずに終わる。

そればかりだ。

 

確かに途中の8で聖霊を感じ、

聖霊と自分が望んでいることの違いを感じさせてもらった。

どっちを望むのか、

幸せを選択できることを。

 

でも今回、

この痛々しさを感じて終わった。

 

私の中に、この痛々しさがあるんだ。。

見たくないし、認めたくなかった。

 

私の愛と助けを求める泣き叫び、という言葉ヅラや

すぐにこれを望まないと言うことで、蓋をしてないであげたい。

 

この痛々しさに触れていこう。

自分の中に認めていきたい。

 

そして聖霊に助けを求めていきたい。

 

言葉ではたくさん言ってきたけれど。

 

今回、初めて、

平安へのツールInstrument for peaceの深さ、、に触れたと感じている。

本当にもっとじっくりと時間をかけてやっていってもいいと思っている。

まだ分かっていないけど、、、

平安へのツールInstrument for peaceはとてもとても深いものなんだ、、と感じている。

 

今まで表面的だったのかもしれない。

 

平安へのツールInstrument for peaceは

本当に今まで横滑りしたり、人に当てつけて見てこなかった、

罪悪感や孤独や無価値感、この痛みに触れていって、

自分が何を望んだ結果だったのかを思い出し、

何を望むのかを選択し直すとてもありがたいツールなのだな、、と改めて深く感じている。

 

実際、

それを認めていこうと思い始めたのは、

この平安へのツールInstrument for peaceや、

 

共に目的を一つにしている兄弟、

のり子さん、佳苗さん、その場にいた真我なるハートのみんなのお陰様、

きっかけとなったLive配信の勉強会を視聴してくださった皆さんのお蔭様です。

 

一人では見ていけないんだな。。

 

ありがとうございます。

 

状況など、こうでなければ、

スルーして深くやろうとしなかったと思う。。

 

すべてはJesusの手配の中にあると信頼します。

 

いつも

相手や何かのせいにして、怒り憎悪の大爆発から始まるけれど。。

 

神様ありがとうございます。

聖霊ありがとうございます。

 

どうかこれから、

怒りのその奥の奥にある、

 

本当は隠していたかった信念、感情、

この私の痛みに触れ、

見ていくことができるようにどうか助けてください。

 

あなたの愛と助けを望みます。

 

 

ありがとう。

ありがとうございます。

 

 

 

11/22勉強会で感じたこと

11/22 真我なるハート勉強会youtube Live配信 

ご視聴ありがとうございました。

 

賢太さんがシェアしていた

Daivdが

恐れから指一本動かすようなことはしない

について話している動画はこちら。

 

Living Miracles Japan奇跡講座

Living Miracles Japan 奇跡講座 - YouTube

youtube動画より

神秘主義と奇跡【デイヴィッド・ホフマイスター】奇跡講座/奇跡のコース/ACIM

www.youtube.com

9:34〜

たとえば、仕事についてはどうでしょう?

 

人が仕事をするのは、生き延びていくためです

 

身体が生存するためです

 

またそれは自分を身体と同一視しているからです

 

でもその心の静けさの中ではあなたが身体ではないという

瞬間的な気づきがあります。

 

その瞬間的な気づきによって

これまでのような古い考え方はもうしないだろう

 

自分がしそうなことを恐れによって動機付けさせることなど

二度とないだろうと思うのです

 

カリール・ジブランのように

愛をもって働く時私は喜びに満ちていたい。。

 

何をするにしても結果を恐れることなくしようと思うのです

 

それが間違いなく

私を幸せに導いてくれるという信頼のもとに

 

私は10年の大学生活を経たある時点でできるはずがないのに

あらゆる人たちを喜ばせようとしていました

 

みんなを喜ばせることなどできないのです

 

あなたは自分自身をあなたのハイヤーセルフを喜ばせなければならないのです

つまり、聖霊やキリストを。。

 

そこに私が至った時

一見私の人生と見えていたものの地球上での全ての軌道が変化したのです

 

