私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

与える先は自分自身

思い出すのは今の職場に勤める前の面接の時、

一番偉い理事長自ら開口一番、

 

「それで月収はいくらになるの?

国民年金や税金の支払いは?

ちょっと計算してみて。」

 

と偉い人たちがずらっと6人並んでいる中で、

私が生活していけるかの計算をみんなで電卓を叩いて計算したり、話し始めた。

 

私が裁かれる場、

そこに採用されるかされないかを見定められる場であって

まだそこの社員ではないのに、

 

施設長や主任や園長などお偉い方々がみんなで電卓叩きだしたり、

今は年金どのくらいなの?とみんなで話したり、私に聞いたりしてきた。

 

私はただその様子に驚いていて、

ただ皆さんが考えたり計算してくれているその様子を見ながら

申し訳なさを感じながら、呆然として椅子に座っていた。

 

罪悪感感じながら。

私が裁かれる立場なのに。

 

それ以外にも

気がつこうとしていなかったけれど、

ここに勤めさせていただいていること自体、奇跡なんじゃないか?

 

そう思わずにはいられない。

 

温かいエピソードや気づいたことの数を上げたらきりがない。

ありえない。

 

私なんかより全然偉い人が、グループのトップの人が

親身になって、献身している。

 

その献身が、

ただのパートの私にも、注がれている。

 

採用された時から

とても丁寧に扱ってくれる。

 

今日もトップの主任さんに連絡をした。

ああ、やっぱりそうだと感じた。。

 

電話口から伝わってくる

”仕えている”

 

この方たちはみんな献身している。

 

仕えている。

 

去年ユタ騒ぎを自分でしていた時、

航空チケットの手配をしてくれた旅行会社の方からも感じた。

 

”仕える”

 

 

私は完全に負け。

 

一番トップの方から、

同僚の職員さんたち。

 

みんな仕えている。

献身している。とても。

 

自分のことしか考えられない私は、

まだ真に理解していないけれど、その姿は美しいと思う。

 

すごいなって思う。

 

 

私が一番狂ってる。

 

狂ってるよ。私が一番。

 

ひねくれているよ。

文句ばっかり言ってるよ、私。

 

あっほだなあ。

 

 

利害の一致。

 

相手は自分なんだ。

 

誰に対しても、そうありたい。

 

きっとみんな、

無意識でそうやってる。

 

無意識でだよ!

 

損得を考える時、

それは与える相手が自分だと思ってないから。

 

みんな無意識でそれをやってるなんて、

完全に私の負けじゃないか!

 

コースやってきました、だの、真我なるハートだの、以前に。

 

神という言葉を知っているから、それが一体何になる?

 

私は完全に負けている。

 

もちろん、利用者さんたちにも。

 

私は負けるために、ここに導かれたんだ。

 

 

みんなに、献身を教えてもらおう。

どうか献身を教えてください。

 

ありがとう。

 

相手が誰なのか教えてください。

 

今日のあの電話で伝わってきて教えてもらったこと。

 

仕えている相手は、自分自身。

 

与える先は、自分自身。

 

 

 

 

全額免除

昨日、父にイライラをぶつけてしまい、

父が機嫌悪くなり、険悪になった。

 

今朝、

”私から「おはよう」と言う”

聖霊から感じた。

 

なんで?言いたくねえ。という思考が上がってきたが、

「おはよう」と声をかけた。

 

父から「おはよう」と言われ、

そこから何ごともなかったように会話が続いた。

 

今までだったら、たったそれだけのことなのに、

自分から言うのが超負けなので、散々先延ばししていた。

 

もしくは

親だからと甘えて、

親から何か妥協して優しくなってくれることを待っていた。

 

先延ばししたくない。

 

 

その後、ガイダンスを感じて市役所へ行った。

 

国民年金や、市民県民税、国民健康保険税

 

今まで私、払えます。

ちゃんと払ってます!と言いたくて借金までして払ってきたけど、

もうどうにも難しくなった。

 

いよいよ無理だ。

 

電話でも良いんじゃないか?

