私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

隠したかった思いを打ち明ける

9月のリトリートの時に

祥子ちゃんと手を繋いだことがあった。

 

祥子ちゃんはその時、

実は嫌でギャーーーと思っていたけど、その時は言えなかった。

 

そのように

私に正直に打ち明けてくれた。

 

それを聞いた時、

 

私は9月の時は分からなかったけれど、

愛が近づいてくるとやめてくれー!と叫んでいることに

最近やっと気づいたよ。

 

今なら私も分かるよと話した。

 

確かに、そう感じていた。

 

でもそう話した後から

私は何か隠しているな、、と感じていた。

 

本当は何かを感じているのに、

 

それを言いたくないから、

私もそうだよ。とさっと同意して話を終わらせたかったんだ。

 

手を握っている私。

愛を祥子ちゃんに与えている私。

愛ある私でいられた。

 

その時は、

Be done throughで聖霊の愛を表現しているんだ、と思っていた。

 

ハグをする、

手を繋ぐ、

体に触れる。

 

私がmighty companionにして欲しいと思ってきた愛情表現だ。

 

確かに、利害のないところからmighty companionにそうしてもらって

私は癒されることが多かった。

 

 

隠していた感情や思考を

もう一度見ていく。

 

祥子ちゃんが

私たちが手を握っている間、嫌ーーーーと思っていたと聞いた時、

 

まず怒りが湧いた。

 

そしてその後、

ぎゃ!として

思いっきり恥をかかされたという思いが湧いた。

 

恥ずかしい。

 

自分はあまりにも当たり前に、

 

愛を与えることができた。

だから祥子ちゃんもそれを同じように喜んでいるに違いない。

 

そう思い込んでいた。

 

 

裏切られた。

そんな感じがした。

 

そして次に、

悲しくなった。

 

寂しい。。

残念だな。。

 

そうか。。

 

がっくりしているような、

残念な思いだった。

 

寂しい。

 

そして

愛ある私でいられてリトリートを終えられたと思っていた。

 

聖霊に従って、愛ある私でいることができている私。

 

頑張って、必死で

Be done throughをしている私。

できている私。

 

愛を通せて

愛ある私でありたかった。

 

愛がないと思っている

寂しく、惨めで、情けない、醜い私。

 

これを隠すためにそうしていた。

 

私自身がそれに気づいていなかった。

 

悲しかった。

愕然とした。

 

そんなはずない。

間違っているはずない。

 

あれが愛だった、

それで終わりにしたかったなんて、

そう思っていることすら認めたくなかった。

 

ああ、

そうやって隠してきたんだな。。

 

神に従う私。

愛ある私。

 

手を握るというのも、

私がそうなんだから、

誰にとってもそれを喜ぶに決まっている。

 

そう思っていることにすら気づかなかった。

 

自分の勉強会の時、

のり子さんやそこにいるみんなには打ち明けようと思って

シェアをした。

 

けど

何かそれも違うと感じていた。

 

私は一体どこに向かって

あの時感じたことを打ち明けているんだ。。

 

祥子ちゃんに直接、

言うべきなのではないのか?

 

直接本人に打ち明けることを避けたいんじゃないのか??

 

その場にいるみんなに言うことで、

打ち明けられたことにして。

 

ほら、私はこんなに正直なんですよ。

できるでしょ?

私、素直でしょ?

 

そうやって自分を証明することに使ってる。

 

怖いから。

直面したくないから。

 

このまま黙っていたって別に良いのかも。

 

そんな思考も上がってきて、

くすぶっていた。

 

 

22日の勉強会で

のり子さんが話してくれた五井先生の話があった。(あやふやですみません)

 

人は最後には、死ぬ。

死ぬことは大したことじゃない。

 

神に開いているかどうか。

 

それだけだ。

 

そのような感じだったと思う。

 

涙が止まらなかった。

 

そうだ。

 

もし明日死ぬなら、

 

今感じているこれを

祥子ちゃんに直接打ち明けたい。

 

そう思った。

 

ためらいがあったし、

これはガイドじゃないかも知れない、

やっぱり違うんじゃないか。

 