なぜなら私はインスパイアされたからです

そのようなスピリットの中にいたからです

 

私は恐れを感じる岐路に立つたびに一呼吸おいて


11:03

私は恐れを動機に指一本動かすようなことはしない

もうそのように生きなくて良いのだ。。

それは真の生き方ではないのだ。。と言います

 

そして人生は少しずつ小刻みに進んでいくように見えてきます

 

なぜならエゴにとって消えてしまうことや

存在しなくなることは恐ろしいことだからです

 

ですから奇跡が私たちの道であり

私たちには奇跡が与えられているのです

 

これらの閃きに満ちた知覚が栄光を見せてくれます

栄光への可能性を見せてくれます

 

。。。。

 

ここ1ヶ月、

仕事を辞めるのかな?とちょっと疑問に思ったところから始まり、

 

それを感じると

エクスパンション、広がりと喜びを感じて

ああこれは、聖霊の導きなんだと感じられた。

 

そこから、奇跡と思えるほど

辞めることへ流れに流されていくように整われていった。

 

まるでJesusが他動画で

目的を同じにするなら

何から何まで整えます。と言っている、まさにその通りに。

 

今、

聖霊が導かれるままに導かれたいと思うようになっている。

 

そのほうがずっと幸せなんだ!

 

今までは

まずお金の心配があって、

お金のために働かなきゃ、、といって仕事をしてきた。

 

生きていかなければならない、とか

なんとかしなければならない、という恐れから。。

 

このタイミングでこの動画が目に入り、

 

もうそういう恐れから生きたくない!

聖霊に従っていけば、そう生きることができるのかもしれない。。!

 

そんな生き方したことなかった!

 

こんな生き方があるんだ!

 

聖霊を喜ばせるために、とDavidが言ってるけれど

本当にそのように生きてみたい!

 

聖霊を喜ばせるように生きたいんだ!

 

そう思うようになった。

 

 

本当に今の仕事を辞めるなんてありえなかったけれど、

聖霊を感じ従ってみたら、

いのちを感じて、、

 

ああ、もう以前のような生き方はしたくない!

 

まずお金のため、という仕事の仕方に

まったく魅力を感じなくなってしまった。

 

逆転した。

 

聖霊に運ばれるままに運ばれていく、

幸せを感じたい!

 

聖霊の目的で生きたい!

 

「愛をもって働く時私は喜びに満ちていたい。。」

 

そう在りたいんだ。

 

 

次の仕事も何となく

前にやったことのある介護について考え始めた。

 

これがガイダンスかは分からなかった。

 

2年前に離婚してこちらへ戻ってきた時、

介護だけは避けたかったので、職場を工場にした。

 

10年以上前に、

まったくやりたいとは思わなかった介護をやり始めた。

 

福祉、介護系など

絶対私にはそぐわない。無理だろう。。

 

そう信じていたけれども

何か、苦しくて自分を変えたいとか

愛で在りたい、やってみたいと思ったのだと思う。

 

しかし自分でそう決断して

お世話したいと思ってやり始めたのに、

 

怒りや憎悪、殺意がだんだん溢れてきて、

 

自分の体がきついのも重なり、

真っ黒な感情で一色になってしまった。

 

愛になろうとしていた。

それ以前に真っ黒だったから。

 

そうしたかった。

でもできなかった。。と無価値感と罪悪感、恥を感じる場所で、

 

現場に絶対近づきたくなかった。

 

考えたくなかった。

 

しかし辞めることになった。

隠れていたかったのに、という思いも上がった。

 

でもあの聖霊の導き、光、エクスパンションを感じ、

その流れに乗っていたい!という思いの方が強かった。

 

まったく自分のプランではなかったけれども。

 

しかし

次を探さなくては。

 

嫌な感情が上がってくる。

 

焦りや抵抗。

 

現場の職員さん達とも合わせる顔がない、、

恥ずかしいと思っていて、

できるだけ顔を見知っていた人がいないようなところを探そうとする。

 

隠れたい。

 

隠れていたい。

 

恥だから。

 

罪が明らかになるところには、触れたくない。

暗闇に隠れていたい。。

 

ところが、

聖霊が見てくれているからだろうか、、

 

愛を持って見たい!

