私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

私には打ち明ける価値がない、という信念が間違っていることを望む

数日前のミーティングにて。

 

それを合宿の場で打ち明けてもいいんだよ。

 

まさか!こんなことを打ち明けていいのか?

あの場で。

 

打ち明ける価値があるからね。と。

 

怖い。

 

口に出したら、

とんでもなく動揺していたことに気づいた。

 

私は混乱して動揺しています。

 

私が正しいんだよ!俺間違ってないし。

正しさを証明するためにしか、打ち明けられないです。

 

認めてしまうと殺されると思ってます。

 

打ち明けてしまうと、100%仕返しがくるに決まっていると信じています。

私は傷つきたくない。嫌だ。

怖い。

 

今になってしまったけど、

 

確かに私が罪悪感を感じて、

惨めさを感じています。

 

またおんなじこと、してるな。

 

過ぎ去ってから、

まさかこれを言うのか、、と気づく。

 

でも、ずれずれでも気づいたんだ。

 

私、ありがとう。

 

 

私には打ち明ける価値なんてない。

 

これついて、

私が間違っていることを望みます。

 

教えてください!

 

 

 

思い出せた。えらいね。がんばったね。

数日前にファンクションでDAISOに行き、

仲間と祈りながら、目的のものを決めた。

 

それを持ってレジに行く時、

 

恐れと罪悪感が湧いた。

 

沈み込んでいた時、思い出した。

 

今、

これについて

私は間違っていたい!と望むんだ。

 

今、ここで。

 

 

そうだった。

 

思い出せたよ。。

 

聖霊

ありがとう。

 

 

兄弟の奥には私しかいない。その私が私を見た時、私はいないということを教えてください

7/7の日記より:

 

6月合宿後、

合宿中に寝ていた時の様子が何度も浮かんだ。

 

直ちゃんが私である順子の背中を見ている。

 

直ちゃんの目玉から、

直ちゃんに背を向けて寝ている、順子の白い背中を見ている映像。

 

しつこいぐらいに、何度も浮かぶ。

 

聖霊、あなたは私に何を教えたいですか?

 

「私である順子は、確かにそこにいるんだよ!

寝ているのが、私だよね。あれが私、私!」

と心が自分を納得させていた。

 

でもビジョンは、彼女の目玉からの順子の背中の映像しか浮かばない。

 

あの背中は私だ、と信じたくて同一化していただけなのか?

この世界にいる人間、というただの映像に。

 

4月の勉強会・・・・・・・

目玉の奥、レンズの奥には、

夢見るものの心であり、夢見るものの心以前がある。

 

だから順子が、2018年10月31日のカースティンリト後、インタビューされた時に、

ものすごい恐れが上がった。

レンズが自分に向いていて、真理について、この道について質問される。

そのレンズの奥には、誰がいるのか?

聖霊がいるから。

その目から覗いているのは、自分。

 

レンズや兄弟の目の奥には私しかいない。

その奥の私しかいない私が私を見た時、

いない。

それは起こらなかったということが、

自分の中で証明されてしまう。

神在り。

。。。。。。。。。。。。。。。。

 

職場で大暴れするパーキンソン病の男性。

頭と体がバラバラになり、突然制御が効かなくなる。

 

まだ60代の男性で力が強い。

職員5人がかりでも、危なくないように誘導するのは無理だった。

 

おお暴れする彼が振り向き、今にも私に蹴り、殴りかかってこようとしていた。

彼はあまりの恐れと怒りで、誰でも薙ぎ倒す勢いだった。

 

殴りかかられ、殺されるという恐れが湧く。

 

その瞬間、

彼と私の目が、一瞬合った。

 

すると、

スッと彼の怒りが収まり、動きが止まった。

 

自分もフッと力が抜けたような感じがした。

安心感を感じた。

 

しばらくすると落ち着き、彼は泣いていた。

 

私は近寄って背に手を当て、側に寄り添った。

ティッシュで彼の涙を拭いた。

 

罪悪感を感じていたかもしれないけど、

一緒に洗い流されたいと祈っていた。

 

安堵と安心感。

ホッとしたような。

彼は泣いているし、見た目の職場の状況としては最悪だったけど、

平安だった。

 

以前、同じように精神病棟に入院して大暴れた自分自身、

今の無価値を感じていて、恐れまみれの自分と彼に、違いを見たかった。

 

どれも存在していない。

 

そんな感じがする。

 

去年の、

訪問介護の交通事故で寝たきりになった男性と、運転していた認知症のおばあちゃん。

被害者と加害者に見える。

被害者に見える寝たきりの男性から、加害者をどう見ているかを感じた。

 

あなたは何もしていません。

できません。

触れることができない。

なぜなら、私とあなたは一つで光だから。私たちは体ではないんだよ。

 

