私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうかあなたに打ち明けさせてください。

赤ちゃんのように愛されている神の子

賢太さんのブログ

welcomejwithintention.hatenablog.com

 

三脚を返しに行く場所の最寄駅は、原宿だった。

 

原宿といえば、10代の若者の街というジャッジがあり、

ここに来たのも30年ぶりだった。

 

待っていると、若い人たちがどんどん増えてきた。

 

賢太さんと二人でまずどのように三脚を持ち、どの道を通っていくか祈る。

 

祈ると、

竹下通りを二人で三脚を左右から片手ずつ持って、通っていくという感じがする。

 

Google Mapの検索した道ではなかった。

遠回りになる。

 

だけど聖霊から推されていると感じるのは、

やはりGoogle Mapの示した道ではなく、

遠回りなうえ、若い人たちがたくさん歩いている竹下通りだった。

 

感じた通りに、二人が両サイドから三脚の持ち手を持って、持ち上げた。

 

「軽い!」

思わず二人で声に出した。

 

こんなに軽いとは思わなかった。

 

二人とも一人で持って歩いたことがあるので、

重さは体でわかっていた。

 

一人で持つとあんなの重いのに、

二人で持つとこんなに軽くなるのか、、。

 

一人で背負わない。

昨日、聖霊からそう感じたけど、こういうことなのか。

 

賢太さんが少し早く歩いているように感じるので、

歩調も合わせる感じがする、と言った。

言うことに罪悪感を感じていたけれど。

 

ピンクとかゴールドとか、原色の派手な色使いの店や洋服、小物、クレープなどを見ながら歩く。

 

私はこの手の原色が苦手だった。

 

目を伏せたくなる。

恥ずかしくなってくる。

 

しかし、通りの入り口からすでにバーンとピンクや黄色などの原色のモチーフで溢れていた。

 

決して若くないおじさんとおばさんが、

二人で何やら長細い重そうなバッグを持って若者の街を歩いているという(笑)

きっと周りから見たら不思議な光景なんだろうな、、とチラッと思ったけど、

 

それでも

色々な街の風景、私一人では絶対来ないような若者の街を、

 

心は広がっていて、周りの目は気にならず、歩いていった。

嬉しさの方が優っていた。

 

こうして同じ目的を持った兄弟と

三脚に仕えて歩いていることが、嬉しかった。

 

行きの電車で、あの重い三脚バックを一人で抱えて歩いてきた時も、

周囲の目などまったく気にならず、

重い三脚を運ばせてもらえることに喜びを感じていて、嬉しかった。

 

抱えて電車から降りる時は、カップルが邪魔しないように私をよけてくれた。

そのように見えた。

ありがたい、そう思った。

 

竹下通りを歩くときも、同じように感じていた。

ありがたい。

 

袋の持ち手を持つ高さも、二人で合わせる感じがする。

心で。

 

腕が疲れてくると、

何も言わないのに、賢太さんから左右ポジションを逆にしようと言ってくれた。

 

そんな方法があるのか!

確かに楽だ。。

 

どこか、私は腕が痺れて痛くても平気なんだもん!

平気。できるもん!と強がっていたので、

正直、悔しさを感じつつも、腕が楽になってありがたかった。

 

雨が降ってくると、

傘を指す感じがする、と賢太さんが言った。

 

立ち止まり、傘をさす。

祈るとそのようにすると感じた。

 

ここでも、

私は濡れても構わないのよ!という意地っ張りみたいな思いがあった。

三脚が濡れるのは困る。それもあったけど、

 

それは言い訳で、

雨なんか大したことない。私は濡れたってしょうがない。いいんだ。

私は平気だもん!と、、意地を張っていた。

 

傘をさされると嬉しかった。

 

三脚を返し終わり、祈る。

これからどういう感じがするか。

 

罪悪感を感じていた。

報告することを報告する方が良いと思っていた。

 

それをしてから、もう一度祈る、と聞いてほっとする。

 

帰り道、とても解放された感じで、

同じ道を歩いているとは思えなかった。

雨も止んでいた。

 