問題集のテキストを開いてみたら、

ああこうやって愛を持って回答していけばよかったのか、、と分かったり、

 

テキストは体に関する記述が多いけれども、

身体としてお手伝いはするけれども、

 

愛としてひとつとして見たいんだ。

あなたを、愛を持って。

 

そんな感じが聖霊から伝わってくる。

 

そうすると、

私にとって

過去やらかしたと信じている罪悪感と恥、無価値感を見ていくことになる

重く暗い現場のはずなのに、

 

ああ、、こうやって愛を持って聖霊に見てもらいたい!

 

聖霊の愛から

この体をその場にいる利用者さんのために是非とも使っていただきたい、、!という思いが

ジワーーーと広がっていった。

 

一緒に働く職員さん達とも、

愛を持ってみる共に働く仲間なんだ、と思えてくる。

 

聖霊の愛を持って見たい、一緒にやりたい。

 

あり得ない。。。

そう思えることができる、感じることができるんだ!

 

聖霊に見てもらって、

聖霊がなさっていただくなら!

 

ありがたい。嬉しい。幸せだ!このままなら!

 

もう一度、

罪を犯したと信じている罪悪感に触れて、

 

そこで聖霊から正しい見方、

愛を持った見方で是非とも見て欲しい!

 

あまりにも私は見誤ってきたから。

 

そう思うようになった。

 

 

昨日の勉強会でそのことを話したら、

話している側から、

 

聖霊から

ありがとう。。!という幸せで愛が溢れてきた。

 

もうすでに、

そこにいて、聖霊から愛を与えてくれていて、

聖霊が愛を持って見てくれているのが伝わってきた。。

 

カースティン、フランシスリトリートでのカメラファンクションの時もそうだったけど、

ファンクションをやる前に、

 

先にああそういうことなんだ、、と

聖霊の愛と感謝を感じてしまうことがあるな、と思った。

 

のり子さんからすべて同時におこっているからだと言われ、

今すでに感じているのか、と教えてもらった。

 

すでに終わっているのか。

 

ありがたい。。

 

今こうして書いていて、泣く。

 

ファンクション中に佳苗さんの言動をきっかけにして怒りが湧いたことを

エクスプレスした。

 

結局、それは神に対しての怒りだった。

 

あなたがこのような私にした!

奪うだけ奪いやがって!と。

 

自分が分離を決断したことは無視している。

 

見たくない。

 

怒りが増幅してしまったように感じた。

そして罪悪感。

 

悲しい。

 

全体のために与えたいと言っておきながら、

意志しながら、

 

分離を長引かせるような、

怒りの正当化しまくりだった。

 

でもこうして、

今すべてが同時におこっている。ということを思い出させてもらい、

 

介護、ということにしたくて、

これから何か取り組んでいくんだ!と信じているけど、

 

実は

避けたいと思っている真我なるハートのメンバーや

ファンクションに対する抵抗や怒りも、

 

神に従いたくない!という思いにも、

 

もうすでに和解が起きていて

終わっているんだろうか、、。

 

すでに贖罪が終わっている、といわれるけど、

こういうことなのか?

 

 

これから聖霊から導かれた仕事に、

聖霊から見てもらい、なさしめてもらいたい!

 

仕事にはそう思えている。

 

だけど

ファンクションは意志しているけど避けたい、

そこで関わることによって出てくる感情は見たくないと思っている。

 

避けたくなる。

 

本当は

お金を得る仕事だけのことではなく

ファンクションやあらゆることを、

 

聖霊に委ねていく意欲を差し出していきたい。

 

ファンクションさせていただいて、ありがたい。

癒しや愛を感じて号泣したりする。

 

 

しかし、、、。

 

そうしたいと確かに望んで、

ファンクションに意志したはずなのに、、

 

聖霊や神に、

まったく委ねる気なんかないわ。。!