あとは、地下倉庫のおっさんと怒鳴り合った時。

おっさんの目の奥がイエス聖霊だった。

愛しているよ。大丈夫だよ。

そう語りかけている目だった。

 

これを思い出した。

 

”その奥の私しかいない私が私を見た時、

いない。”

 

目があうまで怖かった。

 

未来の数秒後に殴られるかも知れない、

それが原因で恐れているのではなく、

分離が起きていないことがわかってしまうことが怖いのか。

そこにいる私に溶け去ってしまうことが。

 

その直前の研修のテーマが「寄り添う」とはどういうことか、

で直後にこの状況だった。

 

寄り添うどころか、、

夢見るものとして、

神と一つであることを望む!

無言の一瞬。

 

一つであることを望む。

分離を望まない!

一瞬。

 

防衛しない。

あなたに閉じません。

わたしは開いています!

一瞬

 

全て、この瞬間でありたい。

 

4/15 勉強会。。。。。。。

 

レンズや兄弟の目の奥には私しかいない。

その奥の私しかいない私が私を見た時、いない。

 

だんだん訓練ができてくると、レンズも眼球もなくても、

全部通り越して知覚のレベルから、

罪悪感、無価値感、欠乏感を通り過ぎ、

絶叫的な泣き叫びを通り越して、

夢見るもの、夢の作者を通り越して、

GOD IS.

 

どこに焦点を向けても、そこまで貫いていけるはず。

違いがないから。

 

コースは兄弟との関わり合い。

兄弟の目の奥を通して、神聖な関係。

神聖な関係を通して、その奥に神があった。

そこまで目を覚まさせようとしている。

兄弟の目の奥というのは、

マインドトレーニング、助けになる。

一番、目をそむけたかったやつを直視していく。

そっちに向かっていく。

 

。。。。。。。

 

そっちに向かっていきたい。

 

マイティコンパニオンと、パーキンソン病の男性。

 

どの人の奥も私がいて、愛だと信頼したい。

 

その奥の私が私を見た時、私がいないことを知るのが怖い。

 

だけど、

そこにしか私が望むものはない。

 

だから、

カメラのレンズ、兄弟の目、心の内側から目を背けず、

真っ直ぐに向かっていきたい。

 

職場でもNo people pleasing、No private thought。

違いはない。

開いていく。

 

間違っていることを望みたい。

 

なぜなら、

 

私は神が創造したままの私である。

私は永遠に神の子である。

 

兄弟にこれだけを見て、思い出したいからです。

 

聖霊、あなたが兄弟の奥に誰がいるのか、見てください。

あなたに見てほしい。

 

兄弟の奥には私しかいない。

その私が私を見た時、私はいないということを教えてください。

 

 

あのインタビューは私は間違っていたいと望む決断の機会でした

7/7の日記より:

 

7月合宿まで、のり子さんから毎回耳に入ってきた言葉があった。

 

「2018年カースティンリトリート後の10月31日から始まった。

まさかこれがコースだと思わなかった!

奇跡講座がまさかこういうのって知らなかったと思った。」

 

その翌々日に、自分自身も三崎口のインタビューを受け、

今まで触れたことのない猛烈な恐れ、無価値感、恥、罪悪感に触れた。

 

カースティンリトリートでは愛されるという知覚があったり、

抵抗がありつつ、みんなからハグされ、与えられる奇跡があった。

 

それが全部ひっくり返ったように知覚した。

とんでもない。

コースなんて知らないって言いながら、何回でも生まれ変わって死んでいい。

 

そんな知覚があって、その場にいて触れていた。

なのに、

のり子さん個人のことにして、今まで他人事のように聞いてきました。

 

触れたくない。

見たくない。

 

今年5月リトリートでは、

スタックしていて、見ないことにするという決断が起きていると言われ、

殺したい、情けなさ、惨めさや、できない自分裁きを止められなかった。

 

みんなはできているのに、どうしようもなく情けない、勝とうとして勝てないという信念や感情が湧くのが、

すでに、

自分が欠けているものだと信じていて、

無価値感を感じているからだ、

自分はどうしようもない無価値だと信じているからだ、と認めたくなかった。

 

だから、

5月のリトリートでは最悪でダメダメだった、情けない、ダメにしたと感じた。

 

肝心なところで自分にエクスプレスさせなかったのは、

私はそれだけ、

無価値感に触れることを恐れているんだ、

すでに自分が無価値だと信じているから、と認めないともうどうにもならなくなった。

 

7月合宿後の今なら、素直に言えます。

 

私は確かに、

見ないことにする、触れないことにする、と決断していました。

 

7月合宿、

聖霊の導きで、自分に触れることを赦し始めた。

 

リトリートでカースティンが言っていた、

「あなたのためのリトリートです。

あなたのために日本に来ました。」という言葉が、今染みる。

 

ああ、このためなんだと

2018年のあの時の経験から、今までが一本に貫いて、ああ、、となった。

 

映画のせい、ラファエルのせい、インタビューのせい、お金のせい、兄弟のせい、

見ないことにしてきた、

この得体の知れない感情、無価値感、屈辱、罪悪感、信念、願望について、触れさせてあげて、

打ち明けさせてあげて、

 

”Are you willing to be wrong?”