 

No。

 

はい。

 

窓口でお姉さんが進んで教えてくれた。

国民年金の支払いは、前年働いてきた私の場合、

「全額免除ができる可能性があります。」

 

全額免除。

 

驚いた。

そんな手段もあるのか。

 

もちろん、

審査が通らないといけないし、

その間の何かあった場合の受取額は半分になる?らしい(多分)。

 

この

全額免除。という言葉を聞いて、

 

いやいや。

半分なら払えるよ。とか、

1円でも払わせて。というような思考が上がり、

 

罪悪感が上がってきた。

 

プライドだ。

 

罪あるものでありたい。と思っている。

そうまでして保ちたいプライドなんて、要らん。

 

助けてもらいたいんだ。

 

神に素直になりたい。

 

私は神に面倒見てもらうことを望みます。

 

申請させてもらうことにした。

 

必要な書類を一旦取りに帰ろうとする時、

その窓口のお姉さんに

「今日は暑いから、気をつけて行ってきてくださいね。」

と優しく言われた。

 

神の摂理

ありがたく受け入れます。

 

ありがたい。

 

素直にありがたかった。

 

支払いが軽くなったからではなく、

神に面倒見られていることが。

 

神の計画の邪魔しかしてないから、

少しでも邪魔したくない。

 

その後、

ここでもう手続きしたから帰って良いだろう。と思ったけど、

 

No。

 

はい。

 

一つ一つの窓口で現状を話し、

今いっぺんに払えないと腹を割って話して、

どうしたら良いですか?と助けを求めた。

 

それぞれその時に電話してください、とか

こういう方法もありますよ。と教えてくれた。

 

 

この世界で立派に生きていく私でなんか、いられない。

 

神を一番にして、生きるのだから。

 

 

神の摂理

いつでも受け取っていきたいです。

 

ありがとうございます。

 

 

キモイのをいつでも、どこでもやめていく

職場でも、

腹を割ってコミュニケーション取っていく。

 

黙っていない。

 

エクスプレスしていく。

 

妥協しない。

 

どの瞬間も。

 

この命

この人生は

神のものだ。

 

どの瞬間も

神を一番において、素直でありたい。

 

本心でないと

キモい。

 

神を一番にしないと

キモい。

 

キモいのを

いつでも、どこでもやめていきたい。

 

先延ばしになんて

する必要ない。

 

人を喜ばせようとするのがキモい。

 

思考を隠し持っているのもキモい。

 

やめていきたい。

 

 

マトリックス

奇跡講座近辺とか、

真我なるハート界隈とか。

 

ここだけは違うだろうと思っていた。

どうやらこれもマトリックスの中で

 

私が兄弟を見たり話している中では、

同じことがただ繰り返されているだけのように見えたり、聞こえた。

 

それに反応する自分も、

ただの決まりきったシステムが稼働しただけ、

昔も今の同じことを繰り返しているだけのように見えた。

 

ここで神に従う私でありたいという私が

すでにただのシステムか。

 

気持ち悪い。

 

 

頭が真っ白で、

記憶があやふやだ。

 

残したくないのかもしれない。固まっている。

 

モーフィアスの大ジャンプと

ネオのカンフーが超高速になったところだけが残っている。

 

どうしたら良いか分からない。

 

聖霊、あなたに見てもらしかありません。

助けてください。

 

 

強行突破するのをやめたい

ファンクションの途中。

行き先から帰り、

自宅でやらなければならないことがまだ残っていた。

 

帰り道、

ふとマスクがあまりないので買おうという思考が浮かんだ。

 

それに違和感があったけど、

今のうちに買っておきたいと思い出した。

 

店に入っても

そこじゃない、という感じがあったのにもかかわらず

店内に入り、他のものも買って行こうか、といつものパターンにはまっていた。

 