冗談じゃない!という思いばかりが浮上してくる。

 

激しい怒り、憎悪、殺意、無価値感、罪悪感。

恐れ。

 

正当化。

兄弟に投影しまくり。

 

自分が正しい!と言い張りたい。

 

昨日の勉強会がLive配信されると聞いて、

緊張したり、自由に発言できないという怒りも感じた。

 

本当に聖霊に尋ねるということをしたくない。

 

どのように聖霊が与えたいかなんて、

まったく聞くスペースを保てなかった。

 

全体に与えたいと思って意志したはずなのに、

 

字幕入れファンクションをやっている時の、

怒りについて蒸し返し始め、

 

もういい!宇宙もろとも爆破してやる、みたいな怒りが溢れてくる。

 

Jesusが間違えたんじゃないだろうか。

 

私がいない日にすれば、良かったと思う。と言って、

正当化と責任転嫁が止まらない。

 

 

だけれども、

昨日の勉強会で、

 

聖霊の愛と感謝を持って見ていただく見方を、

確かに奇跡を感じた。

 

だから、奇跡を選びたい。

 

ファンクションでコラボレーション、コミュニケーションをして

上がってくる感情は上がってくるけれども、

 

兄弟やファンクションに正当化するのをやめていきたい。

 

怒りに同一化したい。

 

ものすごい誘惑に駆られる。。

 

それでも、

一歩一歩。

 

そして聖霊がこうやって

私が信じてきた過去の思考を使って導いてくれているように、

 

見せてくれたように、

 

今この瞬間にある

奇跡を選びたいんだ!

 

奇跡を望む!

 

愛を望む!

 

 今。

 

Davidがこの動画で言っているように、

 

介護という現場でもどこでも、色々感情は上がると思うけれど、

私にはやっぱり奇跡が必要なんだ。

 

奇跡が絶対必要だ。。!

 

聖霊が与えてくれているんだ。

 

与えてほしい!

 

私が、暗闇を進んでいけるように。

 

 

昨日の勉強会でもそうであったように、

 

闇ばかりではとても前を向けないし、

聖霊に導かれたいなんて思えない。

 

神を信じて

聖霊を信じて大丈夫なんだ!

 

神を裏切ったと信じているけれども、

 

自分の決断を死ぬほど思い出したくないし、

見たくない感情が溢れるけれども、、

 

聖霊や神を

それだけを求める!

 

それだけが私の幸せなんだ!

 

そう信じている自分自身を

もう一度信じていけるように。

 

 

聖霊どうか奇跡を与えてください。

 

私が道を見誤らないように。

 

聖霊どうかあなたが見てください。

 

私は誤りしか見れない。

 

誤りを信じていることを、どうか知らしめてください。

 

あなたに助けを求めることができるように。

 

 

昨日の勉強会で、失敗したと信じています。

  

ですがもう一度、

あなたに耳を傾ける意欲を差し出します。

 

今日のレッスン106

私が静まって、真理に耳を傾けられますように。

 

 

ブログをどうやって書いたらいいか分からなくなっていた。

 

これでいいのか

続けていいのかも分からない。

 

どうしたらいいか分からない。

 

でも今は、

ありがたいと感じる。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

こう在れたら幸せだな

愛を与えたり、表現したら殺されると思っている。

 

みっともない。

 

情けない。

 

自分を殺したい。

 

それにかすりもしないほど値しないと信じている。。

 

 

それを信じないで!

