私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

一人になっても、聖霊に祈り、尋ねる。

三脚を賢太さんと二人で返しに行くファンクション後、

別れて一人になった。

 

渋谷駅に着くと、自宅方面の電車のホームを歩いていた。

 

すると、駅のホームにピンク色の風船がポンポンと流されていって、

線路に落ちそうだった。

 

電車が入ってくるアナウンスが流れていた。

 

危ないと思い、とっさにピンクの風船に駆け寄り、

つかんだ後に電車が通過した。

 

良かった。

でもこれどうしよう?

 

このままだとまた線路に落ちる。

エスカレーターの手前の柱に挟んで置いて帰ろうとした。

 

どうも気になる。

あのピンクの風船、、あのままでいいんだろうか?

 

ピンクの風船を緑の窓口に届けることにした。

 

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さっき原宿の街で見てきたようなピンク。

 

みどりの窓口らしきところで説明し、手渡す。

 

渋谷の街を行ってみる感じがした。

 

普段なら、さっさと早く自宅に引き返すことだけを考える。

カバンを買うのもいいかも。

 

そこで、どこに行きますか?と祈る。

渋谷駅前交差点前の人混みの中、佇んで。

 

109の前に来た。

え、、。

ここは10代ガールズのお店しかないのでは??

例の、原宿のような派手なピンク色の壁とか、厚底靴とか、

若い子が着る可愛らしい服の店の入るビルなのに、、。

 

え、まさか違うよね?

109の入り口で、腰に手を当てて祈る。

 

行ってみることにする。

 

109というのは、自分の誕生日にちなんだ数字だ。

なんかあるのかな、と思っていたが、

ただ、私は特別なのよ!という証明に使いたかった。

 

店内で帰りたい、、と居心地の悪さを感じながら、

アクセサリーの店に目が止まり、足が進む。

 

アクセサリー。。

指輪とかネックレスとか。。リボンがついたピン留めとか。。かわいい派手な色だ。

介護職でつけられないし、そんなもの私には要らない。

必要ないのになぜここに?

 

アクセサリーを見ていく。

ぎゃーーー!助けてーー!と心が叫んでいた。

帰りたいよ。助けて!

 

お化粧やおしゃれをした10代や20代の子達に紛れて、

指輪を探していた。

 

ふと

「(マグダラの)マリアと探しなさい」と言われた感じがした。

 

そうか!

少し落ち着く。

マリア助けてーー!と心が泣く。

 

ガイダンスではなくて自分が好きなように、だったと思うけど、

気になったものを選んだ。

 

なぜかハートのネックレスも選んだ。

 

きっとおしゃれしたいんだろう。私は。

楽しかったんだろうな。

でも、

おしゃれをすることや、自分をよく見せようと何か身につけることに

罪悪感と赦せなさを感じていた。

この道にはそんなの必要ない、と。

 

はあ、とやっと落ち着いてきた。

 

300円の指輪とネックレス。

 

神よ、

私は永遠にあなたのものです。

 

神と心を一つにする。

という決意のもとに買った。

 

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普段アクセサリーはつけない。

結婚していた時でさえ、結婚指輪なんてなかったし、

仕事上つけられないけど、

 

罪悪感を感じていることにも正直にさせてくれて、

心の決断をこのような形で表現させてくれたことに、ありがたいと思った。

 

109を出て、

壁によって立ち止まり、祈る。

 

次はかばんかな?

 

最初一旦別の場所を目指したが、、違う感じがする。やめよう!

違和感を感じて、また109の前に引き返してきた。

 

その後、こっち、と首が自然に曲がった方向へ歩いていく。

そっちにはカバンを売っているところはなさそうだ。

 

本当にこっち?と不安になっていくと、途中で曲がってみる感じがした。

薄暗いホテル街と小さな映画館やライブハウスらしき前を通過する。

 

恐れや不安、早く通過したい、という思いがあった。

私にはこんなところは不似合いです。とそこにいる兄弟や場所を攻撃していた。

恐れている心を見つめて歩く。

 

一周して戻ってきて、ようやく自分が知ってるカバンを売っているところへ歩き出す。

 

売り場に到着してものの2分しない間に、

ちょうど良い感じのカバンを見つけた。

 

最初、カバンは汚れが目立たないように真っ黒がいい!と心は言い張っていたけど、

観念してお店の人が勧めてくれた色にした。

そのほうが店の人とも広がりを感じ、幸せだったからだ。

 

今まで持っていたカバンをそのリュックに入れ、背負ってみたら、

すごく軽い!!

嬉しかった。

 

お店のお姉様に手を振り、

幸せな軽い足取りで、駅へ向かう。

 

カバン自体の大きさは今までのものより大きい上に、中身は同じ重さのはずなのに、、。

とても軽かった。そして嬉しかった。

 

どんどん荷物が軽くなっていくんだな!

