私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

小さな独裁者

いや、小さくないだろ。。

 

 

もう一度「小さな独裁者」の映画を観る。

 

人が惨殺されるのを見て、快楽を感じた。

良かったーと。

 

残虐さが全然残虐じゃない、と言って正当化している。

 

まだまだ甘い。

ヘロルド、いてくれてありがとうーー!助かった!と歓喜し、快楽を感じていた。

 

全員、ヘロルドが偽物と分かっていて利用している。(かも)

怖い。

全員ヘロルドで、俺か。

 

この茶番って、俺1人がやっている。

 

神にやられる前にやるしかなかった、と正当化したい。

 

 

やってしまったと信じていることは忘れて、

俺は無罪なんです、悪くないんです、と主張するために、

この世界って現してたのか。

 

神や兄弟を敵にして、

やられる前にやらねば、と殺している。

 

職場も、収容所。

毎日、全くヘロルドとおんなじ思考と行動してます。

 

神を殺害する目的、だけど、

自分を殺害するためもかも、と思った。

 

自分は被害者や加害者になれると信じていたが、

実は、その俺を殺すのが目的というのを、自分に隠しているのか?

 

夢見るもの一者、神の子の私が。

と思ったら、怖くなった。

 

茶番、茶番、と何度も浮かぶ。

 

神を敵にしてしまったのは、

 

2分裂

分離ができるという選択肢を「自分が」作り、

2.5分裂

それはできませんと言っている聖霊が邪魔すぎたので、聖霊を追い出し、

3分裂

好き好んで自我と同一化した。

3.5分裂

とんでもない恐れと罪悪感、無価値感、

失ってしまった喪失感を感じた。

神に殺されると思った。

 

から。

欲望のまま突き進んだ、私が。

 

 

ありがたい。

ありがたい。

 

今それをやっていることに、気づかせてくれて。

 

ヘロルド、ありがとう!

 

この映画の全員、ありがとう!

 

ルーシーの悪役の人が、クランクアップした時の、

薬玉がパーンと割れて、

役割終えて、お疲れーー、ご苦労さーーん!みたいな、あのシーンを思い出した。

 

 

 

あなたは私。

 

だから、やめることができるんだよ。

 

今。

 

そう、今、ヘロルドが教えてくれている。

助けてくれてる。

 

ありがたい。。

 

光を感じる。

 

 

ヘロルドと一緒に。

私が、間違っていたい。

 

 

 

 

 

 

先に聖霊がいてくれる

 

映画「ウォルトディズニーの約束」を見た時、

子供の頃、嫌々ながらメリーポピンズの映画を母に見させられたという過去を思い出した。

 

でも今回、聖霊に、

世界はなかった、分離は起こせませんでしたという

聖霊の声を自分自身に受け入れるために、その母とのやりとりを思い出させられた。

 

この過去のようなことがあった、

母のもとに生まれてくるという夢よりも前に、

宇宙以前に、

自分はやってしまった、やれたと言い張る前から、

 

すでに

それはできません、という聖霊の答えがあった。

 

12月はそれを何度か感じた。

 

 

宇宙以前の第2分裂よりも前に、

分離はできません、それはできませんよという聖霊の答えがある。

 

自分が追い出した。

 

どんな邪悪で醜いものが自分の中から出てきても、大丈夫。

まったく問題ない、とのり子さんに何度も言われ、

 

ほっとしたところがあって、泣けた。

 

 

え?

私に罪なんてありませんけど?

悪いのはあいつだよね。

あいつが邪悪。

あいつも邪悪。

私だけは無垢。

私?何にも悪いことしてませんけど?

 

私は罪を犯しました。

あんたもそうだよね。

私たち、そうだよね、罪人だよね。

罪人同盟みたいなのがある。

でもあんたの方が悪だよね。

 

職場でもやってた。

 

隠す。

ひたすら見ないようにする。

誤魔化す。

 

職場で、家で、

本当にそれしかやってない。

 

 

その奥、

 

私は殺人鬼。

私は邪悪。

 

悲しい。

悔しい。

惨め。

 

私はやってしまった、

神に殺される、怖いって思ってます。

 

 

もう、自分で自分を隠したくない。

自分をごまかし、騙していたくないです。

 

全部ネタバレしてほしい。

 