 

内側がピカッと光った感じがして、

愛が響いてきた。

 

 

愛を与えるだけ。

 

 

私の泣き叫びを全部

一人にしないで

 

一人寂しく

外に追いやったままにしないで、

 

誰をも迎え入れてあげたい。

 

 

あなたは愛です。

 

あなたと私は愛で一つです。

 

 

どの瞬間も

 

ただそれだけを

 

聖霊と共に

 

あなたという私に教えるためにいる。

 

それを分かち合うためにいる。

 

 

ただそれだけのためにいる。

 

 

そう在れたら、、

 

 

本当に幸せだなあ。。

 

それ以外に、幸せはなんてないなあ。。

 

 

そうやって

私が誰なのかを思い出させてもらえるんだな。。

 

 

  

 

神の御心だけを望む

自分のプランになかったのに、

聖霊の大きな流れ、広がり、幸せを感じて

 

これに身を委ねる以外あり得ない!と思って、

 

仕事を辞めることを決めて分かったこと。

 

この世界で生きる人生に

神やコースを当てはめようとしていたんだ。

 

神に完全に委ねるなんて、

したくなかった。

 

じゃあ次の仕事は?

これはどうなる?

あれをやらなければならない。

 

そういう思考を手放すことなく、

聖霊に尋ねようとしている。

 

恐れているから、

そこから逃れるために。

 

 

恐れから指一本動かしたくないんだ。

 

そう動画でDavidが言っていたのを聞いて、

泣いた。

 

何度見ても泣く。

 

 

私には絶対無理だ。。

 

でも

この人生で、そうはっきり言い切れる人が現れていることの恩恵は

計り知れない。

 

 

でも、

そう生きることができるんだ。

 

恐れがあっても

立ち止まって、

 

そう決断することができるんだ。

 

私が。

 

 

 

できる?

私が?

 

Davidのことだと思っていた。

 

 

そう生きることに引かれているのは、

 

私が強く望んでいるから、だった。

 

 

そうやって

 

聖霊に導かれていって、

 

直面していく恐れの一つ一つを手放していきたい。

 

掴んできた思考や信念を手放していきたい。

 

 

なぜなら

 

私を満たすものは、

神の御心だけだから。

 

 

そうやって

神を信頼して、手放していきたい。

 

 

神の御心だけ。

 

 

それだけを

私は望む。

 

 

 

誘惑

一昨日、

 

ある人だけには、

辞めることを先に知らせておきたいと思って話をした。

 

すると

内緒にして欲しいと言ったのにも関わらず、

 

人がいるところで大きな声で話し始めたように

知覚した。

 

当人にとっては、ごく普通に話していた。

 

それがきっかけで、

 

ぎゃ!!と叫びを声をあげるように

瞬間的に

 

ものすごい恥をかかされた感覚、

怒り、

憎悪、

恐れがボンと溢れ出した。

 

心の中で、

その人に怒りをぶつけ続けた。

 

その人のせいにしたい。

 

正当化したい。

 

失敗したという自分への憎悪。

 

罪悪感。

 

私は被害者だ。

 

あなたに罪がある。

 

しばらく大噴出し続けた。

 

 

隠しておきたかったのに!

 

天国を破壊してしまった罪。

 

追いやったはずの罪。

 

忘れようとしていた罪。

 

一生懸命見ないように、

見ないようにして、

 

一つの体としての人生を

こなしてこなすことで、

 

追いやっていたことに成功していたはずなのに、

 

あなたのせいで顕わになってしまったじゃないか!

恥かかされてしまう!

無価値な惨めなものだと晒されてしまう!

 

未来にそれが起こるに違いない。

私はなんと愚かなのだろう。

こんな失敗をしてしまった。

 

そう信じている。

 

Instrument for peaceをやる。

 

この感覚。

 

 

綺麗に行動したい。

自分の思い通りにことが進むようにしたい。

静かにキレイに、波風たたせることなく何事もなくしておきたい。

 

そうすれば

 

隠したい罪、

自分の汚さ、醜さを隠していられる。

 

だからうまくいかないかもしれないということになると、

危機感、恐れを感じる。

 

都合の良いように人を利用している。

 

良い関係を保ってていると自分で自分を騙す。

 

そして危うい目に遭わせられたと感じるや否や、

手のひらを返したように、攻撃する。

 

人も環境も

ただ利用したいだけ。

 

すべての自分の行動や言動の動機。

 

 

そうだったな。

 