「これについて、あなたは間違っていたいですか?」

 

私はこれが間違っていたいと望む

 

つまり、

私は幸せを望む、

愛を望む。

 

そう選択し、決断できる機会だったんだ。

椅子に座って答えた、あのインタビューは。

 

無価値感を感じて終わり、じゃなかった。

 

そこで、

間違っていたいと望み、選択し、

隠すことをあきらめて、降参し、

聖霊を受け入れると望み、決断するためだったのか。。

 

間違っていたら、幸せらしい。

 

それだけが幸せなんだ。

 

無価値感を感じているそこで決断するのに、

勇気と覚悟がいる。

 

それ以前に、感じていることを口に出せなかった。

 

本当に望むものと望まないものの区別がつけるようになりたい、

見分けがつきたい、

そう望むんだと言われた意味が、今よく分かる。

 

俺が正しい!を諦めて、負ける気はないね!と言い張っていて、

あのインタビューをやめますと言って止めてしまった。

 

そう決断しても、私は裁かれなかったし、殺されなかった。

 

はい、あんただめね。と裁かれてたら、今、ここにいない。

 

私が間違っていたことを望む。

そう決断する機会は、あれ以降も与えられていた。

 

そのために、現れているのか。。

自分の願望ゆえに。

 

 

まさか、こんなのだと知らなかった。

 

無価値さを見ないことにすると決めて、勝とうとしたり、ましになろうとして、

忘れ去ることにしてきたけど、

 

それが幸せを望み、決断する機会を、

逆に自分から奪っていたとは。。

 

感じていることに、正直でありたい。

 

私が全部、間違っていたい。

無価値であるものという信念、分離したいと願望した私が間違っていたことを

神様、どうか見せてください。

 

0.1秒でも、間違っていたいと望む私には価値があり、

信頼できる。

 

間違っているかもしれません。

 

正気の決断をしようとしていて、間違っていたいと望んでいる私だけが、

唯一、まともで信頼できると思います。

あとの私は全部狂っていて、病気で、異常で、おかしいんだな。。と感じ始めました。

 

俺が正しい!俺は間違ってない!お前が悪い!お前が間違っていて俺は正しい!

か、

私が間違っていたい!間違っていることを望む!

のどちらかしか、望んでいなかった。

 

宇宙以前とか、宇宙始まってから、どの瞬間も、

俺が正しい!俺が間違っているはずがない!とだけ言い張り続けてきたのか。

 

間違っていたい、なんて願望したことなかった。

そう望むことが愛されることを受け入れたい、

愛を望む、ということで、幸せだなんて知らなかった。

 

それを宇宙以前だか、宇宙以降だか、、

そう望み始めるなんて、本当に奇跡でしかない。

 

自分では絶対無理。

自分が間違っていたい!なんて、

夢見る私からしたら、真逆の狂った決断と願望をすることは絶対あり得ない。

願望する他の選択肢があることを思い出し、気づくなんて、あり得ない。

この自分では絶対絶対、無理だからこそ、

 

神が全て手配して、なさっていただいている。

ここまで導いてくださることの全ては、あなたからの奇跡です。

自分1人では、絶対あり得ません。

聖霊、あなたがなさしめていただいていたんですね。

 

奇跡でしかない。

ありがたい。

 

もっととんでもない無価値感に触れて、また兄弟ととんでもないものが勃発したとしても、

聖霊、自分にも、あなたにも隠さず、全て見せたいです。

 

そしてこれが間違っていることを望みたい。

そのために、全部現れてくれているんだ。

 

0.001秒の意欲を差し出したい。

 

聖霊あなたが、

今、この瞬間、

すべてを手配してくださっていることに信頼して、開きたいです。

 

0.1秒。

 

これを書いてる暇なんてないんじゃないか、

優先順位が違うんじゃないか、

疑いと、突っ走ってる感じがします。

 

それでも自分が自分に忘れないために、残します。

 

 ありがとうございます。

 

 

 

自分で計画していました

足りない、愛されていない。

罪悪感と無価値感を感じていて、

 

お金を増やせば、それが早く薄めまると思っていて、

もっと働こうと計画し、自分で決めていました。

 

その後で、

相手が誰なのか教えてもらいに行くためだ。

だから、私は間違ってない。

そこに合わせてほしいんだよと、聖霊に言ってました。

 

こないだの勉強会で言い張っていて、

私が間違っていたって、認めたくなかったです。

 

私が正しいんだ!と言い張ってました。

 

 

私が全部間違っていたことを望みます。

 

聖霊

どうぞお入りください。

 

どうぞ、私の中にお入りください。

 

入ってきてください。

 

追い出したのは、私でした。

 

あなたのプランを受け入れていきたいです。

 

全面的なYES。


神を知りたい!



