私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

洗礼者ヨハネ

自分が忘れない為に。。

 

五井先生の本で、洗礼者ヨハネのことを知った。

 

髪はぼうぼう、髭で顔中おおわれ、眼光炯々として人を射る風貌のヨハネ

 

ヨルダン川で獅子吼して、群衆はその雄型に聞きほれていた。

 

その時のイエス

いまだ定からなぬ自己の行く道を切り開いてくれる偉大なる人のあることを信じながら、その人を探し求めていた。

 

ヨハネはイエスが群衆の中から見出した時、一瞬で霊交が行われ、ヨハネはこの人こそが光そのものであるメシアである、キリストであると直感した。

 

エスに洗礼を施した方で、

エスの頭上に輝く大円光を見て

ヨハネには相当数の弟子がいたにもかかわらず、

 

弟子に向かって

エスに従って行け。彼は私より偉い師なのだから、

といって、しきりにすすめた。

 

エスの方は、我が行く道を指し示し下さる大先輩であると直覚した。

 

ヨハネは群衆に向かって、

この人こそメシアであって、私はその靴の紐を解くにも足らぬ者だ、とイエスがメシアであることを宣言した。

 

エスほどの体聖でも、自分の立場をはっきり是認してくれる人、自分の行く道を示してくれる人を求めていたわけで、その人が洗礼者ヨハネだったわけです。

 

エスヨハネは女の生める最大の人である。といい、キリストの教えにとっても絶対に忘れ得られぬ人であるわけです。

 

五井先生 聖書講義よりところどころ抜粋〜

 

五井先生によると、ヨハネは奇跡を見せることもでき、とてもとても偉かった。

エスと同じように神の子としての真理を表すための神の化身だった。

弟子もたくさんいたし、

群衆に真理を説いていた。

 

エスが現れた、

まさにその時、

 

なんの躊躇もなく、

 

エスについていけと弟子に言った。

 

一瞬で、

自分が成していたことをすべて白紙にし、

弟子にイエスについていくように言った。

 

ただただ、神の御心のままに。

 

そして、キリスト教が世界中に広まり、今に至る。

 

最後にはヘロデヤの娘の願いで、ヘロデ王に首を切られるという悲惨な運命をたどる。

 

ヨハネ本人は、

神の道を正しくこの世に開こうという気持ちだけだったので、

肉体身の意識など忘れていたのだから、

死に方などまったく問題にしていなかったようです。

 

この話を聞いたときは、

確か映画「沈黙」を何度も観ていた頃だったように思う。

ロドリゴの土下座する心の姿勢から

勉強会や合宿で、「降参」を何度も教えられていた。

 

ヨハネ様、、

 

その時、自我的な見方だったので、

「降参」の話に聞こえた。

 

何度何度号泣したことだろう。。!

 

自我の私が言う。

 

私だったら、

こんなことできるだろうか???

 

何にもできない人ならともかく、

神の真理そのままに奇跡も起こせるとてもとても偉い人だ。

 

エスが現れた瞬間、

神のご意志を悟り、

 

自分は退いた。

 

なんの、躊躇もなく。

 

まったく、自己の天命の道を外れなかった。

 

自我まみれの私はこう言った、

「わたしには絶対絶対できない!!

 退くなんて!

 わたしだってできるのに!」

 

俺は偉いんだ。

お前に道は譲らない!

俺は正しいんだ。

負けたくない!

そればかり言うだろう。

 

でもヨハネ様は、

自分の天命を信じ、分かっていて、

最後まで神のご意志そのままに「はい」という毅然とした態度で、

首を切られるなんていうことは、まったくものともしなかった。

 

 

果たしてそんなことできるだろうか?

 

なんという、

なんという、

神を愛する姿勢なのだろう!!

 

この方がいなければ、

奇跡講座すら手にしていなかったかもしれない!

 

しかも、

エスより一般的に名が知られていない!

 

エスを前面にだしたことが今につながっているだろうけれど、

この方の貢献について、あまりに知られなさすぎる。

 

五井先生とイエスは、女の生める人で最大の人である。とヨハネのことをおっしゃっているが、まったくもって、その通りだと思う。

 

神に対する、献身の姿勢。

 

自分の天命はここにあり、と

全く疑わない、

神をまっすぐに信じきった姿勢。

 

本人は、覚醒してたんでしょう?

それぐらい問題なかったんだよ。という人もいるかもしれない。

 

でも

この話を知ったとき、

「降参」しようとしない、勝とうとしている私、が

今まで以上に浮彫になっていたときだった。

 

ヨハネ様の

神に対する素直で、まったく疑わない信じる姿勢、

自分の天命を全うする道からまったく外れない不動の心、

 

そのような御心をあらわしてくださった。

 

ああ、私となんという違いなのだろう!!

あまりの自分との違いに、

ほぼ毎日土下座しまくりで、

泣きまくっていた。。

 

なんという、

まっすぐな御心なのだろう。。

世間の陽のあたらぬところで、

自分の天命を全うすることだけに専心する強い御心。。

 

野心家で

目立たないと不服で

のしあがりたい。

そのくせ

使命、から逃げようとする自我的な私には

 

あまりに衝撃で、

そして感謝しても感謝しきれないほどのお話でした。

 

今、ここにある私。

私にも天命がある。

 

全うするために、ここにいる。

 

なのに、

 

置かれた状況や、家族、それに対し払いのけようとする。

こんなんじゃない。

こんなのは嫌だ。

払いのけた先に、きっと輝かしい目覚めが待っていると期待する。

 

旦那さんを、迎え入れようとしていない。

ご飯を作ろうとすると面倒だな、嫌だなと思って、

自分の好みのものばかり作る。

 

家族に貢献するのと、

他の人に貢献するのに、何の違いがあるのだろうか?

すべてはわたし、なのに。

 

自分の天命を忘れている。

 

わたしの天命を全うさせるために

今この状況を神様が差し出してくれているということを忘れている。

 

ああ、そうだった。

 

私が間違っていました。

 

また、

ヨハネ様の姿勢を思い返す。

 

 

私たちの天命が全うされますように。

沈黙。

神様有難うございます。