神に従っていくと。

 

街は混んでいたけど、電車は空いていてゆっくりできた。

 

。。。。。

賢太さんと二人で祈っていた時は、信頼と安心感の中、

聖霊に尋ねようとしていたけれど、、

 

ひとりになった途端、不安になった。

心もとない感じがしていた。

 

間違っているだろう、、聖霊のガイダンスではないだろう。。と

疑いと不安の中、

それでも尋ねて、ガイダンスだと従う方に動いてみた。

 

ほとんど、間違っていたと思う。

 

兄弟が一緒に祈ってくれる時の安心感と、

一人で祈り、従う不安感にギャップがあった。

 

リトリートでも感じたけど、

一緒に祈ってくれる兄弟がいてくれるって、心強い。

 

ありがとうございます。

 

 

 

赤ちゃんのように愛されている神の子

賢太さんのブログ

welcomejwithintention.hatenablog.com

 

三脚を返しに行く場所の最寄駅は、原宿だった。

 

原宿といえば、10代の若者の街というジャッジがあり、

ここに来たのも30年ぶりだった。

 

待っていると、若い人たちがどんどん増えてきた。

 

賢太さんと二人でまずどのように三脚を持ち、どの道を通っていくか祈る。

 

祈ると、

竹下通りを二人で三脚を左右から片手ずつ持って、通っていくという感じがする。

 

Google Mapの検索した道ではなかった。

遠回りになる。

 

だけど聖霊から推されていると感じるのは、

やはりGoogle Mapの示した道ではなく、

遠回りなうえ、若い人たちがたくさん歩いている竹下通りだった。

 

感じた通りに、二人が両サイドから三脚の持ち手を持って、持ち上げた。

 

「軽い!」

思わず二人で声に出した。

 

こんなに軽いとは思わなかった。

 

二人とも一人で持って歩いたことがあるので、

重さは体でわかっていた。

 

一人で持つとあんなの重いのに、

二人で持つとこんなに軽くなるのか、、。

 

一人で背負わない。

昨日、聖霊からそう感じたけど、こういうことなのか。

 

賢太さんが少し早く歩いているように感じるので、

歩調も合わせる感じがする、と言った。

言うことに罪悪感を感じていたけれど。

 

ピンクとかゴールドとか、原色の派手な色使いの店や洋服、小物、クレープなどを見ながら歩く。

 

私はこの手の原色が苦手だった。

 

目を伏せたくなる。

恥ずかしくなってくる。

 

しかし、通りの入り口からすでにバーンとピンクや黄色などの原色のモチーフで溢れていた。

 

決して若くないおじさんとおばさんが、

二人で何やら長細い重そうなバッグを持って若者の街を歩いているという(笑)

きっと周りから見たら不思議な光景なんだろうな、、とチラッと思ったけど、

 

それでも

色々な街の風景、私一人では絶対来ないような若者の街を、

 

心は広がっていて、周りの目は気にならず、歩いていった。

嬉しさの方が優っていた。

 

こうして同じ目的を持った兄弟と

三脚に仕えて歩いていることが、嬉しかった。

 

行きの電車で、あの重い三脚バックを一人で抱えて歩いてきた時も、

周囲の目などまったく気にならず、

重い三脚を運ばせてもらえることに喜びを感じていて、嬉しかった。

 

抱えて電車から降りる時は、カップルが邪魔しないように私をよけてくれた。

そのように見えた。

ありがたい、そう思った。

 

竹下通りを歩くときも、同じように感じていた。

ありがたい。

 

袋の持ち手を持つ高さも、二人で合わせる感じがする。

心で。

 

腕が疲れてくると、

何も言わないのに、賢太さんから左右ポジションを逆にしようと言ってくれた。

 

そんな方法があるのか!

確かに楽だ。。

 

どこか、私は腕が痺れて痛くても平気なんだもん!

平気。できるもん!と強がっていたので、

正直、悔しさを感じつつも、腕が楽になってありがたかった。

 

雨が降ってくると、

傘を指す感じがする、と賢太さんが言った。

 

立ち止まり、傘をさす。

祈るとそのようにすると感じた。

 

ここでも、

私は濡れても構わないのよ!という意地っ張りみたいな思いがあった。

三脚が濡れるのは困る。それもあったけど、

 

それは言い訳で、

雨なんか大したことない。私は濡れたってしょうがない。いいんだ。

私は平気だもん!と、、意地を張っていた。

 

傘をさされると嬉しかった。

 

三脚を返し終わり、祈る。

これからどういう感じがするか。

 

罪悪感を感じていた。

報告することを報告する方が良いと思っていた。

 

それをしてから、もう一度祈る、と聞いてほっとする。

 

帰り道、とても解放された感じで、

同じ道を歩いているとは思えなかった。

雨も止んでいた。

 

右が竹下通りで元きた道、と言う分岐に差し掛かった時、

足が止まった。

どっちに行く感じがするか、二人で祈る。

 

なぜか全く関係なさそうな目の前の道を、真っ直ぐ行く感じがした。

どうにも、真っ直ぐに行く感じがする。

なぜかはまったく分からない。。

 

何か間違ったことをしてしまう気がして、これを言うことに罪悪感を感じたけど、

賢太さんに

「まっすぐ行く感じがする。」と打ち明けた。

 

すると賢太さんも

真っ直ぐに行く感じがする、と言った。

 

私は恐れと不安を感じながらも、

二人で道路を渡り、真っ直ぐに進む。

 

すると賢太さんが、

あの黄色の看板が気になる。と言ってきた。

 

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私も気になったけど、

カフェか何か?と何の店か知ろうとしていなくて、何歩か通り過ぎてしまった。

 

賢太さんが

「今の店、赤ちゃんの洋服の店みたいだね」というようなことを言ってくれたけど、

まだ私はそこがどういう店なのか、あやふやなまま早く通り過ぎたい、

先に何かあるに違いない、、というような

そこに留まりたくない感じがあった。

 

さらに、

言葉は違うかもしれないけど、

「赤ちゃんがいたけど、あれ、私なんだよね」というようなことを言ってきた。

 

何の話をしているのかまだ理解できずにいて、

指摘されてウインドーの中を覗くと、

赤ちゃんの洋服の店のようで、洋服を着た赤ちゃんの人形がディスプレイとして飾られていたのにようやく気づいた。

 

ああ、、赤ちゃんだ。。

ちょっと待て。

え、あれが私!?

