私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

未知な生き方

私がはっきりと

その時に何を思っていたのか、感じていたかをspeak upしなかったので

 

陽子ちゃんに誤解させてしまった。

 

そこからお互いに感じたことのやりとりがあったけど、

陽子ちゃんと聖霊の助けで話す機会が与えられた。

 

私は本当に

隠れる、隠す、曖昧にする、言わない。

 

自分が何を感じ、思っているかを

その瞬間、隠さずに口にしていく生き方なんてしたことない。

 

だけどそれを求められているし、

これからそうしていかないと

こんがらがってしまうことになるんだ、と思った。

 

聖霊に聞いて従ったうえで。

 

兄弟や聖霊が収めてくれることは信頼するけれど、

とても遠回りになり、時間の遅延になる。

 

自分が自分自身に隠したり曖昧にすることで。

 

未知な生き方だ。。

 

人間じゃない生き方。

 

正直にいること。

 

隠さずにいること。

 

感じたことや思ったことを話す価値があるんだよ。と陽子ちゃんに言われた。

 

ファンクションは

人間として君臨しようとして何かを言おうとかしようと「考えた」時点で

その瞬間、もう違う。

 

本当に聖霊に尋ねて従う、

聖霊になさしめていただく以外ない。

 

私は全部間違っている。

 

人間のやり方は一切通用しなくて、

私は分離していたいというところしか動いていない、考えられない。

それしか考えていない。

 

スピリットとしてしか近寄れない。

そんな感じがして躊躇している。

 

身の回りのことの小さなこともどんどん聖霊に尋ねて聞いていかないと、

後から結局もう一度尋ねることになる。

 

曖昧にしたり、保留にしたり、後回しにすると

どんどん聖霊に尋ねることが溜まっていく。

 

暴走するのをストップして、一つ一つ聖霊に尋ねる。

 

私にはわからないけど、

何が私の安全地帯なのか聖霊は知っているらしい。

 

 

人間じみたやり方は辞めるんだ。

 

 

 

常識について私の正しさよりも神を一番にする②

コロナワクチン接種。

 

え!当たり前だよね!?

 

当然だと思っていた。

 

だから、もう辞めたところで証明書をもらう予定だったが

辞めたので次の職場で、と考えていた。

 

ところが色々葛藤し、

いろんな信念を見ていくうちに、

 

受けることを言うと、なんで他で受けると言ってたのにそうするのか、と

辞めたのがバレてしまい、出勤日数を増やされてしまう、とか。

 

自由がなくなる被害者、拘束される私は身体だ。

罪ある者だ。

そう信じている。

 

自分は接種するのが当たり前だと考えているけど、

この信念を疑うってことなのか?

 

受けるの当たり前だよね!?

 

加害者になりたくない。

職業的にもしそうなったら、なぜあの時受けなかったのか?と全員から責められるのが怖い。

 

だから当然だと思っていた。

 

その常識を疑うんだよ。

 

。。。

 

宇宙の外から見ている聖霊を信頼して従う。

 

out of boxという言葉が浮かぶ。

 

 

何か私にとって不都合にならないために従うんじゃない。

 

結果、最悪シナリオが展開し責められる事態になったとしても

神を一番にすることが私のプライオリティー

 

本当に未知だ。。

 

私にとっては、あり得ないことばかり言ってくる。

 

何か私は罪あるものだから、必死で言い訳するように

最悪な事態にならないような受けない理由を考えていた。

 

それを教えてくれ、と聖霊に聞いていた。

 

私、アレルギーなので、、とか

そんな理由一つもない。

 

神がそう言うからです。

と言うしかないけど、それはガイドではないと思う。

 

神を一番にしていない。

 

私はワクチンや職場のことで動揺しているのではない。

 

ここには真の原因はない。

 

自分の願望と決断を見ないようにしている。

未来に起こることにして。

 

恐れから指一本動かしたくない。

 

そうDavidが言っていたことを勉強会で聞いた。

 

そうだな。

 

そう望む。

望むことはできる。 

 

受けない、と職場に表示はした。

 

上がってくる信念、思考、恐れがある。

言い訳しようとして

聞かないようにしかしていないけど、

 

聖霊に耳を傾けたい。

 

神を信頼し、従っていく。

 

 

この世界の奴隷にはならない。

 



神の摂理をいつでも受け入れていきたい

聖霊からのガイダンスを感じた、

wifi料金の折半について両親に話をしていなかった。

 

無意識に先延ばしにしていた。

 

金額にして4,000円。

 

私と両親で2,000円ずつ割る。

 

半分出して欲しいとお願いする。

 

金額はそんなに大きくないのに、

いざ話をしようとすると罪悪感を感じる。

 

たったそれだけのことに躊躇っていた。

 

それでも祈り、話をしようとしていたら、

父親からこう言われた。

 

「今月逗子があるんだろう?