献身滞在後に、

もっと私の中に攻撃的な、醜い、邪悪な思考があったけど、

それをそのまま口に出すことを恐れていた、と気づいた。

 

私は危なくないですよ、というピープルプリージングしてた。

 

口に出したら、死ぬ、殺される、と思ってる。

 

殺される、やってしまった、、

絶対触れたくないと思っていて、ごまかしてる。

 

隠し持ってることで、言わずにすめば、

無垢でいられると信じてきた。

 

でも、行動に出さなくても、思考してれば同じだ、と。

 

 

どうやら、私が分離したいと望んだ、

それよりも先に、第2分裂より前に、すでに聖霊の答えがあるらしい。

 

少しだけだったとしても、

聖霊に感じさせてもらえた、それを信じたい。

 

 

だから

聖霊あなたを信頼して、

 

できる限り、

あなたに正直に、私を隠さずにいたい。

自分の邪悪さや醜さ、罪深さを。

 

勇気を持って、開く前に、

すでに答えてくれる聖霊がいてくれるから。

 

知覚は闇だけど、

そんな安心感の中にいる感じ。

 

 

順子はすぐ忘れるので、記録しておこう。

 

 

今年の献身滞在は夏至だの、

クリスマスイブだの、クリスマスと重なった。

 

クリスマスも、

ミッキー、ディズニーも嫌い、

 

可愛いーーとか聞くと、

虚構の夢の国だろ、どうせ、、とバカにしてしまうし、イラつく。

 

という投影。

 

誕生日とか、、

祝う、とかほんと嫌い、、そのクリスマスに。

 

クリスマスは神の子の誕生を祝う日、と言われたが、

心底受け入れたくないと感じていた。

 

 

助けてくれ!

 

エスがこの世界に誕生なんかしてないって、教えてくれーー!!

エスなんていう人間、いなかったって教えてくれー!

 

そっちの方がいい。

頼むよ。教えてくれよ!

あんたがこの世界に一度も生まれてないってことを!

 

 

エントランスファンクションの方が全然まし、と思えるほど、

クリスマスのクレープを作ることが恐ろしくて仕方なかった。

 

でもやっぱりクレープ作りがガイダンスと感じる。

 

エントランスの高いところに乗ってスパイダーマンすることは、すでに色褪せていた。

 

泣きながら、身を任せてみようと思った。

クレープ作り。

 

 

まーちゃんが思い出してくれて言われたのだけど、

 

前に、聖霊のガイダンスと感じて、

これも嫌だーーと号泣しながら、

怖いながらも破壊的なクッキーを作ったことを思い出し、泣けて仕方なかった。

 

その時のブログ

神の子smile 2 - 私は知覚に問題があります

 

これ

 

綺麗に繊細に美しく形作ること。

ケーキ、絵、なんでも苦手。

 

下手くそすぎる。公開処刑

本当に恥ずかしい。

自己憎悪にまみれる。

 

クッキーでもクレープでも、

なんでもいい。

 

私は罪深い、

私は罪があるって信じています。

 

取り返しのつかないことをしでかしてしまった。。

 

クッキーやクレープを作るとっくの前から、

やってしまった、と思ってます。

 

神は怒って、私を殺しにくる。

 

私は正しい!正しい!って言い張ってました。

 

愛されていない。

それが間違っていることを知りたい。

 

間違っていたいです。

 

そう信じた。

それでも愛されてるって知りたいです。

 

 

でもクレープ作り、

楽しかったのかもしれない。。

 

楽しそうだったよ、、と言われて、、

え、、、ひきつってたのにびっくりした。

 

助けられて作りました。。本当に。

私には無理だ。

 

1人じゃ絶対無理。。

 

 

クレープ作った時の動画を見てみたら、本当にげっそりしてた。

 

サレンダー。

 

負け。

負け。

 

ツンではなかったよ。。

 

ああ、もうダメだって泣きそうだったよ。

 

愛に崩れ去るのが怖かった。

 

 

順子はすぐ忘れることを聖霊は知っているので、

 

聖霊は、

兄弟たちという天使を使って、

これでもかというほどミッキーまみれにして、思い出させてくれた。

 

帰りの電車で座ったら、前のカバンがミッキーだった。

 

「あなたは一体誰と一緒にいるの?」

 

「あなたは誰なの?」

「何に囲まれてるの?」

 

「思い出して!