右が竹下通りで元きた道、と言う分岐に差し掛かった時、

足が止まった。

どっちに行く感じがするか、二人で祈る。

 

なぜか全く関係なさそうな目の前の道を、真っ直ぐ行く感じがした。

どうにも、真っ直ぐに行く感じがする。

なぜかはまったく分からない。。

 

何か間違ったことをしてしまう気がして、これを言うことに罪悪感を感じたけど、

賢太さんに

「まっすぐ行く感じがする。」と打ち明けた。

 

すると賢太さんも

真っ直ぐに行く感じがする、と言った。

 

私は恐れと不安を感じながらも、

二人で道路を渡り、真っ直ぐに進む。

 

すると賢太さんが、

あの黄色の看板が気になる。と言ってきた。

 

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私も気になったけど、

カフェか何か?と何の店か知ろうとしていなくて、何歩か通り過ぎてしまった。

 

賢太さんが

「今の店、赤ちゃんの洋服の店みたいだね」というようなことを言ってくれたけど、

まだ私はそこがどういう店なのか、あやふやなまま早く通り過ぎたい、

先に何かあるに違いない、、というような

そこに留まりたくない感じがあった。

 

さらに、

言葉は違うかもしれないけど、

「赤ちゃんがいたけど、あれ、私なんだよね」というようなことを言ってきた。

 

何の話をしているのかまだ理解できずにいて、

指摘されてウインドーの中を覗くと、

赤ちゃんの洋服の店のようで、洋服を着た赤ちゃんの人形がディスプレイとして飾られていたのにようやく気づいた。

 

ああ、、赤ちゃんだ。。

ちょっと待て。

え、あれが私!?

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賢太さんに、

「え?あれが私なの?」と言った。

 

驚いた。と同時に、

私が赤ちゃんと認めたくなかった。

私が赤ちゃんなはずがない。

 

何だか屈辱的に感じた。

悔しい、認めたくない。

 

ところが、その赤ちゃんの人形の写真を撮りたいな、、と感じ始めた。

え?、、、そんな感情が湧きてきたことにも驚く。

 

あの写真とってもいいかな?と打ち明けたら、

お店の人に許可を得た方がいいと言われた。

 

そうだな。

 

とても怖くなってきた。

 

写真撮ってもいいですか?

そう聞くだけなのに、、

罪悪感と殺されるような恐れを感じ始めて、躊躇する。

 

結果撮れなかったとしても、聞くだけだからと促されたけど、

そう聞くことに恐れを感じていた。

 

恐ろしい。

 

それでも、心の内側から響いてきた声は、

「私と一緒に聞いてごらん」だった。

 

そうか、、。

聖霊と一緒に聞こう。

 

店に入った。

 

店に入った途端、、

お店に一人、お姉さんが座っていて、話しかけてくれた。

 

赤ちゃんの涎掛けや、つなぎや、靴下。

肌触りが気持ちよさそうな、

オーガニックコットンのまっさらな白、茶色、肌色の

赤ちゃんに着せてあげる可愛らしいつなぎが、壁に並んでかけられているのを見て、

 

涙が溢れてきた。

 

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愛らしい

愛おしい

慈しみ

 

愛されているのを感じた。

 

慈しまれている。

優しい思いに包まれていた。

 

 

お店の人が見ていたけど、

涙は止められなかった。

 

神の愛を感じていた。

 

私は赤ちゃんで、

神の子で、

神に愛されている。

 

店内の可愛らしい赤ちゃんの靴や、靴下、つなぎなどを

一つ一つ丁寧に心を込めて作られているのを感じ、

 

神という親からこれほど愛されているという思いを感じて、

 

お店の人が服の説明してくれるのを聞いていたのか聞いていなかったのか、

ほとんど耳に入っていなかったけれど、、

どれほど愛を込めているのか、を語ってくれていたんだと思う。

 

私たちに向けられている、神の愛や慈しみを感じて泣いていた。

 

神に愛されている。

優しく慈しまれ、抱きしめられている。

 