家に入れる支払いはいいよ。」

 

え!?

 

返事できなかった。

不意打ちだった。

 

カースティンならきっとこう答えただろう。

 

「ありがとう!」

 

罪悪感なく。

神から頂いたものをいつでも喜んで受け入れる。

 

疑いなく、瞬時に。

 

私は罪悪感を感じることにし、拒んだ。

 

。。。

 

すぐ返事できなかった。

 

本当に助かるな。

 

本当にそう思ったけど、罪悪感を感じながら、

しばらくしてから、

いいの?そうさせてもらうとありがたいよと遠慮がちに言った。

 

カースティンリトリートの時の

カースティンのハグやみんなからのハグを思い出す。

 

受け取らないと決めている。

罪悪感が湧く。

 

ああ、いっつも

瞬間受け入れることを拒むな。罪悪感感じてる。

 

順子もカースティンのように、

 

神の摂理をいつでも受け入れます。

ありがとうございます。って受け入れることができる。

 

そう勉強会で言われたけど、

 

そうできなかったと罪悪感を感じている。

 

だけど、できるよ。

 

そうしていきなさい。

 

そう言われている感じがする。

 

 

素直になりたい。

 

Davidやカースティンが受け取ってきたように、

私も神の摂理をいつでも受け入れていきたいです。

 

 

あなたを頼ります

朝、起きる時間に声を掛けていく。

 

多くの人の支度を時間内に進めて行かなかければならない中、

 

重度の認知症の人で

目は開いているけど起きようとしない人がいた。

 

「行くのは嫌なんです。」

 

困ったな。

 

「こんなに長生きしてしまって、

どうしたらいいの?」

 

居なくなってしまいたい。

 

そう言っているように聞こえた。

 

「悲しいわ。」

 

目に涙を浮かべていて、不安になっている。

 

業務を進めていくことが気になる。

 

ベッドに座っていたその人が車椅子に移ってもらうのに

身をかがめていた時だった。

 

ここで立ち止まらないと。

 

どういう経緯か忘れたが、

同じ目線でその人を抱きしめていた。

 

ほんの数分だったけど、温かさを感じた。

 

ただそうしていた。

 

平安を感じられた唯一の瞬間だった。

 

目的を忘れまくって

自分が失敗しないように、進めていかなければと恐れていたので

自分の望みは何なのか?なんてすっ飛んでいた。

 

立ち止まらせてくれた。

 

ありがとう。

 

ここに居てもいいんだよ。

 

言葉ではそう声をかけたと思う。

 

相手が何を感じていたとしても

相手が96才だろうが、なんだろうが、

 

聖霊に私に代わって見て欲しい

と懇願しているかどうか、なのか。

 

この抱擁のことを思い出すと、温かくなる。

 

 

誰よりも不安になっている私自身。

 

私自身の愛と助けを求める懇請。

 

一緒に聖霊の答えを聞くのは怖かった。

 

あなたがたが誰なのか、という答えを。

 

怖かったからはぐらかすことに必死だった。

 

身体はハグしていたけれど。

 

 

「あなたを頼ります」

 

真っ直ぐにはっきりと

そう言われてドキッとした。

 

すごく動揺して、ひるんだ。

 

最初それを言われたのは私に対してだと思っていた。

 

でもそれは

 

あなたが頼りにするのは神なんだよ

 

そう私自身に教えたかった私の声だ。

 

 

あなたを頼ります。

 

彼女の助けを求めている、切実で真摯でストレートな強い思い。

 

それに比べると

全く本気でないし、なよなよで逃げ腰だ。

本当には困っていないと思っている。

 

あなたを頼ります。

 

全然そう思っていませんでした。

 

これを二人で、言うのか。

 

 

あなたを頼ります。

 

なんと力強い祈りなんだろう。。

 

そうか。

 

 

はい。

 

教えていただいてありがとうございます。

 

 

私はいつも美談みたいに、教えられたことだけをブログに描こうとしていて、

エスがして欲しいこと、

愛に対する抵抗や闇を光に晒していくために書こうとしていません。

 

このこともそうだと思っています。

 

晒したくないし、表面的なことだけに留めていたいです。

 

ブログだけでなく、勉強会やファンクション、仕事、

すべてそうです。

 

今はそれを晒したいです。

 

 

わたしじゃなくてあなたのことだよって言い張っていたかった

ようこちゃんとzoomして、

前準備ワークと平安へのツールをやらせてもらった。

 

平安へのツールをやる時、

感じている感情を聞いていると、その奥に感じているものを感じるけど、

 

それを口に出さずにいることがあった。

 

あ、これ感じてる。

 

ほんの少し触れるのだけど、

私自身が見たくなくて触れたくないので、そのままにしたり、

口に出して怒りに触れるのが怖い。

 

