私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

わたしじゃなくてあなたのことだよって言い張っていたかった

ようこちゃんとzoomして、

前準備ワークと平安へのツールをやらせてもらった。

 

平安へのツールをやる時、

感じている感情を聞いていると、その奥に感じているものを感じるけど、

 

それを口に出さずにいることがあった。

 

あ、これ感じてる。

 

ほんの少し触れるのだけど、

私自身が見たくなくて触れたくないので、そのままにしたり、

口に出して怒りに触れるのが怖い。

 

聖霊のガイダンスにもよるのだろうけど、

それで終わっているなと思っていた。

 

今回終わった後に、

 

繋がれていない感じがした。

何か感じていないか?とようこちゃんに言われた。

 

前段階の時に

無価値感のようなものを実は感じていたけど、口に出せなかったと話した。

 

それを話すと、

話してくれてありがとうと言われた。

 

私は意外だった。

 

そこから、感じたことは

あなたのためにやった平安へのツールで感じたことなのに、

私のことにされた、責任転嫁されたと思った。

 

あなたのことであって、わたしのことではないんだよ。

そう言いたい。

 

屈辱的に感じ、怒りも感じた。

 

それを打ち明けた。

 

繋がれていないという言葉にドキッとする。

私のこととして、私事として受け入れていたかというと、そうではなかったと思う。

 

その無価値感は私のものではありませんってスルーしていたし、

 

あなたと私が一つ、

 

あなたを私自身として受け入れたいんだ。と本当に思っていただろうか?

私自身の愛と助けを求める懇請として、受け入れていなかった。

  

もう分離を望まない。

そうしたいんだという意欲は差し出していたけれど。

 

今月の勉強会でのり子さんから

悲しみを感じていない?と聞かれた時、

それは私じゃなくてのりこさんじゃない?とはぐらかしていたのに気づいていた。

 

あなたと私が溶け去るとか、

あなたと私に境界線がないなんて冗談じゃない!

 

そんなの受け入れるなんて屈辱以外何ものでもない。

 

だから優位に立っていたんだ。

 

それしか思ってない。

 

彼女が感じたことを先に打ち明けてくれたので、

私も打ち明けた。

 

わざわざ言いたくないし、屈辱的なことを感じながらも打ち明けると、

不思議とありがとうとか嬉しいとか言われた。

 

お互いそうだったかもしれない。

 

それで良かったどうかわからない。

 

さっきTVで自転車で旅する番組で、輪島の海が映っていた。

 

そういう道だったな。

自分が信じているのと全く逆なんだ。

思い出した。

 

負けを感じる。

ああ嫌だな。

 

それでも、今までとは違っている。

 

自分は何を望むのか?

 

一体性の天国だろうか?

あなたと私、という分離地獄か?

 

今回も何度も自分に問うた。

 

やりたくもない、打ち明けたくもないことを打ち明けていったりするのは

そのためなんだ。

 

 

あれ?これなんだかおかしいな。。と思ったり感じても、

そのまま「はい」と言って合わせたり、黙ってスルーしてしまうことが多い。

 

そして後から後悔するか、

口に出して責任とらなくて良かったと言ってホッとする。

 

平安へのツールに限らず、いつもそうしてしまう。

 

黙っている方がいい、口に出さない方が平安でいられる。

隠れていた方が、何も言わない方が平安でいられる。

 

そう思ってきたけど、それをやめていきたい。

 

間違ってしまうと思う。

 

だけど

聖霊に尋ねながら、隠れずにいたい。

 

隠さないでいたい。

 

そうやって言いたくもない自分の思いを隠さずに表に出していってスペースができた時、

やっと相手を自分として受け入れていくことができるのかもしれない。

 

前から何度も何度も言われているのに、

受け入れる気がなかった。

 

自分の望みが何なのか?

 

それゆえなんだ。