そんな感じだった。

 

お店の人は、写真を撮ることを喜んでいいですよ、と言ってくれた。

 

店内にある、可愛らしい赤ちゃんの商品の写真を撮らせていただいた。

 

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HOROは馬車の屋根の布のことで
FAMIRICは家族の造語だそう。

馬車の屋根の布のように、家族みんなを温かく守り、愛しんでくれている。

 

神の子を慈しみ、守る愛

神そのもの。

 

ありがたかった。

 

お店の方も丁寧に説明してくださって、

訳もわからず泣いてる私が癒されますと話すと、笑ってありのままでいてくれた。

 

受け入れてくれて、ありがとう。

 

お店の方が、オーナーさんがこの辺りの店をまとめたMAPを見せてくれた。

オーナーさんが良いと思った店を、自分だけ知ってればいい、と自分だけものにせず、

オープンにして、こうしてみんなに共有してくれる思いがありがたい。

 

ここまだ行ったことないけど、とあるカフェを勧めてくれた。

 

店を出ると

心なしか賢太さんが、先程紹介されたカフェと反対方向に足が向いているように感じた。

 

私はあのカフェに行くしか選択肢がないように感じていたが、

それについて行きそうになる。

心が不安げで泣きそうになる。

 

しばし立ち止まる。

あのカフェに行く感じがする、と思い切って打ち明ける。

 

すると、

そのカフェに行く気だったけど、こっちだと思っていた、と言ってくれた。

 

そうだったのか、、。

私は被害者意識があって、反対方向に行かされると無意識に感じ、

恐れと不安を感じていた。勝手に。

 

本当に順子だけの思い込みの世界に住んでいる。

 

打ち明けて見ないと、本当に分からない。

こうだろう、ああだろう、というただの思い込みの中にいることに。

 

それが私だと信じていることに。

 

ありがとう。

 

二人で一致して、店へ向かった。

 

原宿?らしいおしゃれなお店で、

どのテーブルに座るかを二人で祈り、テラス席に座る。

 

この場に設置された二つの神の三脚。

私たち。

 

三脚が、私こう思っている、私は特別だと主張したい思いを打ち明ける。

打ち明けて手放し、どうぞお使いください、と神の手に委ねる。

 

順子には全くわからない。

このファンクションはどちらか一人が三脚を受け取り、返すだけ。と思っていた。

こうなるとは思ってもみなかった。

 

二人で祈り、打ち明ける。

 

自分の中で一致しないなら、立ち止まる。

 

一致させたくないと思っている、

自分の中の思いや考えを隠さずに打ち明ける。

 

恥、不安、恐れ、罪悪感、

相手を攻撃してしまうかもしれない思い、

どんなにダサくてみっともないと思うような考えのすべてを打ち明ける。

 

これを持っていることを望まず、

一つの心に一致することを望むから。

神に導かれたい、平安で幸せでありたいから。

 

打ち明けて手放した後、

もう一度、一つの心に合わせて祈る。

 

一致を感じたら、初めてそこから動いていく。

 

それだけを繰り返す。

 

信頼する。

 

その結果、ふたつに見える三脚に打ち砕きと気づきが与えられ、

神に愛されているただの三脚として、

道具として、

ただそこに、神に置かれていることに幸せを感じていた。

 

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オーナーさんが紹介してくれたお店のMAP

 

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自由でありたい。

昨日から感じていた。

 

何ものにも囚われず、思考に囚われず、この空のように無限に広がっていきたい。

 

ガイダンスに従った結果、今の仕事をしている。

多くの高齢者の方々の手足として動かされることに、疲れたり腰が痛くなっても、

それ以上のものを与えられているので、嬉しくてありがたい。

 

動かせなくなった体のケアをしつつ、それと同時に、

あなたは心なんだ。

いつも一緒にいるよ。と聖霊からの答えを

目の前の方々と一緒に受け取らせていただく、ありがたい機会を与えられている。

 

コミュ障、引きこもりな私にはあり得ないことだ。

 

