私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

犠牲者になろうとするのをやめていく

12/20勉強会より

 

不平不満を言って

いかに自分が犠牲者かと言いたい誘惑がある。

 

この誘惑に乗っかってそれと同一化するのをやめるんだという決断。

 

その場、その場で

その瞬間、その瞬間、決断していく。

 

犠牲者になろうとしている自分に気がついて、

同一化するという決断から剥がれていく。

 

自我は騒ぐけれども

その自我が言っていることを自分の考えというふうに言い張り始めて、

同一化する誘惑に気がついてそれを捨てていく。

 

その場その場で求められる。

 

 

邪悪なままでいたい

 

惨めなままでいたい。

 

 

邪悪なままでいたい。

 

 

罪あるものでありたい。

 

 

私はそれなんだよ。

 

 

それでいさせてくれ。

 

 

そのままでいさせてくれよ。

 

 

愛を受け入れるくらいなら。

 

 

愛なんか1mmも受け入れたくもない。

 

 

恐ろしい。

 

 

そっちの方が怖いよ。

 

今のわたしにとっては。

 

 

今どのレベルとか分かんないけどね。

 

 

受け入れたら終わる。

 

 

死ぬーーーって思ってる。

 

 

触れそうになると

忘れていたいのに、ギャーーーー!!って叫んでるのに気づく。

 

 

愛が少しでも入ってこようもんなら、

 

 

真っ先にそれを排除する。

 

 

聖霊に従いたいなんて

思ってもないこと言ってた。

 

聖霊に従うわたし像を

維持していたかっただけだった。

 

 

惨めだ。

 

でも

それでもいいと思っていることに

うっすら気づいていた。

 

必死で手放すまいとしている。

 

惨めでもいい。

わたしを維持できるなら。

 

 

邪悪な私でいたい。

 

それも誘惑だと言われた。

 

 

私が進んでそうありたいと思っているのか。

 

確かにそうだ。

 

 

私が邪悪じゃなかったら、

私は一体何なんだ?

 

 

邪悪なわたしがわたしなんだよーー!!

だってそうでしょ。

 

困るんだよ!!

そうじゃなかったら。

 

 

それじゃなかったら、

わたしはいったい何なんだ?

 

 

え、恐れてなんかいませんけど?

ととぼけている。

 

それを受け入れるのが怖い、

と思っている。

 

 

わたしが誰なのかを知るって

もしかしたら最大の恐怖なんじゃないのか?

 

 

聖霊を排除したくてたまらない。

 

愛が嫌だ。

 

 

それでも少しずつ、

本当のことを教えてもらいたい。

 

 

 

負けを認めようとしていない

うーーっすら感じていたけど

 

見たくなかった、

認めたくなかった想いがあった。

 

祥子ちゃんから感じる従う姿勢や献身の姿勢。

 

敵わない。

 

私にはない。

 

私は負けてます。

 

うん。私はわかっていますよ。

受け入れていますよ。

 

そういう体でいた。

 

 

けど、、、

 

それを

認めたくない、と思っていた。

 

それを認めてしまうと、

自分の惨めさを認めることになるから。

 

ああ。

 

そうだ。

 

自分で自分に分からないようにしていたかったよ。

 

気づきたくなかったな。

 

恥ずかしいよな。

 

勝とうとしているなんて、

そんなこと私が思っているはずない。

 

そう思い込んでいたかった。

 

 

 

隠したかった思いを打ち明ける

9月のリトリートの時に

祥子ちゃんと手を繋いだことがあった。

 

祥子ちゃんはその時、

実は嫌でギャーーーと思っていたけど、その時は言えなかった。

 

そのように

私に正直に打ち明けてくれた。

 

それを聞いた時、

 

私は9月の時は分からなかったけれど、

愛が近づいてくるとやめてくれー!と叫んでいることに

最近やっと気づいたよ。

 

今なら私も分かるよと話した。

 

確かに、そう感じていた。

 

でもそう話した後から

私は何か隠しているな、、と感じていた。

 

本当は何かを感じているのに、

 

それを言いたくないから、

私もそうだよ。とさっと同意して話を終わらせたかったんだ。

 

手を握っている私。

愛を祥子ちゃんに与えている私。

愛ある私でいられた。

 

その時は、

Be done throughで聖霊の愛を表現しているんだ、と思っていた。

 

ハグをする、

手を繋ぐ、

体に触れる。

 

私がmighty companionにして欲しいと思ってきた愛情表現だ。

 

確かに、利害のないところからmighty companionにそうしてもらって

私は癒されることが多かった。

 

 

隠していた感情や思考を

もう一度見ていく。

 