そんな思考も上がった。

 

それでも

これが私のプライオリティーなんだ。

 

目の前のことを、

 

今、直面していることを

一つ一つやっていくしかないよ。。

 

連絡をしたら、

その日に話を聞いてくれることになった。

 

ありがたかった。

 

祥子ちゃんが打ち明けてくれた時、

実は悲しいと思っていたんだ。

 

それをすぐその場で言えなかった。

 

「私」が、祥子ちゃんに愛を与えようとしていた。

 

私の方が祥子ちゃんよりも愛があって

与えるものであると思っていたかった。

 

そう思っていた。

 

だから

そう聞いた時、

 

拒否されたように感じて、

 

とても残念だな。。

ああ、悲しい。

虚しい。

 

本当は、

そう思っていたんだ。と。

 

人に見せたくない

とても臭い膿が溜まっているひどい傷を

 

恥ずかしいからひた隠しに隠してきたのに、

それがむき出しになってしまった。

 

そんなふうに感じていた。

 

自分にも隠していた。

 

 

それを打ち明ける前までは、

怖かったし、罪悪感を感じていた。

 

そんなことわざわざ打ち明ける必要ないんじゃないか。。

きっと祥子ちゃんに嫌われるだろう。

怒られる。

 

祥子ちゃんとナイスな関係を保っていたいのに、

 

それをわざわざ壊しにいくなんて、

なんて馬鹿なことしようとしているんだ。

 

それでも、

正直でありたい。

 

先に祥子ちゃんが正直に打ち明けてくれたからこそ、

 

この

どうしようもない

見せるのが恥ずかしい

乾いていないグチャグチャになって膿んでいる醜い傷、

 

そんな傷がある私に気がつかせてもらえた。

 

自分が感じていることや思考を

そのままを祥子ちゃんに打ち明けた。

 

勉強会で私がこのことについてシェアした時、

 

祥子ちゃんは、

 

その時、聞いていたよ

と話してくれた。

 

そうだったのか。。

 

私はその場に

祥子ちゃんはいないと思っていた。

 

 

祥子ちゃんは

このように教えてくれた。

 

私が実は

悲しいと思っている。と打ち明けたのを聞いた時、

 

癒されたよ、と。

 

え。。

 

実は、

悲しい、と思っているなんて打ち明けたら、

 

きっと祥子ちゃんを裏切ることになる。

傷つけることになる。

怒るだろう。

 

そう信じていたから、

 

癒された、と言われて驚いた。

 

 

どういうことだろう?

 

そうなの??

 

驚いたというか、

キョトンとしてよく分からなかった。。

 

それでも

どこか、ほっとしていたのかもしれない。

 

私が打ち明けることで、癒されるのか。。

 

ストーリー上

私が悲しみを感じるきっかけとなった人で、

 

その思いを打ち明けられた、まさにその相手が。。?

 

 

のり子さんがエクスプレスしてくれたことで私が癒された

5月の輪島の経験がよぎった。

 

何なんだろう。私にはよく分からない。。

理解できないけど、何か起きているのかな。。

 

そんな感じだった。

 

手を握って愛を表現したのに、

私の愛を受け入れてもらえなかったと信じていて、

 

悲しいという感情はまだあるのに。

 

ある。

確かに、悲しいと思っている。

 

それでも

そのままこれをどうこうするのをやめたい。

 

そう思った。

 

私はもう、

 

私自身の傷を傷として

受け入れてあげたいんだ。

 

しっかり見ていって、

 

そんなものを信じていたんだ。

 

抱えていたんだということを

 

もう、隠さずに見てあげたいんだ。

見ていきたい。

 

隠さないであげたい。

 

 

それが間違っていることを望むために。

 

真に、

幸せでありたいから。

 

 

そしてこれを打ち明けた後、

 

12月の勉強会に参加してきたのは、

このためだったと思った。

 

 

祥子ちゃんありがとう。

 

参加していた皆さん、

のり子さん、ありがとうございます。

 

聖霊ありがとうございます。

 

怖いです。

今、何でも怖い。

 

怖いけど、

どうかこれからも導いてください。