だけども昨日、

一日中大きな声でしゃべり、歩き回って動いている仕事のスタイルに翻弄されている感覚と、

心地よい風が風くテラスで

賢太さんのゆったり構えて待ってくれていた時のギャップがすごくて、

いいな、羨ましい、自由になりたいと思った。

 

それもとてもありがたい。

 

環境のせいじゃないんだよね。きっと。

 

今、自由でありたい。

時間とか場所とか、全く関係ないんだ。

 

この空に浮かぶ雲のように、

流されていきたい。

 

リュック一つで、神の御心ままに流され、行かされ、

自由でありたい。

 

前からリュックは欲しかった。

自分はノートパソコンのくせに、デスクトップみたいに家で張り付いた使い方しかしていない。

PCが入るクッション材入りのリュックがあるよ、と教えてくれた。

 

賢太さんがいろんなところでPCを持って仕事したりするのを見て、

いいな、、と思っていた。

 

そうか。

家に張り付かなくて、良いんだ。

よく家族にうるさいな、、と思ったりしたけど、

私が出ていけば良いんじゃないか。

 

自分で自分を幽閉してるな。

必ずこうしなきゃいけない、って。

 

昨日と今日、祈り、

???どうしてそうなんだ?と当たり前に信じてきた思考とガイダンスが違うので、

疑いや不安がありながらも、

広がりや嬉しさ、喜びに引かれることを口に出して、

そっちがいい、と仲間とともに勇気を持って決断して動いていった結果、

癒しと広がり、自由を感じさせてもらえているように、

 

これからも、そうしていきたい。

 

ああ、自由でありたいな。

 

目の前にいる賢太さんのTシャツが、

さっきの赤ちゃんの店に飾ってあった、あの赤ちゃんのつなぎに見えてきた。(笑)

 

一番肌触りが良いTシャツを選んだそうだ。

 

神の愛。

 

心地良さそうな、コットンの。肌触りが良くて、

愛に包まれて愛しまれている神の子。

 

慈しまれているのを感じていた。

 

 

賢太さんがお店を出て、一旦立ち止まる。

 

そうだ。同じ道を通って帰るとは限らない。

私たち三脚は、神のプランに従っていくのだから。

 

私たちをどこに向かわせようとしていますか?

神に祈る。

 

同じ道を通って帰るのだろうとか、

当たり前に順子の考えの通りに動き出そうとするのに気づく。

 

それをもう、辞めていきたい。

自由で、幸せでありたいから。

 

お互い感じたことを口にする。

元来た道を帰るような感じがした。

 

帰り道。

 

先ほどとまったく別の日、別の時間、別の場所を歩いているような感覚だった。

 

言葉が違うかもしれないけど、どことも同じではない。

同じ道を歩いているような感覚ではなかった。

 

竹下通りを歩く感じがする、と二人で来た道を戻っていく。

 

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重い三脚もなく、軽くなって戻っていく。

スタートの竹下通りの入り口、門に向かって、

天国の門に向かって帰っていくような感じがした。

 

ありがとう。

 

 

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帰りに駅に着いたときに撮った竹下通りの入り口

 

 

駅に着くと、この後どう感じるか祈る。

 

賢太さんは渋谷駅へ歩いていく感じがしたようだ。

 

私は一瞬、寂しさと悲しみを感じた。

ずっと肉体として一緒にいたいというお馴染みの感覚。

それを通り過ぎさせる。

 

私は電車に乗るような感じがした。

一致と安心感、広がりを感じる。

 

ここで別れた。

 

 

二人で祈って行くことになった、あのNeelというお店の名前、

どこかで聞いたことあるな、、と引っかかっていた。

 

帰りに一人になって、

TENETの主人公の黒人の相棒の名前が、ニールだったことを思い出した。

 

仲間、と浮かぶ。

 

マイティコンパニオン、ではない。

 

『仲間』

 

力強い響き。

 

仲間って本当にありがたい。。

私一人では本当に何もできません。

 

賢太さん、一緒に立ち止まり祈ってくれて、

本当にありがとうございます。

 

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