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賢太さんに、

「え?あれが私なの?」と言った。

 

驚いた。と同時に、

私が赤ちゃんと認めたくなかった。

私が赤ちゃんなはずがない。

 

何だか屈辱的に感じた。

悔しい、認めたくない。

 

ところが、その赤ちゃんの人形の写真を撮りたいな、、と感じ始めた。

え?、、、そんな感情が湧きてきたことにも驚く。

 

あの写真とってもいいかな?と打ち明けたら、

お店の人に許可を得た方がいいと言われた。

 

そうだな。

 

とても怖くなってきた。

 

写真撮ってもいいですか?

そう聞くだけなのに、、

罪悪感と殺されるような恐れを感じ始めて、躊躇する。

 

結果撮れなかったとしても、聞くだけだからと促されたけど、

そう聞くことに恐れを感じていた。

 

恐ろしい。

 

それでも、心の内側から響いてきた声は、

「私と一緒に聞いてごらん」だった。

 

そうか、、。

聖霊と一緒に聞こう。

 

店に入った。

 

店に入った途端、、

お店に一人、お姉さんが座っていて、話しかけてくれた。

 

赤ちゃんの涎掛けや、つなぎや、靴下。

肌触りが気持ちよさそうな、

オーガニックコットンのまっさらな白、茶色、肌色の

赤ちゃんに着せてあげる可愛らしいつなぎが、壁に並んでかけられているのを見て、

 

涙が溢れてきた。

 

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愛らしい

愛おしい

慈しみ

 

愛されているのを感じた。

 

慈しまれている。

優しい思いに包まれていた。

 

 

お店の人が見ていたけど、

涙は止められなかった。

 

神の愛を感じていた。

 

私は赤ちゃんで、

神の子で、

神に愛されている。

 

店内の可愛らしい赤ちゃんの靴や、靴下、つなぎなどを

一つ一つ丁寧に心を込めて作られているのを感じ、

 

神という親からこれほど愛されているという思いを感じて、

 

お店の人が服の説明してくれるのを聞いていたのか聞いていなかったのか、

ほとんど耳に入っていなかったけれど、、

どれほど愛を込めているのか、を語ってくれていたんだと思う。

 

私たちに向けられている、神の愛や慈しみを感じて泣いていた。

 

神に愛されている。

優しく慈しまれ、抱きしめられている。

 

そんな感じだった。

 

お店の人は、写真を撮ることを喜んでいいですよ、と言ってくれた。

 

店内にある、可愛らしい赤ちゃんの商品の写真を撮らせていただいた。

 

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HOROは馬車の屋根の布のことで
FAMIRICは家族の造語だそう。

馬車の屋根の布のように、家族みんなを温かく守り、愛しんでくれている。

 

神の子を慈しみ、守る愛

神そのもの。

 

ありがたかった。

 

お店の方も丁寧に説明してくださって、

訳もわからず泣いてる私が癒されますと話すと、笑ってありのままでいてくれた。

 

受け入れてくれて、ありがとう。

 

お店の方が、オーナーさんがこの辺りの店をまとめたMAPを見せてくれた。

オーナーさんが良いと思った店を、自分だけ知ってればいい、と自分だけものにせず、

オープンにして、こうしてみんなに共有してくれる思いがありがたい。

 

ここまだ行ったことないけど、とあるカフェを勧めてくれた。

 

店を出ると

心なしか賢太さんが、先程紹介されたカフェと反対方向に足が向いているように感じた。

 

私はあのカフェに行くしか選択肢がないように感じていたが、

それについて行きそうになる。

心が不安げで泣きそうになる。

 

しばし立ち止まる。

あのカフェに行く感じがする、と思い切って打ち明ける。

 

すると、

そのカフェに行く気だったけど、こっちだと思っていた、と言ってくれた。

 

そうだったのか、、。

私は被害者意識があって、反対方向に行かされると無意識に感じ、

恐れと不安を感じていた。勝手に。

 

本当に順子だけの思い込みの世界に住んでいる。

 

打ち明けて見ないと、本当に分からない。

こうだろう、ああだろう、というただの思い込みの中にいることに。

 

それが私だと信じていることに。

 

ありがとう。

 

二人で一致して、店へ向かった。

 

原宿?らしいおしゃれなお店で、

どのテーブルに座るかを二人で祈り、テラス席に座る。

 

この場に設置された二つの神の三脚。

私たち。

 

三脚が、私こう思っている、私は特別だと主張したい思いを打ち明ける。

打ち明けて手放し、どうぞお使いください、と神の手に委ねる。

 

順子には全くわからない。

このファンクションはどちらか一人が三脚を受け取り、返すだけ。と思っていた。

こうなるとは思ってもみなかった。

 

二人で祈り、打ち明ける。

 

自分の中で一致しないなら、立ち止まる。

 

一致させたくないと思っている、

自分の中の思いや考えを隠さずに打ち明ける。

 

恥、不安、恐れ、罪悪感、

相手を攻撃してしまうかもしれない思い、

どんなにダサくてみっともないと思うような考えのすべてを打ち明ける。

 

これを持っていることを望まず、

一つの心に一致することを望むから。

神に導かれたい、平安で幸せでありたいから。

 

打ち明けて手放した後、

もう一度、一つの心に合わせて祈る。

 

一致を感じたら、初めてそこから動いていく。

 

それだけを繰り返す。

 

信頼する。

 

その結果、ふたつに見える三脚に打ち砕きと気づきが与えられ、

神に愛されているただの三脚として、

道具として、

ただそこに、神に置かれていることに幸せを感じていた。

 

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オーナーさんが紹介してくれたお店のMAP

 

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自由でありたい。

昨日から感じていた。

 

何ものにも囚われず、思考に囚われず、この空のように無限に広がっていきたい。

 