しばらくすると

孫悟空の頭の輪っかが締め付けるように痛くなり、

吐き気と胃がひっくり返るような感覚になった。

 

ああ、これじゃない。

 

やっと観念して店を出た。

 

そして作業に取り掛かったけれど、、

 

そうやって先延ばしにしている。

 

いつものパターンだけど、

当たり前だろ?くらいに行動し、手にする品物や見るものも同じ。

 

店の前から

ここへ入ることが聖霊のガイダンスではない感覚はあったにもかかわらず、

 

出先だから、

5分やそこら、ちょっとくらいいいだろう。

 

そうやって道をそれ出したら、

どんどん止まらなくなってしまった。

 

Stop。

 

立ち止まりなさい。

 

全然、立ち止まる気がなかった。

しかも違和感あったのに、

 

これはいよいよおかしい。と思うまで、

自分の決まったパターンの行動を疑いもせず、続けて強行突破していた。

 

自分で決めたい。自分の方が正しい。

少しくらいなら。

 

そうやって妥協していった。

 

あれだけ、

指示をもらった後はすぐに帰ろうとしていたのに。

 

神を一番にしていない。

 

当たり前だろ?と突っ走る。

常識だとか。

 

常識なんて通用しないんだよ。

 

店に入って買うものなどのパターンも全く同じ。

おかしいということに気がつけない。

 

Hang the DJで

1、2、3、4で石ころがいつも4までしかいかないのは何故だ?と言っていた。

 

そうなんだよ。

これはおかしい。

私はおかしいのかもしれない。

 

私はこのように

決まりきったパターンがいくつもあって、

その通りに動いているな。

 

疑いもせず。

 

そうしていれば安心。と。

 

当たり前だろ?常識だろ?

 

そう思っているけど、

その当たり前を疑いなさい。

 

そう言われている感じがする。

 

自分で思っている以上に、

私が作り出したこの常識に囚われている。

 

いつも聖霊より

自分の正しさを言い張り、強行突破する。

 

それをやめたい。

 

まずは立ち止まる。

 

聖霊に耳を傾ける。

 

 

申し訳ない。

 

神を一番にしたいです。

 

 

 

Noという勇気

理由など必要なく、

 

ワクチン接種は

「受けません」

 

とだけ言った。

 

「それが私の意志だから。」

というところから。

そう聖霊から感じたから。

 

理由なんて必要なかった。

 

本当にそれだけだ。

 

上司が理解できる良い人だから

言い訳していい顔しておこう、とか

 

そんなの辞めるんだ。

 

人間として良識的な介護職である私、なんて

辞めるんだ。

 

この世界にNoと言うこと、

 

神を一番にする

そのような心の姿勢でいることが、

 

意思表示したその相手の上司という私自身に

あなたはこの世界に住まう者ではありませんという

真理を教えていることになり、

 

私自身を助けることになる、という感じがした。

 

実際、受ける受けないは個人の意志を尊重してくれて、

全員に強制はしない。

 

今はこのように優しいレッスンを聖霊から与えてくれたのだと思う。

 

限界を超えていくこと。

まだまだ、限界が分からない。

 

安全地帯の余裕を残しているからです。

 

どうか聖霊

恐れを超えていけるように助けてください。

 

 

安全地帯から出ていく

祈り、

自分から手を挙げる。

声に出す。

 

聖霊のガイダンスじゃないかもしれない。

間違っているかもしれない。

 

ものすごい葛藤した。

 

それでも、何か感じているので

やらせてください。と勇気を出して言ってみた。

 

間違ったっていいんだ。

私じゃなくても他の兄弟がやってくれるのだから。

 

その結果、やらないことになったとしてもいいんだ。

 

そうやって、

心に耳を澄ませて、素直になっていきたい。

 

私はあまりにもやってこなかった。

怖い。

 

安全地帯に居続けた。

 

 

今日のたった一歩。

 

たった一つのYes。

 

これもまた

神の摂理なのかもしれません。

 

ありがとうございます。