私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

冗談じゃない

Jesus

一昨日、昨日にかけて

 

あなたによって浮かび上がったことがあります。

 

あることをきっかけに、

映画のあの4足の靴のチームに対して、

 

冗談じゃないよ。

なんであなた達の話を聞かなきゃなんないんだよ。

聞きたくねえよ。

という思いがあります。

 

全く関わりたくねえよ。

勝手にやって欲しい。

 

知らぬふりしていたい。

 

勝てない

負けるくらいなら、

死んだ方がマシ。

 

勝てない。

それがわかっているから、

近づきたくない。

身の危険を感じる。

 

そんな感じです。

 

ここで色々祈ったり、

意欲を差し出したことは全部白紙に戻して、

 

え?

奇跡講座なんでしたっけ?

聖霊なんだっけ、、と平気でシラを切る。

 

いつもだけど

奇跡講座のフレーズ、用語、

頭からからっきし、なしにしてしまう。

記憶に留めたくない。

 

情けない、ダメだな、、と思いつつ、

順子レベルは全然ダメ

全くダメでいいから逃げたい。

 

他のみんなは一つになったとしても、

私は逃げさせてもらいます。

 

いつもそう思っています。

 

しかし、

これに触れたのも、

兄弟という聖霊に差し出されたからであって

 

このような無価値感や罪悪感をずっと感じていて

そこに触れられたくないから世界とそこに映る全員のせいにしている

ということに

私自身が触れられることはまずないと思いました。

 

神に、真実に関わるところは

一番避けたいところです。

 

あれに触れたくない。

 

負けたら死ぬ。

どっかで負けだって、分かっている。

恥を感じるし、

罪を感じるし、

隠していたいのに

強烈なスポットライトで炙り出される、

底無しに沈んでいく感じ。

 

しかしそこを避けて通れないなら、

通っていくしかないのですね。

 

聖霊に尋ねたり、聞きたくない。

 

何度聞いても

やっぱり避けたい。

 

体験させてもらった聖霊との一体感や

幸せ、喜びを瞬間瞬間、忘れたくて忘れている。

 

そういえば、

自分で書いたブログを読み返すことはあまりない。

 

これはすごく嫌だ。

 

今、思っている以上に嫌がっていることがわかった。

 

 

向こう側は誰もいないから

自分のために書いているんだよ、と言われたことがある。

 

 

思い出すことが嫌なんです。

 

忘れたい。

 

愛を恐れています。

 

聖霊、あなたに

もう一度

兄弟が誰か思い出したい意欲を差し出したいです。

 

 

ありがとう。