私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

2021.6.12勉強会文字起こし✨自分に愛を与える 自分に慈しみを与える 自分に優しく✨

2021.6.12 勉強会より

自分を慈しむ 自分に愛を与える 自分に優しく

 

「順子が隠してるのは愛なんじゃないの?」

 

3:30:30〜

愛を隠している。

自分を慈しまなくて、自分をジャッジして、自分はまだまだだって言おうとしている。

順子の悪い癖。

 

できる限り、自分は精一杯開いてるんだよ。

自分がどうにかこうにか、開く意欲が上がってきて、

そのような意欲を与えて下さっている聖霊のお陰様。

自分のことを認めないとこんがらがる。

 

(中略)

3:32:12〜

いいんじゃないかなと思います。←(と言われたのに、いいんですかね?と疑っている)

 

自分の手柄にするのではなく、

もっとありのままに、神を一番にして、神のもとで懸命に、

たまに前に出ちゃうけれども、

神のために従っていきたいというふうに歩もうしている自分を、もうちょっと認めてあげた方がいい。

 

自分の祈りと決断がなければ、そんなにそういう職場は目の前に現れない。

エスも用意できるけれども、順子がそれなりの祈りや意志決断しないと、現れない。

(いやでも、それは、、(自分で自分を認めたくない))

 

3:33:43〜

あと50%くらい増しで、自分を慈しんであげていい。

50%増しで慈しんであげていい。

 

努力しないとダメだ、

もっと私、努力しないとダメだとか、

要らないよ。もう。

 

それが居心地悪いんでしょうけど。。

 

自分を慈しむ。

自分が自分を認めないと、やっていけないよ。

それが順子にとって居心地悪い。

 

2018年の10月カースティンリトリートの時に、順子だけのために、10分だか20分時間が使われていて、みんなにハグされて、みんなに囲まれてハグされて、与えられるという経験は、居心地が悪い。

 

愛されている自分を受け入れるって。

 

何もする必要がないくらい、本当に神の子として価値がある自分を、ありのままに認めるというのが不得意で、あまりやりたくなくて、居心地が悪い。

愛を拒んで、愛を隠している状態。

 

それを少しずつ自分のことを認めて、慈しんで、神の子である自分を受け入れる。

 

のり子さんも得意じゃないけど、とてもじゃないけど、ある程度慈しんでおかないと、呼吸もできないくらいぶち当たってきた。

 

順子ももうちょっと、

自分に慈しみ、もっと優しく、愛を持って、認めてあげていいんだ。

 

それが職場にも反映される。

自分が自分を認めて慈しんでいるので、

その自分が自分を認めて慈しんでいるところから、人々と関わると通りが良くなる。

 

もっと努力しなくちゃ!もっとやらなきゃダメなんだ!というところからではなく、

最初に自分が自分を認めて、ああ、よくやってるわ、と言って。

自己正当化とか、自分の手柄にするとかではなく、

聖霊が与えてくれるのを、与えてくれているけれども、それに「はい、従います」と言わなければ、どうにもこうにも前に進めない。

「はい、従います。」「はい、従います。」と従う意欲を持って、従っている自分自身を慈しんで、認める。50%増しで。

 

2倍やれとは言わないから、50%増しで。

それが順子じゃないから。私だから。

 

順子という断片が、自分を慈しみ、自分を認め、自分に優しくあってくれているというのは、

私の断片がそうしてくれるのは、私(のり子さん)の中が通りが良くなる。

順子だから言っているんじゃない。私だから。言っている。

すると私(のり子さん)も助かる。みんなも助かる。全体も助かる。

 

3:37:52〜

深呼吸を忘れないで、もう一回、今、この瞬間、自分を慈しみ、慈悲を与えてあげると助かる。

順子が順子という断片に対して、

いや、もっと頑張らなきゃ、まだまだなんだ私は。と言って考えて、信じている時、私(のり子さん)も窮屈な感じ。苦しい感じ。

 

3:39:18〜

それが自分が自分を認め、自分が自分を慈しみ、自分が自分に優しくあるというのは、神を一番にしているのと同じ。

神は、最も神の子を慈しんでいる。

神がなさっている仕事を邪魔しない。

神がなさるように神の仕事の延長を、神の子もする。

夢を見ている神の子という断片が、
神と同じように、自分を慈しみ、自分に愛を与え、自分に優しく大切に扱う。

それこそ神を一番にしている

神のなさるままに、神と同じように神の意志の延長している状態。

 

神が神の子を愛していないわけがない。

神が神の子を慈しまない訳がない。

神は愛なんだから。

神が神の子の自由や幸せを望まない訳がない。

 

