私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

もしかして赦されている?

仕事が始まる時は、いつもうまく行くだろうか?不安になる。

 

仕事中は、とにかく早く終わらせないと。

時間内に終わらせないと。

いつも焦っている。

 

目の前の人たちのことを見ようとせず、その場しのぎ。

いつも同じパターンの行動。

目を見ず、さっさとことを進めたい。

 

ここにいる目的をいつも忘れることにしている。

 

昨日も同じ。

 

数日前、

業務前に必ずチェックする掲示板に

施設長から全員へのメッセージが入っていた。

 

マザーテレサの言葉:

 

あなたに出会えた人がみな、

最高の気分になれるように、

親切と慈しみを込めて人に接しなさい。

 

あなたの愛が表情や眼差し

微笑み 言葉に

あらわれるようにするのです。

。。。。。

 

ギョッとした。

そんな意識忘れていた。

私には絶対無理。

聖霊にやってもらうしかない。

そんな愛に私は値しません。

 

ちょうどその日は、

先日亡くなられた方のターミナルの意見、感想を出さねばならず、

前にブログに書いたように感じたことをそのまま書いた。

まさにこのマザーテレサの言葉通りのことを目の前で見せてもらえたので、

このこと以外に書く気がなかった。

 

技術的なことや専門的なことは一切わからない。

 

その職員さんが隣にいるカウンターで書いていた。

確かに、今誰に突っ込まれてもそう感じたと言いたいんだ。

だけど、職員さんの”愛を感じました”と書けなかったな。。

優しさと温かさを感じた、という言葉にとどまった。

素直に表現できない、、ここでも。

愛という言葉を出すと、馬鹿にされると思っている。

お前、愛って何か分かってんの?わかっていってるのか?と。

私は愛にふさわしくありません。 いいえ、私は愛などではありません。

恥ずかしい。

 

正直に表現するのは嫌だし怖いけど、

それって私自身に宣言しているのではないか?

 

愛を感じましたって言う相手は全員という自分じゃないのか?

 

あなたが誰なのか、つまり私が誰なのか、ということを

自分や世界に教えてるんじゃないのか。

 

怖い。

躊躇する。正直に言いたくない。

やめとこう。他の言葉にとどめておこう。

自分に一番バレたくないんじゃないか。

一番愚かな行動に感じる。

 

聖霊の課題を書き終えてそう思った。

 

昨日も同じような繰り返し。

 

ただ憎らしいと思っていたおじいちゃんが、最近優しくなっている。

ご苦労さん、ありがとな。と

たくさん声をかけてくれるようになっていることに気づいた。

 

昨日もこの人に夜にオムツをつけにいったら、

第一声がご苦労さん!と言われて、はたと気づいた。

ありがとな。

あれ?。。こんなことあまり頻繁に言わなかったのに。

どこかで、

ほらやっぱり、というように私を憎む態度をとってくれ!と願っているので、

拍子抜けした。

 

つねったり殴ってくる被害者意識のあるおばあちゃん

とにかく目を見たくなくて関わりたくもない、さっさと一目さんに逃げたいのに、

彼女が声をかけてきたときや、お風呂の時に一対一で

パッと目が合うと全く自分の意思じゃないのに、何故かじーっと彼女の目を見つめてしまい、

温かいものを感じたり、

迎え入れようとして近寄っていき、出してきた手を自分の両手で包んだりしてしまう。

おばあちゃんのこと思ってたら、

愛と助けを求める声なんだよ、そう聞こえた。

 

寝たきりで全介助のいつもぎゅーっと目を瞑っている女の人は、

何をやっても、何を言っても、

うん、うん、と無言でうなづいている。

 

結構本人にしては痛い思いをさせているし、

怖がらせているはずのなのに、

しかめ面しているけど何も言わない。

うん、うん、とただうなづく。

 

私はそれに甘んじている。

もっと怒ってもいいし、何か言ってもいいんだよ。

と言ってみた。

もともと発語はほとんどない。

やっぱりいつものように、うん、うん、とうなづくだけだった。

目を時々開いて、じっと天井を見ていた。

 

かなり勝手な解釈かもしれないが、

いいんだ、いいんだ、と私を赦してくれてるのでは?とふと思った。

 

仕事が終わって帰る時、

何かが込み上げてきて、泣いていた。

 

もしかして

私は彼らに赦されているのか?

 

愛してもらっては困るんだよ!

もっと裁いてくれよ!

 

 

勉強会を聞いてたら、

自分に愛を与え、慈しむということが耳に入ってきた。

 

職場はファンクションからの逃げ場だと思っていたし、

自分の処刑場だと思っていた。

 

ここでも愛に囲まれてるんじゃないの?

私が赦されていることを受け入れるだけのために、行ってるんじゃないの?

 

もしかしたら、私は

彼らから愛され慈しまれていることを教えてもらうために、行ってるのか?

 

それを知りたい、と望んでいるから?

 

嫌だ、、。

 

でもなんで泣くんだろう?

 

実はもう

ここに足を踏み入れた時から、

最初っから全員に赦されていたのか?

 

あなたは愛され慈しまれているんだよ

ずっと愛され慈しまれていたんだよ

 

そう、彼らが教えてくれているらしい。

 

私はただそれを

はい、そうだったんですね、と素直に受け入れるか、

 

いいえ、まだまだ私はやります。

愛ではないものなんです!とやり続けるか、

 

どっちかしかしてない。

 

その選択肢も本当はないのかもしれない。

 

私、何、与えようとしてんの?

何、酸素マスクつけに行こうとしてんのさ?

彼らからの答えを聞いて、受け取りに行くんだよ。

 

「自分に愛と慈しみを与えないでいるなんて、絶対目覚められないよ!!」

 

私自身が兄弟という私へ向けて言いながら、

そうなんだな、と聞いていたのを思い出した。

 

 

間違っているかもしれないけど

号泣してたら、突然勝手にPCの電源が入ったので書いてみた。

 

愛に囲まれてるなんて、やばいよ。。

地獄にしておきたかった職場が天国の門みたいで、

毎日そこにくぐりに行ってます、みたいになってきてる、、。

冗談じゃない、嫌だ。吐きそう。

なのに何でこんなブログ書いてんだ?

 

いやいやまった。

頼むから、あんたら邪悪であってくれーー!

邪悪であってくれよ!頼むから!

いてくれないと困るんだよ。

最悪でキモくて、どうにもならない者であってくれよ!

思いっきり私が望んでいる。

 

直子さんと話していて教えてくれて、自分も感じたように、

自分で望んでいながら、目覚めたいとか言っていたことにすら気づかなかったし

コースなんて全くやれてなかったし、今もわかっていないのにわかっていることにしている。

ミッション8ミニッツの8分間を繰り返すことしかできない。望んでるから。

そこから抜け出すには外にいる聖霊にひれ伏してついていくしかない。

それを自分が望むしかない。

 

自分のやりたいようにねじ曲げてしまってると思う。

勝手な解釈ばかりでねじ曲げてるし、素直に感じたことだけ書くって難しい。

間違っていると思います。