ガイダンスに従った結果、今の仕事をしている。

多くの高齢者の方々の手足として動かされることに、疲れたり腰が痛くなっても、

それ以上のものを与えられているので、嬉しくてありがたい。

 

動かせなくなった体のケアをしつつ、それと同時に、

あなたは心なんだ。

いつも一緒にいるよ。と聖霊からの答えを

目の前の方々と一緒に受け取らせていただく、ありがたい機会を与えられている。

 

コミュ障、引きこもりな私にはあり得ないことだ。

 

だけども昨日、

一日中大きな声でしゃべり、歩き回って動いている仕事のスタイルに翻弄されている感覚と、

心地よい風が風くテラスで

賢太さんのゆったり構えて待ってくれていた時のギャップがすごくて、

いいな、羨ましい、自由になりたいと思った。

 

それもとてもありがたい。

 

環境のせいじゃないんだよね。きっと。

 

今、自由でありたい。

時間とか場所とか、全く関係ないんだ。

 

この空に浮かぶ雲のように、

流されていきたい。

 

リュック一つで、神の御心ままに流され、行かされ、

自由でありたい。

 

前からリュックは欲しかった。

自分はノートパソコンのくせに、デスクトップみたいに家で張り付いた使い方しかしていない。

PCが入るクッション材入りのリュックがあるよ、と教えてくれた。

 

賢太さんがいろんなところでPCを持って仕事したりするのを見て、

いいな、、と思っていた。

 

そうか。

家に張り付かなくて、良いんだ。

よく家族にうるさいな、、と思ったりしたけど、

私が出ていけば良いんじゃないか。

 

自分で自分を幽閉してるな。

必ずこうしなきゃいけない、って。

 

昨日と今日、祈り、

???どうしてそうなんだ?と当たり前に信じてきた思考とガイダンスが違うので、

疑いや不安がありながらも、

広がりや嬉しさ、喜びに引かれることを口に出して、

そっちがいい、と仲間とともに勇気を持って決断して動いていった結果、

癒しと広がり、自由を感じさせてもらえているように、

 

これからも、そうしていきたい。

 

ああ、自由でありたいな。

 

目の前にいる賢太さんのTシャツが、

さっきの赤ちゃんの店に飾ってあった、あの赤ちゃんのつなぎに見えてきた。(笑)

 

一番肌触りが良いTシャツを選んだそうだ。

 

神の愛。

 

心地良さそうな、コットンの。肌触りが良くて、

愛に包まれて愛しまれている神の子。

 

慈しまれているのを感じていた。

 

 

賢太さんがお店を出て、一旦立ち止まる。

 

そうだ。同じ道を通って帰るとは限らない。

私たち三脚は、神のプランに従っていくのだから。

 

私たちをどこに向かわせようとしていますか?

神に祈る。

 

同じ道を通って帰るのだろうとか、

当たり前に順子の考えの通りに動き出そうとするのに気づく。

 

それをもう、辞めていきたい。

自由で、幸せでありたいから。

 

お互い感じたことを口にする。

元来た道を帰るような感じがした。

 

帰り道。

 

先ほどとまったく別の日、別の時間、別の場所を歩いているような感覚だった。

 

言葉が違うかもしれないけど、どことも同じではない。

同じ道を歩いているような感覚ではなかった。

 

竹下通りを歩く感じがする、と二人で来た道を戻っていく。

 

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重い三脚もなく、軽くなって戻っていく。

スタートの竹下通りの入り口、門に向かって、

天国の門に向かって帰っていくような感じがした。

 

ありがとう。

 

 

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帰りに駅に着いたときに撮った竹下通りの入り口

 

 

駅に着くと、この後どう感じるか祈る。

 

賢太さんは渋谷駅へ歩いていく感じがしたようだ。

 

私は一瞬、寂しさと悲しみを感じた。

ずっと肉体として一緒にいたいというお馴染みの感覚。

それを通り過ぎさせる。

 

私は電車に乗るような感じがした。

一致と安心感、広がりを感じる。

 

ここで別れた。

 

 

二人で祈って行くことになった、あのNeelというお店の名前、

どこかで聞いたことあるな、、と引っかかっていた。

 

帰りに一人になって、

TENETの主人公の黒人の相棒の名前が、ニールだったことを思い出した。

 

仲間、と浮かぶ。

 

マイティコンパニオン、ではない。

 

『仲間』

 

力強い響き。

 

仲間って本当にありがたい。。

私一人では本当に何もできません。

 

賢太さん、一緒に立ち止まり祈ってくれて、

本当にありがとうございます。

 

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愛を求めて泣き叫んでいる私を見て、抱きしめてあげたい

賢太さんのブログ

welcomejwithintention.hatenablog.com

 

順子にはまったく分からない。

分かるはずがない。

まったく理解できないし、分からない。

 

先の9月リトリート後、

賢太さんから声をかけてもらい、

他の撮影で使った三脚を、のり子さんたちから受け取り、

借りた先へ賢太さんと一緒に返しに行くというファンクションに加えてもらえた。

 

三脚を一人で受け取り、一人で返して終わるものだと思っていた。

 

ちょうどその日のシフトは早番で、

しかも職場から近い駅で待ち合わせし、受け取ることができると思った。

が、それは勤務帰りで都合が良いという効率的かどうか、からの考えであって

ガイダンスではないかもしれない、、と疑っていた。

 

何度か祈るが、やはり私の自我的な都合からやろうとしているのではないかと不安になる。

 

最終的に賢太さんと待ち合わせることになった駅を通過する時、

大爆笑のようなエクスパンションを感じた。

 

うーーん。。これはガイダンスなのだろうか?分からない。。

それを打ち明けてみた。

 

賢太さんから、とりあえず自分が受け取り、二人で祈る。

二人で返しに行くというのもありかなと思う、と

順子には思ってもみなかったことを提案されて、びっくりした。

 

え!一人で行くんじゃないの?