私はいつも一緒にいるよ。」

 

そう言われているように感じた。

 

 

映画「ウォルトディズニーの約束」に登場した梨と

フライング天使ミニーちゃん

 

 

 

2018年クリスマス!から、順子の目覚めのために、

用意してくれていたんだよって、なおちゃんから。

 

聖霊に委ねれば、

聖霊は、完全無罪、

それは起こらなかったと私が贖罪を受け入れるために使ってくれるんだね。。

捏造した母との関係も、ミッキーも、すべて。

 

 

 

ラファエルに言われた、三重のマーカーだよ。

忘れないようにって。

 

ここにもミッキーが。

自分が誰なのか、思い出せるように。

 

 

 

本当は、ブログを書くことも、辛い。

隠れていたい。

 

情けなさ。

恥や罪悪感。

 

いつも隠すためにしか書けない。

 

軽いし。

 

自己憎悪も仮面。

 

その奥に、

触れていきたい。

 

 

 

 

 

「すずめの戸締り」っていう映画は、どういう話か全く知らない。

 

「お返しします!」と主人公の女の子が叫んでいたところだけが、耳に残り、

ずっと気になっている。

 

 

扉。

 

グラディエーターのラストも扉。

 

 

信じる力を、

私を、神にお返しします。

 

 

11月献身滞在の玄関周りの修繕ファンクションで、

ローラーでファンデーションという塗料を塗った後、

最後に扉から玄関に入り、閉めた。

 

 

信じる力を、分離はあり得るという思考に、力を与えない。

 

扉を閉めるって、

神に信じる力をお返しする願望と心の決断

 

分離ができるという思考を、そうだ、と信じて前に進まず、

閉じて、返す。ひき下がる。

 

私ごと、神にお返しする。

私もろとも。

 

 

間違ってるかもしれないけど、

そんな感じがしていた。

 

 

 

 

11月献身滞在で感じたこと

映画グラディエーターは、20代の頃から惹かれて何度も観てきた。

 

10月の献身滞在で、憎しみが湧いてしょうがなかった時、

なんでか「血を見たい」と口から出た。

 

そしてすぐに、このグラディエーターの剣闘士の流血しているような、生々しい血の色がサッと浮かんだ。

 

なぜこの映画に惹かれるのだろう?

 

ローマ帝国時代、剣闘士、軍隊に惹かれていた。

強くて正々堂々として、正義の将軍に惹かれ、軍の配下に入りたいと真剣に思っていた。

そして、鼓舞され、

または闘技場の観客と一緒に、同一化して歓喜していたかった。

血や決闘を見たかった。虎に食べられるところとか。外側から。

 

やられたけど、やり返して正義が勝つ、というようなシナリオが好きだった。

復讐することに快楽を感じていた。それが正義だと信じていた。

 

コモドゥスは嫌いだった。

最後は、1対全員みたいになって、ザマアミロと思っていた。

 

でも最後のあのシーンの歌を聞くと、

なぜか泣く。いつも泣く。

 

それを繰り返してきた。

 

前から、この映画をコースの解釈で見ると、どうなるんだろう?と思っていた。

 

なので、この映画を見ると聞いて、驚いた。

と同時に、

それは起こらなかった、と上から感じていた。

Now we are free.

自由、解放を感じて幸せだった。

 

映画中は、罪悪感を感じていたが、

やはりいつものように観客とか軍隊と一緒に、わーーとやってやれ!みたいな感情と同一化していた。

外側に見たかった。敵を、悪人を。やられる価値のない奴隷たちも。

 

自分の罪深さを外に見たかった。

 

ラストの歌が響いてくると、

誰もいなかった。

何もなかった。

それだけを感じて、泣くしかなかった。

 

空っぽのコロシアムの絵を見て、

あそこに誰もいなかった。

今まで誰もいなかった。

そう感じていた。

 

映画が終わった後、

グラディエーター」の主人公の写真のあるBlue-rayのケースが目に止まった。

 

すると、

透明な手がグラディエーターのケースに指を刺して、

「これは起こったんだよ!」

「これはあり得るんだ!あり得るんだ!」と叫んでいた。

 

小さい、実態のない透明な何かが、

ただ意味のないことを叫び続けている。

力のないか細い小さな声に聞こえる。

 

ん??何か言ってるけど、その声を信じる必要がない、信じたくない、

と外側からその様子を眺めていた。

何にも力を与えなければ、ただの意味のないAIのプログラムが回っているだけなんだ。

 

あり得るんだよ!