祥子ちゃんが

私たちが手を握っている間、嫌ーーーーと思っていたと聞いた時、

 

まず怒りが湧いた。

 

そしてその後、

ぎゃ!として

思いっきり恥をかかされたという思いが湧いた。

 

恥ずかしい。

 

自分はあまりにも当たり前に、

 

愛を与えることができた。

だから祥子ちゃんもそれを同じように喜んでいるに違いない。

 

そう思い込んでいた。

 

 

裏切られた。

そんな感じがした。

 

そして次に、

悲しくなった。

 

寂しい。。

残念だな。。

 

そうか。。

 

がっくりしているような、

残念な思いだった。

 

寂しい。

 

そして

愛ある私でいられてリトリートを終えられたと思っていた。

 

聖霊に従って、愛ある私でいることができている私。

 

頑張って、必死で

Be done throughをしている私。

できている私。

 

愛を通せて

愛ある私でありたかった。

 

愛がないと思っている

寂しく、惨めで、情けない、醜い私。

 

これを隠すためにそうしていた。

 

私自身がそれに気づいていなかった。

 

悲しかった。

愕然とした。

 

そんなはずない。

間違っているはずない。

 

あれが愛だった、

それで終わりにしたかったなんて、

そう思っていることすら認めたくなかった。

 

ああ、

そうやって隠してきたんだな。。

 

神に従う私。

愛ある私。

 

手を握るというのも、

私がそうなんだから、

誰にとってもそれを喜ぶに決まっている。

 

そう思っていることにすら気づかなかった。

 

自分の勉強会の時、

のり子さんやそこにいるみんなには打ち明けようと思って

シェアをした。

 

けど

何かそれも違うと感じていた。

 

私は一体どこに向かって

あの時感じたことを打ち明けているんだ。。

 

祥子ちゃんに直接、

言うべきなのではないのか?

 

直接本人に打ち明けることを避けたいんじゃないのか??

 

その場にいるみんなに言うことで、

打ち明けられたことにして。

 

ほら、私はこんなに正直なんですよ。

できるでしょ?

私、素直でしょ?

 

そうやって自分を証明することに使ってる。

 

怖いから。

直面したくないから。

 

このまま黙っていたって別に良いのかも。

 

そんな思考も上がってきて、

くすぶっていた。

 

 

22日の勉強会で

のり子さんが話してくれた五井先生の話があった。(あやふやですみません)

 

人は最後には、死ぬ。

死ぬことは大したことじゃない。

 

神に開いているかどうか。

 

それだけだ。

 

そのような感じだったと思う。

 

涙が止まらなかった。

 

そうだ。

 

もし明日死ぬなら、

 

今感じているこれを

祥子ちゃんに直接打ち明けたい。

 

そう思った。

 

ためらいがあったし、

これはガイドじゃないかも知れない、

やっぱり違うんじゃないか。

 

そんな思考も上がった。

 

それでも

これが私のプライオリティーなんだ。

 

目の前のことを、

 

今、直面していることを

一つ一つやっていくしかないよ。。

 

連絡をしたら、

その日に話を聞いてくれることになった。

 

ありがたかった。

 

祥子ちゃんが打ち明けてくれた時、

実は悲しいと思っていたんだ。

 

それをすぐその場で言えなかった。

 

「私」が、祥子ちゃんに愛を与えようとしていた。

 

私の方が祥子ちゃんよりも愛があって

与えるものであると思っていたかった。

 

そう思っていた。

 

だから

そう聞いた時、

 

拒否されたように感じて、

 

とても残念だな。。

ああ、悲しい。

虚しい。

 

本当は、

そう思っていたんだ。と。

 

人に見せたくない

とても臭い膿が溜まっているひどい傷を

 

恥ずかしいからひた隠しに隠してきたのに、

それがむき出しになってしまった。

 

そんなふうに感じていた。

 

自分にも隠していた。

 

 

それを打ち明ける前までは、

怖かったし、罪悪感を感じていた。

 

そんなことわざわざ打ち明ける必要ないんじゃないか。。

きっと祥子ちゃんに嫌われるだろう。

怒られる。

 

祥子ちゃんとナイスな関係を保っていたいのに、

 

それをわざわざ壊しにいくなんて、

なんて馬鹿なことしようとしているんだ。

 

それでも、

正直でありたい。

 

先に祥子ちゃんが正直に打ち明けてくれたからこそ、

 

この

どうしようもない

見せるのが恥ずかしい

乾いていないグチャグチャになって膿んでいる醜い傷、

 

そんな傷がある私に気がつかせてもらえた。

 