 

笑ってしまった。

予想外すぎて。

 

あまりにも当たり前に一人で行くもんだと思っていたので、

どちらが行くか?という祈りになっていた。

 

昨日、会ってみて祈ってみることになった。

 

空が開けているテラスのテーブルに座ったのだけど、

Awakening 2 loveでユタに行った時に座っていた、木のテーブルと椅子、赤いパラソルに見えた。

 

あの時、エリーが風が強くなってパラソルを閉じようとしているのを一緒に手伝ったら、

Thank youと言ってくれて嬉しかった。

その時の、パラソルと同じに見えた。

 

 

風がとても気持ちいい。

 

さっきまでそこにいる高齢者の人たちの手足となって、汗だくで動き回っていたのに、

座った時に感じる静けさと、穏やかさが心地良かった。

 

祈ると、

三脚は二人で返しに行く感じがした。

そして喜びとともに、三脚の袋の取ってを二人で左右から片方ずつ持つ感じがした。

 

一人で背負わない。

 

そんな感じがする。

 

私は三脚よりずっと重い高齢者の方を抱えているのだから、

このくらい持って歩くなんて平気、という傲慢さがある。

それを賢太さんに打ち明けた。

 

重いものを持って歩くというファンクションなら、それほど苦に感じない。

本当に動ける体だと信じていることや

動けることが楽しい、ということを使ってもらいたい、とも思っていた。

 

お互いに、色々打ち明けていく時間になった。

 

私が一番、悔しいと感じたのは、

9月リトリートの話だった。

 

今回のリトリートで、順子という自分の名前をよく聞き、

怒りや悲しみを順子に感じている、という兄弟からの打ち明けを直接聞くことが多かった。

 

それと同時に

一緒に祈ることで、広がりを感じたと聞くこともあった。

 

リトリートが終わってから気づいたのだけど、

私が何か、兄弟のみんなに

「わたしのおかげだったのよ」と思っていた。

 

だから、

確かに意志して決断した結果、

聖霊がなさしめてくださったことかもしれないけど、

 

「私である順子がやったのよ。」

「私があの場にいたから、そう感じられたのよ。」

そう思っていた。

 

なぜなら、私の想念しか見ていないのだから。

 

「私が」そう思っていたことを、見ていただけだったんだ、と気づいた。

 

それに気づいた時、

猛烈に恥ずかしくなり、悔しかった。

 

兄弟に勝ちたいとか、

私がやってやったと思っていた、思い上がっていた。

 

これについて、打ち明けたくなかったけど、

賢太さんに打ち明けた。

 

賢太さんの口から

順子が現れる前に、すでにみんなは神聖だったと感じたと聞き、

私だけが勘違いしていたことが分かり、

更に悔しさと、悲しさ、怒りが沸いた。

 

それを隠さずに打ち明ける。

 

私がなしたと思っていたことは、全然なされていなくて、

しかもそれはとんだ間違いだった。

順子だけが順子の都合のいいようにそう思いたいと信じ、勘違いしてたのか。。と。

 

思えば、

そんな怒りや、憎しみや、悲しみを感じている相手である順子と、

 

怒りや憎しみを感じながらだったかもしれない、

ほんのちょっとだけだったかもしれないけど、

 

憎しむことを脇に置いて、一つの心に合わせて祈ってくれたんだ。

みんなの方が先に。

 

ヘレンとビルが、

これには別の道があるはずだ、、と思ったように。

 

そう思った時、恥ずかしくなった。

 

私が祈ったからなのよ。と

聖霊より前に出て、

私の、私の、とやっていた。

 

勝ちたかったが丸出しだった。

 

でも

先にすでに兄弟たちの方が祈っていて、神聖でいてくれたのか、、と

知らされた途端、

認めたくないという思いと、ショックと悔しさが溢れた。

 

少しずつ認めていった。

 

このために今日、仲間と会ったのかもしれない。

 

順子である断片も

料理しているみんなの中に入っていった時、

 

一つの心に合わせたい。

どう思われても、思いがあったとしても。

聖霊になさしめていただきたい。

 

確かにそう決断したけど、

自分一人だけの決断ではなく、

一人の決断だけで私に癒しがおとずれたのでは決してなかった。

あの場にいる全員が、すでにそうしていたと思い知らなければならなかった。

 

自分だけ、とか

自分が正しいと主張したいという思いを脇におき、

 

一つの心に合わせて、祈る。

一致したところからファンクションしていく。

 

それだけだった。

 

レベルが高い低いとか、

新しいとか古いとか、

何かやっているからとかやっていないから、とか

そんなのまったく関係なかった。

 

みんな心で同じことをしていた。

 

同じ思いのもと、

同じように祈り、心を合わせて決断してくれていた。

 

 

賢太さんと何を話したのか、

話の内容をあまり思い出せない。

 

賢太さんの話を聞きながら、

 

泣き叫んでいる私から目を逸らさないで、

私を抱きしめてあげたい。

 

泣き叫んでいる私を感じ、

そう思った。

 

あなたは愛です。

 

私が私を愛してあげて欲しいんだ、と。

 

自分が自分を見捨てないであげよう。

そうしてあげたい。

 

 

三脚は二人で祈ると、

今日は順子が持ち帰る、と一致した。

 

効率的なことを言うと、

なんで返却場所の東京から離れたところに住む順子が持ち帰るのだろうか、

もっと近くに住んでいる賢太さんなんじゃないか、という思考が浮かんだ。

 