 

間違っていたことを望みます

私は精神病患者です。

私は知覚も、私の考えも、狂っています。

 

昨日の勉強会後に、

また、ましになろうとしていたことに気づきました。

 

自分のシェアは隠そうとしていて、

触れたくないものから、避けていました。

 

ファンクションで調べ物しながら、

恥、

恐れと無価値感を感じています。

 

孤独で、悲しい。

 

パニックで、何しているかも分からないです。

 

ぜーーんぶ間違っていたい。

全部間違っていたい。

私が全部間違っていたことが、幸せなんだ。。

 

それに6月合宿で気づかせてもらったので、

 

これが間違っていたことを望みます。

 

そう望んでいる自分を信じてあげたい。

 

 

会いたい!

何にもしてないのに、

 

心の奥底から、

弾け出てくるような想いが湧いてくる!

 

 

会いたい!会いたい!会いたい!

 

 

何に?

 

 

あなたに。

 

 

いろんな人たちに、

たくさんの人たちに、会いたい。

 

会いたい。会いたい!

 

 

人間的な捉え方にしておきたいのかもしれない。

 

 

せまーい世界、

今の仕事で関わるような、

 

おじいちゃんやおばあちゃんとその家族、

 

職員さんたち、

 

その人たちに、と思っている。

 

 

慣れたところで、、と思い込んでいるかもしれない。

 

 

送迎に行くようになって、

ご家族とのやりとりも増えた。

 

なぜか子供の頃に住んでいた地域にも送迎に行くこともあり、

 

もはや子供の頃と今とか、

遠く離れてるとか、

誰か他の家族のおじいちゃんとその娘と自分の親とか、、

 

違いを一生懸命作っていたけど、

 

それはできなかったんじゃないだろうか。

あきらめるしかない。。

と思い始めてきた。

 

 

自分は引きこもっていたいはずなのに。

 

 

でも、間違ってもいい。

 

 

飛び出ていこう!

 

 

この弾け飛ぶ流れに身を任せてみよう!

 

 

会いたい!

 

 

何にかはまったくわからないけど、

 

 

それでいい。

 

 

そう感じる。

 

 

コロナどうすんだ、、とか

身体きついから、もう10年若かったら良かったのに、、という

 

私は肉体人間なんです。

私は神の子ではありませんという言い張り、

疑い、恐れや抵抗も感じる。

 

 

Lesson 162

私は、神が創造したままの私である。

 

この言葉は神聖である。

なぜなら、これは、あなたが作り出した世界に対して、

神が与えた答えだからである。

この言葉によって、世界は消滅する。

そしてこれが語られるとき、雲のように立ち込める霧や、霞のごとき幻想の中に見えているものが、すべて消え去る。

この言葉は神からのものだからである。

 

これは神が与えてくださった言葉なのか!

神から与えられたものだったんだ。。

 

知らなかった。

 

なんとありがたいのだろう。

 

 

間違っていたい。

 

私がなんなのかについて。

 

それならば、

私が間違っていたことを望む。

 

 

私は、神が創造したままの私である。

 

 

これだけ。

 

これだけを分かち合いたい!

 

それだけを見たい。

 

思い出したい。

 

 

神が与えてくださった。

 

ありがとうございます。


私は、神が創造したままの私である。

 

Lesson191

私は神ご自身の神の子です。

 

何かが、

そうだ!そうだ!と中から湧いてきて、

突き動かされる。

 

まったく別の方向につき落とされて取り残されるように感じ、

負けのような気がしていた。

 

 

でも、

今感じているこの、

 

会いたい!会いたい!に

 

身を任せていこう。

 

 

そっちの方が幸せだから。

 

 

なぜか平安で幸せだから。

 

 

間違ってもいい。

 

 

まず第一歩。

 

自分1人で決めるのをやめて、

今、イエスに尋ねて決めてもらおう。

 

 

私は、神が創造したままの私である。

神の子にはどんな苦しみもあり得ない。

そして私は、まさしく神の子である。

 

 

私は、神が創造したままの私である。

 

これだけを見たい。

これだけを分かち合いたい。

 

聖霊、どうぞ宜しいようにお使いください。

 

 

会いたい!

 

会いに行きたい!

 

神が創造したままの私に。