私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

兄弟の奥には私しかいない。その私が私を見た時、私はいないということを教えてください

7/7の日記より:

 

6月合宿後、

合宿中に寝ていた時の様子が何度も浮かんだ。

 

直ちゃんが私である順子の背中を見ている。

 

直ちゃんの目玉から、

直ちゃんに背を向けて寝ている、順子の白い背中を見ている映像。

 

しつこいぐらいに、何度も浮かぶ。

 

聖霊、あなたは私に何を教えたいですか?

 

「私である順子は、確かにそこにいるんだよ!

寝ているのが、私だよね。あれが私、私!」

と心が自分を納得させていた。

 

でもビジョンは、彼女の目玉からの順子の背中の映像しか浮かばない。

 

あの背中は私だ、と信じたくて同一化していただけなのか?

この世界にいる人間、というただの映像に。

 

4月の勉強会・・・・・・・

目玉の奥、レンズの奥には、

夢見るものの心であり、夢見るものの心以前がある。

 

だから順子が、2018年10月31日のカースティンリト後、インタビューされた時に、

ものすごい恐れが上がった。

レンズが自分に向いていて、真理について、この道について質問される。

そのレンズの奥には、誰がいるのか?

聖霊がいるから。

その目から覗いているのは、自分。

 

レンズや兄弟の目の奥には私しかいない。

その奥の私しかいない私が私を見た時、

いない。

それは起こらなかったということが、

自分の中で証明されてしまう。

神在り。

。。。。。。。。。。。。。。。。

 

職場で大暴れするパーキンソン病の男性。

頭と体がバラバラになり、突然制御が効かなくなる。

 

まだ60代の男性で力が強い。

職員5人がかりでも、危なくないように誘導するのは無理だった。

 

おお暴れする彼が振り向き、今にも私に蹴り、殴りかかってこようとしていた。

彼はあまりの恐れと怒りで、誰でも薙ぎ倒す勢いだった。

 

殴りかかられ、殺されるという恐れが湧く。

 

その瞬間、

彼と私の目が、一瞬合った。

 

すると、

スッと彼の怒りが収まり、動きが止まった。

 

自分もフッと力が抜けたような感じがした。

安心感を感じた。

 

しばらくすると落ち着き、彼は泣いていた。

 

私は近寄って背に手を当て、側に寄り添った。

ティッシュで彼の涙を拭いた。

 

罪悪感を感じていたかもしれないけど、

一緒に洗い流されたいと祈っていた。

 

安堵と安心感。

ホッとしたような。

彼は泣いているし、見た目の職場の状況としては最悪だったけど、

平安だった。

 

以前、同じように精神病棟に入院して大暴れた自分自身、

今の無価値を感じていて、恐れまみれの自分と彼に、違いを見たかった。

 

どれも存在していない。

 

そんな感じがする。

 

去年の、

訪問介護の交通事故で寝たきりになった男性と、運転していた認知症のおばあちゃん。

被害者と加害者に見える。

被害者に見える寝たきりの男性から、加害者をどう見ているかを感じた。

 

あなたは何もしていません。

できません。

触れることができない。

なぜなら、私とあなたは一つで光だから。私たちは体ではないんだよ。

 

あとは、地下倉庫のおっさんと怒鳴り合った時。

おっさんの目の奥がイエス聖霊だった。

愛しているよ。大丈夫だよ。

そう語りかけている目だった。

 

これを思い出した。

 

”その奥の私しかいない私が私を見た時、

いない。”

 

目があうまで怖かった。

 

未来の数秒後に殴られるかも知れない、

それが原因で恐れているのではなく、

分離が起きていないことがわかってしまうことが怖いのか。

そこにいる私に溶け去ってしまうことが。

 

その直前の研修のテーマが「寄り添う」とはどういうことか、

で直後にこの状況だった。

 

寄り添うどころか、、

夢見るものとして、

神と一つであることを望む!

無言の一瞬。

 

一つであることを望む。

分離を望まない!

一瞬。

 

防衛しない。

あなたに閉じません。

わたしは開いています!

一瞬

 

全て、この瞬間でありたい。

 

4/15 勉強会。。。。。。。

 

レンズや兄弟の目の奥には私しかいない。

その奥の私しかいない私が私を見た時、いない。

 

だんだん訓練ができてくると、レンズも眼球もなくても、

全部通り越して知覚のレベルから、

罪悪感、無価値感、欠乏感を通り過ぎ、

絶叫的な泣き叫びを通り越して、

夢見るもの、夢の作者を通り越して、

GOD IS.

 

どこに焦点を向けても、そこまで貫いていけるはず。

違いがないから。

 

コースは兄弟との関わり合い。

兄弟の目の奥を通して、神聖な関係。

神聖な関係を通して、その奥に神があった。

そこまで目を覚まさせようとしている。

兄弟の目の奥というのは、

マインドトレーニング、助けになる。

一番、目をそむけたかったやつを直視していく。

そっちに向かっていく。

 

。。。。。。。

 

そっちに向かっていきたい。

 

マイティコンパニオンと、パーキンソン病の男性。

 

どの人の奥も私がいて、愛だと信頼したい。

 

その奥の私が私を見た時、私がいないことを知るのが怖い。

 

だけど、

そこにしか私が望むものはない。

 

だから、

カメラのレンズ、兄弟の目、心の内側から目を背けず、

真っ直ぐに向かっていきたい。

 

職場でもNo people pleasing、No private thought。

違いはない。

開いていく。

 

間違っていることを望みたい。

 

なぜなら、

 

私は神が創造したままの私である。

私は永遠に神の子である。

 

兄弟にこれだけを見て、思い出したいからです。

 

聖霊、あなたが兄弟の奥に誰がいるのか、見てください。

あなたに見てほしい。

 

兄弟の奥には私しかいない。

その私が私を見た時、私はいないということを教えてください。