神からの分離はできたんだ!

 

その声に、

突っ込んでいって、

私が、そうだ。それを信じる。と決めて突っ込んで同一化すると、

真実のように感じるのか。

 

確かに、神の子の信じる力って、すごいんだな、、。

 

 

「順子ちゃん、完全無罪なんだよ。」

 

のり子さんにそう言われて、負け。負け。と崩れ落ちていくだけだった。

 

どんなに罪があり得る、

分離は起きたと言い張っていても、

完全無罪、と言われた瞬間、

大惨敗。大敗北。負け。負けだった。

 

私が間違っていた。ただそれを受け入れるだけだったとは。

 

その方が幸せだ。

でも痛い。

ムージがパパジの前で、恥をかかされたと感じたけど、

10月もそれと同じ感じだった。

 

それが私の幸運です、とムージは言い切っていた。

 

10月はそれが受け入れられなかったと思う。

 

だけど、

11月になって、

やっと、あのお陰様なのかもしれない。

痛々しさは続いているけど

 

私は、自分の傲慢さ、

罪深いと言い張っている自分に気がつかされ、

間違っていたいと聖霊に望み、訂正を受け入れたいと思えるようになり始めた。

 

幸いだったんだな。。

やっとそう思いはじめた。

 

恩寵なのかもしれない。

 

ありがたい。

 

 

マグダラのマリアは、

女性だから慈悲深くて、綺麗な人間マリアのストーリーだと思っていた。

反発を感じていた。

女性らしい慈悲が自分にはかけらもなく、

血が見たいと言っている男、みたいに感じていたから。

 

十字架に磔になっているイエスが、

私たちをどのように見ていたんですか!教えてください!とは祈ってきた。

 

だけど、

マリアがその血だらけになってるイエスを見ているシーンを見て、

エスにもマリア自身にも罪を見ていなかった。

罪がないと受け入れていた。

 

2人は微笑んでいたに違いない。

 

私も、マリアとイエスと目的を同じにしたい。

人間じゃなかったのか。

 

映画後に、マリアを初めて受け入れたいと思った。

 

 

献身滞在の終わりで、

エントランスの塗装の最後のローラーを、自分1人でやろうとしていたことに恥じ、

やっぱり私には陽が当たらない、という思考と同一化し、

そこから罪悪感と無価値感しか感じていなかった。

 

まだエントランスの片付けが残っていて、

ここにきた目的を思い出していた。

 

ああ、今罪深さを信じている。

私は罪深いものだと信じている。

これはあり得ると言い張っている。

だけど、

思い出そう。無罪だったよな。兄弟も私も、完全無罪だったよな。

聖霊は無罪だと言っているんだった。

そうだった。

これはあり得ると言い張っている私ごと、捧げようとだけはしていた。

多分0.01mmくらい、0かもしれない。

 

自分が憎くて、自分が赦せなかった。

 

ある程度誤解だったと気づいた時、

ああ、そうだった。

これを自分にやっている。

そして信じることにする。と決断していただけだったと。

 

確かに、私はコロシアムにいると信じ、

これが起こったことにする。

これを望む、と、

リアリティを与えていた。自分が。

 

映画を見ていた時は、コモドゥスになりたい、なりたい、と湧き上がっていた。

 

私はコモドゥスだ。

全部、彼は私だ。

 

睨み、信じられず、憎しみ、裏切るだろうと疑い、

愛されていないと信じ、

みんなが私を殺すだろうと思っていて、

罪深さを信じている。

 

私以外の何者でもない。

100%。

 

と信じていたし、

これが私なんだ、

できたんだ、分離は。

そうなんだ、そうでありたい、とやっぱり願っていた。

 

 

聖霊の、

私も誰もいなかった、誰にも私にも世界にも、罪はあり得なかったという正しさの方がいいです。

私が間違っていたいです。

 

聖霊が感じさせてくれた無罪性を自分に思い出しながら、

ボロボロで情けない、罪悪感まみれで

できた、できたと信じていますが、

私を、あなたにお返しします。

 

 

10月献身滞在後から勉強会まで、感じていたこと

10月献身滞在で、

CTファンクションから外されたのは当然だと思いながらも、

恥をかかされた、情けない、価値がない、全員が私を見下している、

だから泣き叫んで正当化しておかなくては、と思っていた。

 