神が望むままに、その神が望むことを自分に与える。

それがその心の働き。

神の意志が、そのまま拡大・延長されるままにその働きをするというのが、心の働き。

私たちの役割。

神がなさっていることを、そのまま歪めないで、神がなさっているままにそのまま延長する。

神が愛を与えている。神が慈悲を与えている。神が自由を与えている。

神が平安、幸せを望んでいるのだったら、

神が望むことを私自身にも与え、
兄弟にも与える覚悟。

 

まだまだなんだ。もっと努力しなきゃ。もっとやらなきゃ。というのは、どっちかというと、神を邪魔している可能性がある。

 

私やってる!やってやった!よしよし!上手くやってる!というのは違うけれども、

私がやっているのではない。

神がなさっているままに、神の邪魔をしないで、

神の力、神の愛の延長を歪めないで、そのまま慈しみ、受け入れ、自由を与える。

神がなさっているままに邪魔しない。そのまま延長する。

自分のものにもしないし、自分の手柄にもしない。それを歪めない。

 

3:42:18〜

もっとやらなきゃ!もっと努力しなきゃ!というふうに歪めない。

神は私たちに努力を求めていない。

拒絶しないことを求めている。

 

邪魔さえやめてくれればいい!

愛を与えてくれている。

愛を与えてくれているから、愛をなるべく邪魔しないで、拒まないで、お断りしないで、

愛が、このまま延長されることを受け入れる。

 

分離を信じてきてしまった私たちにとっては、今までの習慣をやめていって、
自分を慈しむ、自分を認める。

 

神を一番にしてもう一回、今この瞬間、赦しを選ぼうとしている。

 

「ああ、本当によくやってるわ。」

 

ともすると中毒に陥る。

狂気に陥ってしまう。

それでも今、この瞬間、立ち止まって、神に対して耳を傾けようとしている。

 

ああ、よくやってるな。

慈しむ。励まし、優しくある。

Rest in Godさせてあげる。

 

肉体的には一生懸命働いている中でも、

自分が自分を迎え入れて、

神がなさるように自分が自分を迎え入れて、

除外せず、努力を強いず、ありのままに、神の子である自分を認めている時、

体は忙しく動いていても、自分が自分に与える作業をしている。

 

それを延長したくなる。

 

「あなたも愛ですよ。

あなたも神の子ですよ。」

 

そういうのもすごく大事。

 

できるよ!

順子もできるよ!

 

3:44:50〜

出し惜しみしない。

自分に対して、出し惜しみしない。

慈しむこと。

よくやってるね。励ますことを出し惜しみしない。

 

神の意志に叶っている。

神もそのように見ることを意志している。

 

自分が自分を慈しむ。

神が、慈しんでいるのだから。

「あなたは慈しむのでしょうけど、私は与えません、それを。」

神の意志を邪魔しようとしている。

あなたがなさっているように、私もそういたします。

 

3:34:51〜

神の望みだから。

外側に見える兄弟、同僚、マイティコンパニオン、介護が必要に見える人々も自分だし、

これ(自分の体)も投影されている。マトリックスの時にも言ったけど。

順子という体、個性に見える体、も投影されている。

兄弟と同じように。

夢見るものが、この(体)という私も、慈しんであげる。

これ(順子という器の体)は、心じゃないよ。

体や体と同一化しているアイデンティティーみたいなの、

この体を映し出している心も、慈しまれるべき。

なぜなら、神が慈しんでいるから。

 

神は順子という私に、罪を見てない。

幸せであってほしい、喜んでいてほしい、愛を受け取ってほしい。

受け取って欲しい。

どうか受け取ってくださいませんかね?

神の子の平安、喜び、幸せを望んでいる。

神は、それしかできない。

神は、神の子を慈しみ、愛すること以外、何もできない。

他に脳がない、神は。

神がしている、神が望んでいることを、

私たちのファンクションとしては、神がやるのと同じように、自分も自分に与える。

この体に見えるかのように見える私も、投影されたもので、

これも自分だし、この世界全体も自分。

自分の外側に見えるように見える人たちばかりに、慈しみ、赦す、だけでなく、

これ(順子の体)も投影されている。

ここにも、慈しみを与えられるべき。

もちろん、これ全体を含めた、これ全体を映し出している夢見る心も、慈しまれる必要がある。

夢見るものが夢見るものの自分を慈しむ。

目覚めましょう。自分を励ます。

これ(順子)を含めた、これ全体を映し出している心も慈しまれる必要がある。

夢見るものが夢見るもの、自分を慈しむ。

 