自分が感じていることや思考を

そのままを祥子ちゃんに打ち明けた。

 

勉強会で私がこのことについてシェアした時、

 

祥子ちゃんは、

 

その時、聞いていたよ

と話してくれた。

 

そうだったのか。。

 

私はその場に

祥子ちゃんはいないと思っていた。

 

 

祥子ちゃんは

このように教えてくれた。

 

私が実は

悲しいと思っている。と打ち明けたのを聞いた時、

 

癒されたよ、と。

 

え。。

 

実は、

悲しい、と思っているなんて打ち明けたら、

 

きっと祥子ちゃんを裏切ることになる。

傷つけることになる。

怒るだろう。

 

そう信じていたから、

 

癒された、と言われて驚いた。

 

 

どういうことだろう?

 

そうなの??

 

驚いたというか、

キョトンとしてよく分からなかった。。

 

それでも

どこか、ほっとしていたのかもしれない。

 

私が打ち明けることで、癒されるのか。。

 

ストーリー上

私が悲しみを感じるきっかけとなった人で、

 

その思いを打ち明けられた、まさにその相手が。。?

 

 

のり子さんがエクスプレスしてくれたことで私が癒された

5月の輪島の経験がよぎった。

 

何なんだろう。私にはよく分からない。。

理解できないけど、何か起きているのかな。。

 

そんな感じだった。

 

手を握って愛を表現したのに、

私の愛を受け入れてもらえなかったと信じていて、

 

悲しいという感情はまだあるのに。

 

ある。

確かに、悲しいと思っている。

 

それでも

そのままこれをどうこうするのをやめたい。

 

そう思った。

 

私はもう、

 

私自身の傷を傷として

受け入れてあげたいんだ。

 

しっかり見ていって、

 

そんなものを信じていたんだ。

 

抱えていたんだということを

 

もう、隠さずに見てあげたいんだ。

見ていきたい。

 

隠さないであげたい。

 

 

それが間違っていることを望むために。

 

真に、

幸せでありたいから。

 

 

そしてこれを打ち明けた後、

 

12月の勉強会に参加してきたのは、

このためだったと思った。

 

 

祥子ちゃんありがとう。

 

参加していた皆さん、

のり子さん、ありがとうございます。

 

聖霊ありがとうございます。

 

怖いです。

今、何でも怖い。

 

怖いけど、

どうかこれからも導いてください。

 

 

Rest in Godしていきたい

愛あるものでありたい。

 

神に従うものであるために、必死だったんだ。

 

 

今もそうあろうとする。

 

 

神を受け入れていって、

ただ消え去るだけなんて。

 

自分が思っていた献身や、神に従うことと、

全然違うじゃないか。

 

 

自分がピエロみたいに感じて

それがバレて、ほんと恥ずかしいわ。

 

と言って、自分を責めることで

その奥にある何かを隠している。

 

抑えておかないと、

浮上してきてしまうから。

 

隠しに隠して、

深くに追いやってしまった

 

置き去りにしている醜いと思っている想いに

少しずつ触れて、

 

それを表に出していくのか。

 

 

嫌だから隠したい。

 

瞬時に

良い人仮面、

できている人仮面をつけようとする。

 

心の動きが見えてくる。

 

あまりにも当たり前にやってきたので、

分からなかった。

 

 

思い出したんだ。

 

3月合宿で

愛されていない想い

神への想いをmighty companion達の前で泣きながら晒した時、

 

 

これをやりにきたんだ。

 

 

今生。

 

 

そう感じたんだ。

 

 

聖霊が導いてくれているのは、

すべてこれをやるためなんだ、って。

 

 

そんなもん見たくない

やりたくないと思っているので、

自分のプランを優先し、行動することで避けていた。

 

 

仮面するのをやめて

隠してきた想いを浮上させることを赦していきたいので、

 

自分自身にRest in Godさせていきたい。

 

 

やっと

そう思えるようになってきた。

 

 

Restさせると

痛みや悲しみがどんどん浮上してくる。

 

愛が迫ってくるじゃないかとビクビクしている。

 

 

聖霊のいいようにされるなんて冗談じゃない、

 

こんなの書いて無意味じゃないか、という思考が上がってくる。

 

 

それもただ聖霊に明け渡していきたい。

 

 

 

 

愛が来てしまう

何もせず、

 

何も考えず、

 

ただ聖霊に神に

 

完璧に面倒見られながら

 

流されてるままに流されていったら、、

 

 

愛が来てしまうじゃないか!

 

愛に襲われるじゃないか!

 

冗談じゃない!

 

 

そう叫んでいたことに気づいた。