毎度のことだが、

恥をかいて、情けなさを、敗北を味わいたくない。

 

だから、

ファンクションやマイティーコンパニオンから離れれば安全。

それがベストに違いない。

お金がない、

それ以上に借りがある人は罪深く、もう参加するべきではない。

足を引っ張りたくない。

 

最初は怒り、

罪悪感と無価値さ感じていて、言い訳していた。

 

なおちゃんやけんちゃんのYoutube配信を見て、やっぱり参加したいと力が湧いてきたり、

いいや、こんな私がそこにいるべきではないという罪悪感と恐れをずっと感じていた。

 

いつものように、ずっと優柔不断で二転三転。

 

意志したい、参加したい。

でもこの私にそんな自由と価値なんかない、という恐れにまみれて、前言撤回。

やっぱりやめたほうがいいに違いない。

その繰り返し。

 

情けなかったし、

罪悪感しかなかった。

 

宇宙一バカで、情けない、

私は最低最悪だ。

 

聖霊に落ちていくしかなくて、

泣くしかなかった。

 

配信のけんちゃんの話の中で、

どうしようもない例としてでも使いようがあるんだったら、お使いください。

と聞こえてきた。

 

今の私は、そう祈るだけしかない。

 

最低最悪だ。それでも、

その例として使えるのなら、お使いください。

 

そう祈ったら、救われた気がした。

 

ああ、私は負けだったんだな。

9月から、カメラ操作してる時も、あの時も、あの時も、勝とうとしていたんだな。

 

癒しも戦利品にして、勝とうとしていた。

 

でも、負け。

完全に負け。

 

負けだった。

それだけだったのか、、。

 

ラファエルにお金について投影したのも、

それは自分自身だとわかっていた。

 

赦せなさが爆発していた相手に言われた、という知覚もあり、

余計に自分のどうしようもないダメさで残念、罪悪感、無価値を感じていた。

 

だけど、

もう無理です。

私は宇宙一最低最悪だ。

その例でいいのならお使いくださいと祈るしかない。

 

ある日トイレから出ようとしていたら、

突然、

 

ああ、、そうか。

ラファエル何もしてなかった。

と笑いが出てきた。

 

何か、重々しいものがあったものが消えました、という感じではなく、

 

なかった。

ない。

何もない。

 

何もなかった。

起こってなかった。と感じて、

おかしい笑いではなくて、安心感と軽さで飛んでいくようで、

自然に笑みになった。

 

その数日後の17日の勉強会は

もう、献身滞在とか、ラファエルとか、映画に加わるとか、

もう縋り付く余裕がなかった。

 

何を言い渡されても、それを受け入れ、それをやる。

 

やらないし、噛んだり吐き出したりの繰り返しをしてきて、

恥で無価値で最低すぎて、それしかもうできないから。

と決めていた。

 

自分では思ってもないことが耳に入ってきた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

罪がある。

私は罪深い。罪深い宇宙、罪深い世界、罪深い兄弟がいるんだよ!

これが間違ってることを望む、と正しいという言い張りが捨てられて、

聖霊がいう、それはないんです。

宇宙以前から、天国の中でも、どこにも罪がないんです。

これを受け入れるのが目的。

だからどのファンクションでもいいわけ。

そもそも罪がないということに気がついて、受け入れるということが目的。

どのファンクションでもいい。

ファンクションを失敗するようなやり方、成功するようなやり方、どっちでもいい。

この罪深いということがあり得るんだよ!と言っている、

これが訂正されることが、それだけが目的。

 

第1分裂から第4分裂まで罪がないなら、ラファエルにも順子にも罪がない。

訂正する必要のある罪が、そもそもない。

最初からない。

 

順子はそもそも罪がないのなら、

誰にも罪がないなら、

誰も立派になる必要がないし、

正しい順子になる必要がないし、

正しい順子を維持する必要がない。

罪がある、ある、という声に騙されていただけ。

君は肉体だよね、と罪を起こしたというところに戻そうとする。

敵を作ろうとする。罪は存在するんだ、と引き戻そうとする。

この仕掛けに、自分の信じる力を与えている、ということに気づいて、

それをやめる。という決断を、何回も何回もする。

 

立派な順子、

失敗しない順子、

作り上げたり、維持したりする必要がない。

無罪なんだから!