聖霊にはこの世界の常識とか、効率、なんて、

全く採用してなくて、

 

順子の思考には全く及ばないところから

ガイダンスが与えられるんだな、、そう驚かされることの連続だった。

 

だから、三脚順子には分からない。

 

順子にはこのような考えがある、と隠さず口に出し、さらす。

手放して、もう一度二人で祈ってもらう。

 

分からないことは、分からないと打ち明ける。

これも隠さない。

 

正直に晒すと、私には見えなかったところから兄弟が教えてくれる。

助けてくれる。

 

その繰り返し。

 

三脚は重いと感じたけど、

このように体を使ってもらうことは嬉しかった。

 

家に帰り、箪笥の前に置いたけど、

聖霊に一致しない感じがして、自分の寝るベッドに沿ってピッタリつけて置くとしっくりした。

 

そのまま寝てしまったので、昨日のことなのに覚えてない。

 

だけど、

三脚と離れず、一緒に寝れて嬉しかった。

 

順子も神の道具に過ぎなくて、ただのデバイス

この持ち帰った三脚も私自身なんだ。

 

賢太さんからそう教えてもらって、

そのように感じていた。

 

幸せな三脚。

 

 

 

もしかして赦されている?

仕事が始まる時は、いつもうまく行くだろうか?不安になる。

 

仕事中は、とにかく早く終わらせないと。

時間内に終わらせないと。

いつも焦っている。

 

目の前の人たちのことを見ようとせず、その場しのぎ。

いつも同じパターンの行動。

目を見ず、さっさとことを進めたい。

 

ここにいる目的をいつも忘れることにしている。

 

昨日も同じ。

 

数日前、

業務前に必ずチェックする掲示板に

施設長から全員へのメッセージが入っていた。

 

マザーテレサの言葉:

 

あなたに出会えた人がみな、

最高の気分になれるように、

親切と慈しみを込めて人に接しなさい。

 

あなたの愛が表情や眼差し

微笑み 言葉に

あらわれるようにするのです。

。。。。。

 

ギョッとした。

そんな意識忘れていた。

私には絶対無理。

聖霊にやってもらうしかない。

そんな愛に私は値しません。

 

ちょうどその日は、

先日亡くなられた方のターミナルの意見、感想を出さねばならず、

前にブログに書いたように感じたことをそのまま書いた。

まさにこのマザーテレサの言葉通りのことを目の前で見せてもらえたので、

このこと以外に書く気がなかった。

 

技術的なことや専門的なことは一切わからない。

 

その職員さんが隣にいるカウンターで書いていた。

確かに、今誰に突っ込まれてもそう感じたと言いたいんだ。

だけど、職員さんの”愛を感じました”と書けなかったな。。

優しさと温かさを感じた、という言葉にとどまった。

素直に表現できない、、ここでも。

愛という言葉を出すと、馬鹿にされると思っている。

お前、愛って何か分かってんの?わかっていってるのか?と。

私は愛にふさわしくありません。 いいえ、私は愛などではありません。

恥ずかしい。

 

正直に表現するのは嫌だし怖いけど、

それって私自身に宣言しているのではないか?

 

愛を感じましたって言う相手は全員という自分じゃないのか?

 

あなたが誰なのか、つまり私が誰なのか、ということを

自分や世界に教えてるんじゃないのか。

 

怖い。

躊躇する。正直に言いたくない。

やめとこう。他の言葉にとどめておこう。

自分に一番バレたくないんじゃないか。

一番愚かな行動に感じる。

 

聖霊の課題を書き終えてそう思った。

 

昨日も同じような繰り返し。

 

ただ憎らしいと思っていたおじいちゃんが、最近優しくなっている。

ご苦労さん、ありがとな。と

たくさん声をかけてくれるようになっていることに気づいた。

 

昨日もこの人に夜にオムツをつけにいったら、

第一声がご苦労さん!と言われて、はたと気づいた。

ありがとな。

あれ?。。こんなことあまり頻繁に言わなかったのに。

どこかで、

ほらやっぱり、というように私を憎む態度をとってくれ!と願っているので、

拍子抜けした。

 

つねったり殴ってくる被害者意識のあるおばあちゃん

とにかく目を見たくなくて関わりたくもない、さっさと一目さんに逃げたいのに、

彼女が声をかけてきたときや、お風呂の時に一対一で

パッと目が合うと全く自分の意思じゃないのに、何故かじーっと彼女の目を見つめてしまい、

温かいものを感じたり、

迎え入れようとして近寄っていき、出してきた手を自分の両手で包んだりしてしまう。

おばあちゃんのこと思ってたら、

愛と助けを求める声なんだよ、そう聞こえた。

 

寝たきりで全介助のいつもぎゅーっと目を瞑っている女の人は、

何をやっても、何を言っても、

うん、うん、と無言でうなづいている。

 

結構本人にしては痛い思いをさせているし、

怖がらせているはずのなのに、

しかめ面しているけど何も言わない。

うん、うん、とただうなづく。

 

私はそれに甘んじている。

もっと怒ってもいいし、何か言ってもいいんだよ。

と言ってみた。

もともと発語はほとんどない。

やっぱりいつものように、うん、うん、とうなづくだけだった。

目を時々開いて、じっと天井を見ていた。

 

かなり勝手な解釈かもしれないが、

いいんだ、いいんだ、と私を赦してくれてるのでは?とふと思った。

 

仕事が終わって帰る時、

何かが込み上げてきて、泣いていた。

 

もしかして

私は彼らに赦されているのか?

 

愛してもらっては困るんだよ!

もっと裁いてくれよ!

