私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

それは私ではない

最近、職場で同じ時間帯に働く人が、新しく入ってきた。

 

回転が速く、絶えず店内の状況を気にしながら身体を動かなければならないうえ、

シフトの3人が助け合いながら、それぞれ牽制しながら動かないと、

相手の足を引っ張ってしまう。

 

慣れれば全然たいしたことないんだけど、

 

今回入ってきた人は60代だ。

 

 

20代30代がほとんどの職場で、

 

少し大変そうに見える。

 

 

上がってくる思考は、

 

「自分たちは、早く動けるのに。。

 

俺はできる。

俺は勝った。」

 

で、相手を殺す。(マウントポジション、ゲット。)

そして、責める。

 

とどめは

ガンダムで踏みつぶす。

 

 

しかも、

たばこの銘柄がなかなか覚えられないようだ。

 

いや、

何度も何度も何度もやってるのに、、、、

覚えようとしてない。

 

 

頼むよ。

やる気あんのかよ!

他のことなら全然構わないが、

これは最低限、やらなきゃならない「仕事」なんだよ!

 

 

身体をスムーズに動かせない人を見ると、

すぐに攻撃したくなる。

 

身体が動かないと、自由ではない。という信念があって、

私が恐れを抱いているからだ。

 

自分が、赦せない。

 

神と離れてしまった。

それはわたしのせいだ。と思っている。

 

そうしてしまったのは、わたしだ。と。

 

 

身体が動かせる、動かせないに執着しているのは、

前から気づいていた。

 

 

あと、覚えられない。というのも、

彼女のせいにしていて、

思いっきり、わたしだ。とも思っていた。

 

本当に、いろんなことを、すぐ忘れてしまうからだ。

 

自分が赦せなくて、彼女を攻撃していた。

 

天国を忘れてしまったわたしを、赦せなかったんだ。

 

 

しかし、、

 

覚える、とか考えるとか

認識器官、言語器官

 

これも、わたしではない。と言う。

 

 

さっき、

ラマナの「私は誰か?」を聞いていた。

 

 

ふと耳に入ったのは、

「七つの要素から成る粗大な身体、それは私ではない。」

だった。

 

 

「私ではない。」

 

 

。。。

 

 

そうか、、、、

 

 

身体って、わたしではないんだ。。

 

 

 

早く動ける! よっしゃ!

と思っていた、その身体、、、

 

 

わたしではないんだ。。

 

 

今まで、

動ける身体を

「これは私のものだーーー!!いいだろーー」

と本気で思っていた。

 

そして、動けない。という意味づけをした人に対して、

 

私が生きるために、死んでもらっていた。

助けてあげる、という良い人の仮面を被って。

 

 

その身体が、

良いのでもなく、悪いのでもなく、、、

 

 

「それは私ではない。」

 

 

 

そうか。

 

そうだったのか。

 

 

それは私ではなかったんだ。

 

 

それを、素直に受け入れられた。

 

 

そうしたら、

60代の新人さんへの憎しみが、

すーーーっと消えていった。

 

 

対象から切り離され、

心の矢印が、

真我へと向きを変える。

 

  

私は身体ではない。

 

 

わたしは誰か??