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

無罪。

 

そう、無罪。

ラファエルには、何も罪がない。

ラファエルという人間も必要なかった。

トイレで感じた感覚。

 

Mr.Nobodyの最後、

ニモが笑いながら、世界を去ってく、宇宙が逆回転していく。

そんな感じだな、と思っていた。

 

そうだ。そうだった。

 

この、無罪という言葉、何度も聞いてきたし、言葉は知っているはずだった。

 

無罪。

 

 

そこにリアリティがある。

 

言葉にするとそんな感じを、初めて自分自身にも相手にも感じた。

 

ラファエルにお金に関して、罪のなさを感じたあと、

すぐに、

確かに、ラファエルには罪はなかった。

 

でも私には絶対、お金に関しても、罪がある。

そう望んでいた。

 

でも、

そのラファエルも私も、

宇宙以前から、無罪。

 

そう言い切られて、驚いた。

 

初めて聞いた言葉ではない。

本でも見た。

 

だけど、、

えーーーー!と

何かひっくり返って、初めての衝撃を受けていた。

 

ただ、

分離が起こった!

罪があり得るんだよ!

罪深いんだよ!

罪があり得るんだよ!ということに、

私が、ただ、

そうだ!あり得るんだーーと同意して、信じていただけだったとは!

 

そりゃー、、

あ、は、は!と笑うだけ。

宇宙逆回転するわ。。当然。

 

夢、なはずだな。

 

無罪。

私たちは永遠に、完全無罪。

 

今も過去も罪がなかった。

罪が存在したことがない。

私にも誰にも罪があったことがなかった。

 

そう言われ続けた。

 

リアリティがなかった。

考えたこともなかった。

 

あってほしいと、望んでいるだけ、

信じているだけだ、と。

 

ものすごい罪深さへの執着がある。

それでも、無罪らしい。

 

初めて、

過去にもラファエルに罪がなかった、、と感じたことを思い出して、

確かに聖霊が教えてくれているらしい。

私たちは完全無罪らしい。

 

聖霊から見たらほんの少しだけかもしれない、

だけど私にとって、

確かに無罪だった。あの時。

確かに感じたから。

 

そしてそれは本当なんだ、、。

思い出すと、リアリティを感じた。

 

何度もそれを思い出して、と言われた。

 

そうだ。

真実を自分に教えていこう。

 

私はただ、

神からの分離は起こり得る!と叫んで言い張っているだけなんだ。

それに同一化したくて、していただけだった。

 

だけどその罪は存在していない。

一度もなかった。

負け。。

ものすごい、負け。

 

でもそれでもいい。

 

負けていきたい。

完全無罪だ、それは成し得なかったという聖霊に。

 

あなたの正しさを受け入れたい。

罪はあり得る、分離はあり得ると言い張っていた私が、

間違っていたことを望みます。

 

そう望むために、

罪を信じ、分離ができると信じた私が、

間違っていたいと聖霊に助けを求めるために、

ファンクションや献身滞在があったとは、知らなかった。

 

無罪、誰もいなかった、

喜び。幸せ。

それが真実なら、

 

私が全部失敗する、成功する、どんなものが現れても、

私もあなたも無罪。

罪がなかった。

それが真実なら、

 

この人生の全てを、

私が間違っていたい。

その訂正を受け入れるために、神に捧げたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深刻にならなくてもいいらしい

youtu.be

9月にファンクションで闇が上がっていると、
突然隣の部屋から父のヘタくそな歌が!

GO!でiPhoneで撮影。

 

聖霊が、

深刻にならなくてもいいよ〜と教えてくれたのかな。

 

 

父にこの動画を見せる。

 

すごくいいから、公開したいんだよ〜と

熱意を持って限定公開したいと言ったら拒否されたけど、

諦めず2回目で、まさかの「いいよ。」

 

自分の作品に、女優に出演依頼するディレクター?プロデューサー?の気持ちってこんな感じ?

 

 

うちではよくあるバカ笑い😂

 

偶然撮った映像なんだけど、

親に限らず、何か撮れたらUPしていきたいと思ってます。

 

見たい方はどうぞ。

 


しばらく、寝る前に必ずこの動画を見て、癒されてました。

父を撮影したり、父の歌で癒されるとは思ってもみなかったよ。。