聖霊のガイダンスにもよるのだろうけど、

それで終わっているなと思っていた。

 

今回終わった後に、

 

繋がれていない感じがした。

何か感じていないか?とようこちゃんに言われた。

 

前段階の時に

無価値感のようなものを実は感じていたけど、口に出せなかったと話した。

 

それを話すと、

話してくれてありがとうと言われた。

 

私は意外だった。

 

そこから、感じたことは

あなたのためにやった平安へのツールで感じたことなのに、

私のことにされた、責任転嫁されたと思った。

 

あなたのことであって、わたしのことではないんだよ。

そう言いたい。

 

屈辱的に感じ、怒りも感じた。

 

それを打ち明けた。

 

繋がれていないという言葉にドキッとする。

私のこととして、私事として受け入れていたかというと、そうではなかったと思う。

 

その無価値感は私のものではありませんってスルーしていたし、

 

あなたと私が一つ、

 

あなたを私自身として受け入れたいんだ。と本当に思っていただろうか?

私自身の愛と助けを求める懇請として、受け入れていなかった。

  

もう分離を望まない。

そうしたいんだという意欲は差し出していたけれど。

 

今月の勉強会でのり子さんから

悲しみを感じていない?と聞かれた時、

それは私じゃなくてのりこさんじゃない?とはぐらかしていたのに気づいていた。

 

あなたと私が溶け去るとか、

あなたと私に境界線がないなんて冗談じゃない!

 

そんなの受け入れるなんて屈辱以外何ものでもない。

 

だから優位に立っていたんだ。

 

それしか思ってない。

 

彼女が感じたことを先に打ち明けてくれたので、

私も打ち明けた。

 

わざわざ言いたくないし、屈辱的なことを感じながらも打ち明けると、

不思議とありがとうとか嬉しいとか言われた。

 

お互いそうだったかもしれない。

 

それで良かったどうかわからない。

 

さっきTVで自転車で旅する番組で、輪島の海が映っていた。

 

そういう道だったな。

自分が信じているのと全く逆なんだ。

思い出した。

 

負けを感じる。

ああ嫌だな。

 

それでも、今までとは違っている。

 

自分は何を望むのか?

 

一体性の天国だろうか?

あなたと私、という分離地獄か?

 

今回も何度も自分に問うた。

 

やりたくもない、打ち明けたくもないことを打ち明けていったりするのは

そのためなんだ。

 

 

あれ?これなんだかおかしいな。。と思ったり感じても、

そのまま「はい」と言って合わせたり、黙ってスルーしてしまうことが多い。

 

そして後から後悔するか、

口に出して責任とらなくて良かったと言ってホッとする。

 

平安へのツールに限らず、いつもそうしてしまう。

 

黙っている方がいい、口に出さない方が平安でいられる。

隠れていた方が、何も言わない方が平安でいられる。

 

そう思ってきたけど、それをやめていきたい。

 

間違ってしまうと思う。

 

だけど

聖霊に尋ねながら、隠れずにいたい。

 

隠さないでいたい。

 

そうやって言いたくもない自分の思いを隠さずに表に出していってスペースができた時、

やっと相手を自分として受け入れていくことができるのかもしれない。

 

前から何度も何度も言われているのに、

受け入れる気がなかった。

 

自分の望みが何なのか?

 

それゆえなんだ。

 

 

 

お金や仕事・常識について私の正しさよりも神を一番にする

やはり勤務日数を増やすことにNoと感じる。

 

そうすると、

以前突っ走って聖霊に尋ねずに自分で決めてきたことすべて、

もう一度祈り直して、聖霊のプランに沿って決断し直すということになる。

 

訪問は続けていくに違いないと思い込んでいたので、

まさか辞めることになるとは思わなかったところから遡ってみると、

 

その職場にまつわる幾つかのあの時の決断

自分一人で決めた。自分で決められたと思っていても、

また聖霊のガイダンスを尋ねて選び直すことになってしまうんだな。。

 

聖霊に祈り直し、尋ねている。

 

あの時、尋ねていれば違っていたかもしれない。

 

後悔するというよりも、

結局こうなるのだからもう、これから自分一人で決めるということをやめたい。

無駄だ。と感じている。

 

時間の無駄だ。

 

時間だけじゃなくて、

自分一人で決めることが無意味で無駄じゃないか。

 

結局、自分一人では何も決められない。

 

どんどん、運ばれていく。

 

確かに、聖霊に運ばれたいと聖霊に祈った。

 

「もう決まっているからね」

 

そうだった。

神のプランがあるのだった。

 

お金や仕事のことはこうであって欲しい。

自分を保つために。

 譲りたくない。

自分が正しいに決まっている。

 

確かにここを手放すのはすごく嫌だった。

 

お金や仕事、

この世界で規則正しく税金を払い、生きている基盤があるから、実践できると信じてきた。

 

なんかあべこべだな。

 

信じてるね。

 

手を放そう。

 

アルゴだ。

This world, fuck yourself.

