無価値感を隠すために怒りを外側にぶつけている。
悲しさ、惨めさや無価値さを感じている。
無価値感、大好物。
無価値感、罪悪感大好き。
惨めな私、
愛されてない私。
神から分離できたんです。
好物だ。大好きだ。
無価値感のさらに後ろがあったんだ。
あれほど信じていた無価値感、あれ?ない。
無価値感の感覚自体が問題なのではなく、
ここで今どっちを選ぶか、それだけ。
そんな感じがした。
無価値感ってないのか?
無価値感、あってくれ!
ないと困るんだよ。
愛に囲まれちゃうじゃないか。
価値がないものに価値をおいている。
目がぱちくりする。
無価値感しか知らない。
無価値感がずっと私だと思ってきたから。
これが私でなかったら、私は何なんだ?
無価値以外の自分を知らない。
聖霊とか愛とか祈りとか言っていたけど、
無価値な私が私だと信じているのに、どうにもならないのにそこから何かしようとしていたなら、
一体何やってきたんだろう?
何にもしてなかった。
愕然とした。
愛されない私、無価値な私、惨めな私、大好きということを自分に隠していた。
好きでやってる、
黒いボックスの中に喜んで飛び込んでいることが自分に暴露されますように。
価値がないものは価値がない、と認識できますように。
間違っていたい、と望めるように。
これが私でないなら、
私が誰なのか、知りたいです。
それを知ることでしか、やめられないなら
聖霊の助けがなければ、
どうしたらいいか分かりません。
先にわかっていてくれる兄弟がいてくれるおかげさまで、
それに気づくことができます。
聖霊、兄弟
ありがとうございます。