私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

選択の余地はなかった

2017.07.15

 

嫌~な知覚、思考、

私の中心に

自分がつくりだした

私と世界、

 

まるごと

私の中心へ迎え入れます。という在り方でいると、

 

思考する意味がないし、

思考できない。

 

迎え入れることしかできなかった。

 

選択の余地がなかった。

 

 

のりちゃんねるを見ていて、出てきた思考。

「私が先に気づいていたんだよ~!

これは”私”の気づきであり、”私”の手柄だ!すごいだろ~!!

もっと褒めろや。」

 

Nさん、有難うございます(*´Д`)と

謙虚さを装いながら、

 

気づかない奥のほう~~で、、

 

「俺様は勝った!!」

相手を殺して、

神に勝とうとする気満々だった。

 

気づいたところで、

 

殺そうとしていた私を迎え入れた。

 

 

やっぱり、

沈黙のロドリゴのシーンを見たときの

インスピレーションが思い出される。

 

のりちゃんねるでも言ってた。

 

 

「私は正しさよりも幸福を望む。」

だから、

 

神と私について、

=この世界のすべてにおいて

 

「自分が完全に間違っていたことを望む。」

 

負けを認める。

 

そして神と聖霊

俺様、

自分が作り出したこの世界を迎え入れる。

 

あとは沈黙。

 

 

それをやっていくと、

 

全くなにもなかった

 

ただ、在るという感じになる。

 

 

6月〜7月の合宿で、一番に感じたこと。

「奇跡講座を2014年から学んできたが、

 

学べたつもりでいた。

わかったつもりでいた。

進んでいたつもりでいた。

人より愛が大きくなった、

私は学んだのだから、人より大きな愛になったのだ。

 と思っていた。

 

結局

神に勝つためにやっていたのだった。

 

 

昨年から継続して合宿に参加して、

今わかったことは、

 

私は、

「「奇跡講座の書いてある内容を全く理解できなかった。」し、

 

「書いてあることのただの一つもできていなかった。」

 

全く、一つもできていなかった。

 

「私」には何もできない

 

ということを受け入れるため。」に

 

奇跡講座を学ぶ必要があったのだ。

 

 

負けを認めた。

 

 

それを認めると、

私、が平安であることに気づく。

  

学ぶと言って

神になり替わろうとしていた

 

野望に気づいて、

迎え入れる=分離の想念を取り除く

必要があったんだ。

 

すべてが恩寵なんだな。

有難うございます。

 

 やっと、

受け入れる状態になった感じ。

 

目くらだったんだ。