インタビューの体験から、

この人生、

この体、すべてがスピンだった。と教えてくれたのに。

 

また忘れていた。

 

これがきっかけで、

また気づかせてくれた。

 

最初はその人に投影していたけれど、

 

相手とか世界ではなく、

自分の行動の動機の元だったと分かった時、

 

もはやその人だけに原因はなかった。

 

 

それに気づかせてくれて

ありがとう。

 

 

Davidとフランシスの動画の一節

 

海に猛毒の罪悪感を流し入れて、薄めてすすり飲んでいる。

 

がふと思い出された。

 

 

先日、

体ではないなら、そんな幸せなことない!と感じた。

 

今回は、

体だと信じたいと思っている

 

欲しているんだということを見た。

 

自分の奥深くに追いやって隠すことに成功している何か。。

 

罪悪感、無価値感。醜さ。恥。恐れ。

 

それをとにかく見ないように、見ないようにするために

そこから逃れるために

 

とにかくこの恐怖から逃れるために

 

体だと信じていて、

 

人生を

日々をうまくこなすことで、

スライドさせることで、

 

隠すことに成功している。

 

そうしてきたんだな。

 

 

さっき、

夜中もいいところだけど

気を逸らしたくなったのか、、チョコパイを食べたくなった。

 

すごく食べたい!

 

うーーん。。

 

待てよ。

 

これも聞くのか。

 

う。。

食べたい!

 

食べるなんて、すぐ終わるじゃないか。

誰も文句言わないのに。

 

 

聖霊

聞いてみよう。

 

 

聖霊が何と言っているのか

分からなかった。

 

 

だけど次の瞬間、

のり子さんの勉強会で言っていたことがふっとよぎった。

 

そしてなぜか自分の両手を開いて差し出した。

 

マトリックスの1シーン。

 

red pillとblue pill

 

 

今、どちらを選びますか?

 

 

マトリックスの別の1シーンを思い出した。

 

裏切った人が

それは幻だと分かっていて、

 

それを俺は選ぶんだ。

それでいいんだ。みたいなことを言って、

 

ステーキをほおばるシーンが浮かんだ。

 

偽物だと分かっていてもそれでいい。

こちらを選ぶ。というようなことを言っていたな。。

 

 

今、目の前にあるチョコパイ。

 

これもか。

 

しかし食べたい。。

飛びつきたい。

 

 

「誘惑」

 

 

いや。

 

あの広がり。

幸せ。平安。委ねる感覚。。

 

聖霊を選びたい!

 

神の平安と愛を選びたい!

 

 

今は食べる感じじゃない気がしてきた。

 

 

そう思ってやめた。

 

 

その欲求に囚われていたから苦しかった、という感じがして、

ほっとした。

 

 

勉強会で、

 

 

全部、「誘惑」なの!

 

 

そう言っていた。

 

 

突然その飛びつくような誘惑に駆られたけれども、

立ち止まってみる。

 

聖霊は何と言っているだろう?

 

その勇気。意欲。

 

大したことないことかもしれない。

 

だけど、

チョコパイ1個から、

とてもわかりやすく聖霊から教えてもらえてありがたかった。

 

この誘惑に気づいて、

立ち止まって聖霊を求めていきたい。

 

分離したいという欲求、誘惑。。

 

普段、

全然気づいていない!

 

 

いつもいつも誘惑に突進している。

 

それが幸せだと信じてきたけど、

なんなくこなすことで、何事もないと信じている時も、

 

恐れにまみれていたのだと思う。

 

今、何を感じているか?

 

耳を澄ませたい。

 

 

勉強会で教えてくれたように、

 

いかに責任転嫁しているか

 

責任転嫁しかしていないということを

 

素直に

聖霊と一緒にごまかさずに認めていきたい。

 

 

自分一人で決めたい欲求、誘惑が半端ない。。

 

 

自分一人で決めないでね。

 

 

そう言われたように感じた。

 

 

聖霊、どうか導いてください。 

あなたの強さを見せてください。