 

親の分も払っていた光回線の代金も、折半しなさいと言われている感じがする。

返済の代金も減らした。

本当に困ったら、市役所に相談しよう。

その時は尋ねるけれど。

 

両親には、

私があなたたちに払ってやってるのよ、と言いたかった。

 

でももう本当に無理だ。

 

1月に税金の支払いが重なって困っていると、

両親はスッとお金を出してくれたり、今月の支払いはいいよ、と言ってくれた。

 

それを、

いーーえ。私は払います。と言って

カードで借りてまで返した。

 

親でさえ頼るのを拒んだ。

すでに居候状態なのに。

 

払えませんと親に降参する。

世間に降参する。

そうするしかないし、そう促している聖霊に流されていくしかない。

 

降参した方が、楽だな。

 

自分の都合よくお金や仕事を選んだり、

働く日数を選んだり、

税金しっかり払えている私なんて握ったまま、目覚めるなんて無理だな。

 

神を信用してないもん。

 

勉強会で

冗談じゃない!とまた聖霊に悪態ついた。

俺は正しいんだ、と主張したところで無駄だと分かっていながら。

 

結局、

神にゆだね、信頼するしかない。

 

もうだめだな。

 

無駄ばっかしてる。

 

無駄やめたい。

 

神を一番にする。

 

インターステラのブラックホールに後ろ向きに吸い込まれたい。

小さい穴に向かって。

 

昨日の勉強会でブラックホールの話はとてもワクワクしたな。

物理の話はてんでわからないけど。

 

一瞬先もわからないんだな。

今ここに勤めているから、こうなるに違いない、も捨て去ろう。

 

そんな妄想上の安定にしがみついている。

 

勝手に、

マザーテレサ本やカードが机の前に集まってくるから、

きっと今の介護の仕事に没入しなさいと言っているのだろうと思っていたけど、

 

そうなのかもしれないけど、それも勝手に私が決めていた。

 

そうやって安心していたかったから。

 

聖霊のプランは私には全く分からないんだ。

 

続くと思っていたら

じゃあ、終わりね。と言われたら終わりだし。

 

自分の思い通りにはならない。

 

そんな目に見える小さな範囲のことではなく

聖霊が見ている宇宙の外からのプランがあるのだな。

 

私には何もわかりません。

確かに。

わからなかったな。

見えてない。

 

もう一度、

神を一番にする。

 

神に面倒見られることを自分自身に赦したい。

 

そのために、

私の方が知ってると思っていることを、

正直に打ち明けていきたいです。

 

安全地帯から出る。

 

私が誰なのか

兄弟が誰なのかを思い出したいからです。

 

 

私はコミュニケーション障害者です

常に多動で、

言葉が通じなくて、コミュニケーション取れてないと思っている人。

 

今日、

彼女が椅子に座っている前に行くと、

彼女が両手を広げた。

 

彼女からそういうことをすることは、今までなかった。

 

とてもとても小さい体の細くて長い手。

おばあちゃんというより、可愛いと思わず微笑んでしまう。

 

私も一緒に両手を広げて、そのまま手を繋ぐ。

 

それだけ。

 

言葉は交わしていない。

 

なのに、

初めてTさんと繋がれている。繋がっているという感覚があった。

 

自然に。

手を広げて手を繋いでいた。

 

そしてそれは嬉しかった。

 

彼女と繋がれて、感じられて。

一つで。

 

彼女とは、初めての感覚だった。

 

コミュニケーション障害だ、私は。

 

今日一日、肉体的にキツく、

何も頭に入ってこない。疲れていた。

 

だけど、こんな瞬間もあったんだ。

 

今、今日一日を振り返り、メモをしていく中で

感じさせてもらえたことを思い出せた。

 

彼女に助けられていたことに。

 

きつい、辛い、罪悪感の中通り過ぎてしまい、

いつも見落としている。

 

私の目が節穴で、何も見えてない。

 

本当にイエスあなたに見てもらいたいです。

 

あなたに見てほしい。

 

職員の間で取れていると思っているのは

コミュニケーションじゃないのかもしれない。

 

たとえ言葉が通じなくても、

何か話題にして言葉で話せなくても、

 

そこにいるだけでいいんだ。

あなたはそういう存在なんだ。

  

わかっている人、わかっていない人。いうこと聞かない人。面倒な人。可愛い人。

違いを見ている。

 

私は間違っているのだから、助けが必要だ。

 

正しく見れない。

 

見れていない。

 

 

どうかあなたが代わりに見てください。