 

 

勉強会を聞いてたら、

自分に愛を与え、慈しむということが耳に入ってきた。

 

職場はファンクションからの逃げ場だと思っていたし、

自分の処刑場だと思っていた。

 

ここでも愛に囲まれてるんじゃないの?

私が赦されていることを受け入れるだけのために、行ってるんじゃないの?

 

もしかしたら、私は

彼らから愛され慈しまれていることを教えてもらうために、行ってるのか?

 

それを知りたい、と望んでいるから?

 

嫌だ、、。

 

でもなんで泣くんだろう?

 

実はもう

ここに足を踏み入れた時から、

最初っから全員に赦されていたのか?

 

あなたは愛され慈しまれているんだよ

ずっと愛され慈しまれていたんだよ

 

そう、彼らが教えてくれているらしい。

 

私はただそれを

はい、そうだったんですね、と素直に受け入れるか、

 

いいえ、まだまだ私はやります。

愛ではないものなんです!とやり続けるか、

 

どっちかしかしてない。

 

その選択肢も本当はないのかもしれない。

 

私、何、与えようとしてんの?

何、酸素マスクつけに行こうとしてんのさ?

彼らからの答えを聞いて、受け取りに行くんだよ。

 

「自分に愛と慈しみを与えないでいるなんて、絶対目覚められないよ!!」

 

私自身が兄弟という私へ向けて言いながら、

そうなんだな、と聞いていたのを思い出した。

 

 

間違っているかもしれないけど

号泣してたら、突然勝手にPCの電源が入ったので書いてみた。

 

愛に囲まれてるなんて、やばいよ。。

地獄にしておきたかった職場が天国の門みたいで、

毎日そこにくぐりに行ってます、みたいになってきてる、、。

冗談じゃない、嫌だ。吐きそう。

なのに何でこんなブログ書いてんだ?

 

いやいやまった。

頼むから、あんたら邪悪であってくれーー!

邪悪であってくれよ!頼むから!

いてくれないと困るんだよ。

最悪でキモくて、どうにもならない者であってくれよ!

思いっきり私が望んでいる。

 

直子さんと話していて教えてくれて、自分も感じたように、

自分で望んでいながら、目覚めたいとか言っていたことにすら気づかなかったし

コースなんて全くやれてなかったし、今もわかっていないのにわかっていることにしている。

ミッション8ミニッツの8分間を繰り返すことしかできない。望んでるから。

そこから抜け出すには外にいる聖霊にひれ伏してついていくしかない。

それを自分が望むしかない。

 

自分のやりたいようにねじ曲げてしまってると思う。

勝手な解釈ばかりでねじ曲げてるし、素直に感じたことだけ書くって難しい。

間違っていると思います。

 

無価値な私が大好物

無価値感を隠すために怒りを外側にぶつけている。

 

悲しさ、惨めさや無価値さを感じている。

 

無価値感、大好物。

 

無価値感、罪悪感大好き。

 

惨めな私、

 

愛されてない私。

 

神から分離できたんです。

 

好物だ。大好きだ。

 

無価値感のさらに後ろがあったんだ。

あれほど信じていた無価値感、あれ?ない。

 

無価値感の感覚自体が問題なのではなく、

ここで今どっちを選ぶか、それだけ。

そんな感じがした。

 

無価値感ってないのか?

 

無価値感、あってくれ!

ないと困るんだよ。

愛に囲まれちゃうじゃないか。

 

価値がないものに価値をおいている。

 

目がぱちくりする。

 

無価値感しか知らない。

 

無価値感がずっと私だと思ってきたから。

 

これが私でなかったら、私は何なんだ?

  

無価値以外の自分を知らない。

 

聖霊とか愛とか祈りとか言っていたけど、

無価値な私が私だと信じているのに、どうにもならないのにそこから何かしようとしていたなら、

 

一体何やってきたんだろう?

何にもしてなかった。

愕然とした。

 

愛されない私、無価値な私、惨めな私、大好きということを自分に隠していた。

 

好きでやってる、

黒いボックスの中に喜んで飛び込んでいることが自分に暴露されますように。

 

価値がないものは価値がない、と認識できますように。

 

間違っていたい、と望めるように。

 

これが私でないなら、

私が誰なのか、知りたいです。

 

それを知ることでしか、やめられないなら

聖霊の助けがなければ、

どうしたらいいか分かりません。

 

先にわかっていてくれる兄弟がいてくれるおかげさまで、

それに気づくことができます。

 

聖霊、兄弟

ありがとうございます。

 

 

邪悪なものが外にいて欲しくて仕方ないことを認めます

聖霊の導きで

自分が感じてきたことや闇について打ち明けさせてもらう機会があった。

 

闇の思い、罪悪感を感じてますと打ち明けるも、その奥に攻撃的な思いがある。

また、感じたことや意志を打ち明けているだけで、攻撃するつもりはないのに、

どこか打ち負かしたいという思いがあった。

 

この動画を見た。

真我なるハート動画:

【コロナワクチンや陰謀の中に見える「罪悪/邪悪さ」から真に解放されるには?】

www.youtube.com

真我なるハートブログ

blog.goo.ne.jp

 

動画が始まった途端、爆笑してしまった!

 

コロナワクチンについては、私はそれほど投影が起きないと思い込んでいた。

 

いえ?私?コロナに罪を見てませんけど。

すっとぼけていた。

むしろコロナワクチンに罪を見ている人たちに邪悪さを見ていた。

しらばっくれていた。

 

え?私は邪悪さなんて知りませんけど?って。

 

コロナワクチン騒動とそれを話す人たちに焦点を当てることで、

自分も邪悪さを見ているということに気づかないふりをしていた。

 

コロナを盾にしていた。

 

相手がコロナじゃないところにだって、

私は思いっきり、

ダメダメな人、邪悪な人、ダメな人がいてくれて、

ダメな物があってくれて、すっごい喜んでいるじゃないか!

 

いてくれ、いてくれ!あってくれ。

いや、あなた絶対そうだよね。邪悪なんだよ。あなたは。

 

横浜ハー○ー、お前は美味しくないんだよ!まずいんだよ!邪悪なんだよ。

いるよね、お前!

あーいてくれて良かった。

 

私知ってるよ。

包装にくっつくいてむきにくい、

いかにお土産に適してないか(自論)を親に嬉々として語っている。

 

ほーれ見てみい!

 

興奮して見つけたと言って喜んでいる!

いかに邪悪なのかを分かってもらいたくて語るとき、嬉しくて喜んでいる。

 

 。。。。。

 

世界に頼み込んでいる。

どうか邪悪な奴いてくれ。

自分の中の触れたくなかった何かに触れてしまうから。

いてくれないと触れてしまう。

指をさせるところをずーっと探している。

非常にガクブルで罪ある何かを探したくて、探し出したくて、

悲痛な叫びの中、自分より邪悪な何か、ほんのちょっとでも良いから血眼になって探している。

14:02

それがあってくれることによって自分の心の焦点をずっと外側に釘付けにし続けることができる。

16:40

自分の心の中で見ないことにする、と決めたものを投影している。

これは見ないことにすると決めた邪悪な罪。

自分の中にあると思っている、邪悪な罪。

これは自分の中に見ないことにする、と決めた何かがあるので、

それが次の瞬間、第4分裂の中で邪悪な何者かにあてがわれている。

26:15

誰でもいい。家族だろうと、政府だろうと。誰でもいい。

なんでもいい。床のシミでもいい。

お前このやろー!って言える何かがいてくれないと、あってくれないと相当困る。

そのくらい血眼になって探している。

そういう邪悪な何者か、どうにもならない床のシミが消えてくれることが私にとっての救済方法なのではなくて、

自分の中にあると思っている邪悪さ、罪深さというものが、

そもそもそんな罪は犯していなかった。

そもそも私が邪悪な何者かになることは不可能だった。

自分の中に罪などなかったということを、教えてもらってそれを受け入れる以外に根本的な解決はない。

32:22

本当に根本的に間違っていたことを望む以前に、

自分がどれくらい罪深い何者かが

自分の心の外側にいてくれ!いてくれ!

欲して、欲して、欲していることを認識するステップが必要。

。。。。

 

邪悪なもの、いてくれ。

 

これを自分の中に認めていくことは、

コースを歩んでいますというできている風、赦せてる風を装ってきた私にとって、

真逆のことだから、避けたかった。

 

まさか全員、なんでもいい、邪悪なものであってくれ、と思っているとは。

 

でもはっきりとそれに気づいた時、賢太さんと同じように笑ってしまった。

うわーバレちまった、、と。

 

やってるわ、、。

 

。。。。

41:43

罪はある。罪はあり得るんだ。と言っている統合失調症患者状態。

裁かず、咎めず。

罪は存在しないんだ。ある、ある、あることにしたい。証明したい願望に気が付く。

 

49:42

自分の正しさを退けて、聖霊がおっしゃるままに従う。

自分の、知ってる、こうであるはずという考えと信念と一緒に聞くか。

聖霊と一緒に、いいえ、それは起こり得ません。

不可能です。あなたには罪はありません、という心と共に生きるか。

二つに一つ。

 

最終的にどっちに信を置いていくか。

 

。。。。

今は親だろうが、マイティーコンパニオンだろうが、

骨と皮だけの身体、高齢になって言うことを聞かなくなった体に邪悪さを見たい、

コースを歩む私とそれ以外の人だろうが、

なんでもいい。なんでも使って、

 

邪悪なものいてくれ!いてくれ!と血眼になって探している、

ということを素直に認めたい。

 

コースを歩み、内側への道、神への道を歩んでいる私は正しく、

それを理解できない家族、両親、

あなたたちは間違っていて邪悪だ!ダメダメだと思ってる。ばかにしてる。

そう思わせてくれって思ってる。

邪悪でダメダメでバカな人が外にいて欲しい。

 

それは自分の中にある見たくない罪を、外側にあてがいたいからなんだ。

ここはまだ、頭から言っている感じがする。

 

いてくれないと困ると思っているのか?

そこまではまだ分からない。

 

コース実践者としてできてない風に感じる。ダメダメに感じる。

 

動画の中で、

どうやって訂正を受け入れたらいいか、とのり子さんが言っていた時、

罪に魅力を感じているからと感じて、コースの罪悪の魅力p535を見てみた。

 

罪悪の魅力IV.i10

罪悪の魅力は、愛に対する恐れを生み出す。

 

恐れを感じるそれ以前に、罪悪に魅力を感じてるのか。

 

まったく分かりません。

だけど、私は知覚が狂っていて恐れを感じているのだから、

どうやら罪悪に魅力を感じているらしい。

 

まず一歩として、

邪悪なもの、悪者、だめだめな者を

自分以外の外側に見たくて見たくてしょうがないんだ、と認めます。

 

私や兄弟が

真に誰なのかを思いだしたいからです。

 

神は愛であり、

私は神の子であって、

信じてきた罪はなかったんだ、、

私は神と一つで愛されているんだ、ということを思いだしたいからです。

 

今、幸せでいていいんだ。

愛されていたい。

 

打ち明けさせてもらった兄弟、

動画中でシェアしてくれたけんたさん、

ネタばらしをしてくれたのり子さん、ありがとうございます。