3:48:34〜

目覚めましょう。

励ます。

聖霊を選びましょう。

自我を選んでしまうところから、何回も何回も繰り返し、聖霊を選びましょう。

聖霊を選びましょう。

神を迎え入れましょう。

夢見るものが、夢見るもの自身を励まさないと、やれないよ。

神が、それを望んでいる。夢見るものに対して。

それは悪夢だよ。大丈夫ですよ。

早く目覚めなさい。

あなたが喜ぶのを待ってるよ。

幸せ以外、何も感じる必要がないんですよ。

それっぽっちの幸せや喜びじゃない。

もっともっと永遠の無限の幸せ、どうか受け取って欲しい。

神がそれを意志している。

それを邪魔しない。阻害しない。

 

私たちの心のやり方としては難しいことなんだけど、

自分を裁いてなんぼ、自分を追い詰めてなんぼ。だったのを、

神が神の子になさるように、

神の子も神の子を、夢見るものが夢見るものも、慈しむ。

 

それが、愛を阻まないという生き方にシフトしていくレッスン。

自分が自分を慈しむ。

この順子という断片に見えるような、この体も慈しむ。

それこそ慈しまないと。

 

3:50:58〜

まずは自分に酸素マスクをつけてください。(ムージが言っていた)

私はいいから!私はいいから!と言って、飛行機が急降下している時に、酸欠になる。

私はいいから!と言って、子供たちなど周りの人たちばかりに酸素与えていたら、酸素の付け方がわからない人たちの面倒ばかりを先に見ていたら、自分が気を失う。

まず最初に、あなたが全員を救うことができる状態に、落ち着かなきゃならない。

まず自分が自分に、酸素マスクをつける。

まず自分が自分に慈しみを与える。

自分が自分を認める。

酸素マスクをつけているので、冷静に判断ができる状態。

それから多少気を失っていても、隣の兄弟たちに酸素マスクをあてがって、ポンポンとしてあげれば、それで済む。

まず最初に、神を一番にすると決意した私が私に、慈しみを与える。

じゃないと、とてもじゃないけど、神を一番にして、ここから歩んでゴールまで辿り着くことはなかなか困難。

 

3:52:30〜

それを言っている。カースティンもフランシスも。

だから、Be gentle with yourselfと言っているんだよ。

どれだけカースティンもフランシスも、もちろん神を一番にしているけど、自分を除外していない。

葉山でリトリートするとき、どこで滞在するのが一番いいんだ、自分を除外してない。

 

自分をないがしろにできない。

自分にとってRest in Godできる場所、そういう空間。

そういうものを自分に与える。

まず、最初に自分が酸素マスクつけられている状態じゃないと、とてもじゃないけど兄弟を救えない。

とてもじゃないけど、兄弟に愛を延長できない。

 

3:54:28〜

本当に自分をないがしろにしていない。

 

それなりのファンクションをBe done throughとしてチューニングし続けるには、ある程度のRest in Godが深くできる場所じゃないと無理。たとえ彼女たちでも。

まず、自分に酸素マスクをつける。

 

3:55:37〜

自分が自分自身に対して、gentleじゃなければやっていけない。

自分が自分に対して、慈しんでいなければやっていけない。

大切に扱う。

 

それから祈ってチューニングして、何をしていこうか?何をやろうか?今度はどういう映画を見ようか?

それなりに深くRest in Godできる状態に、自分が自分に許可している。

さらにチューニングしやすい状態に運ばれていくことをOKしている。

 

私はこのぐらいでいいから、そんなのもったいないからとか、

豪華な暮らしをするとか、贅沢をするというのがプライオリティーではない。

 

いかに自分のチューニングのために、

いかに祈りの中に自分を没頭させるのにどうするべきかということを、

自分に優しく慈しみを与える。

自分に優しくというのは相当プライオリティーが高い。

彼女たちだけではない。

みんながそう。

 

今住んでいる家を変えるとか、もっと広いところに住んだ方がいいとか、もっと居心地のいい家に行くべきだ、ということを言っているのではない。

 

自分にとって、最も今、どんな、過ごし方をするのが優しく扱っているだろうか?

慈しみを与えているかどうか?

物理的に何も必要がないこともあるかもしれない。

ただただ自分を認める、自分を慈しむ。

 

日本人の傾向として、生真面目すぎる、自分に厳しすぎる。闇ばかり見つめすぎる、ということを指摘された。

ブラジルの人たちは、あまりにも奔放すぎるので、日本人と足して半分になったらちょうどいいね、と冗談言っていたり。

Rest in God  Be gentle について不得意だと思う。

私たちは不得意な傾向がある。

 

だから積極的にもうちょっと、今までより増して、慈しむ。

慈悲を与える。この自分に。

 

順子に慈しむのも、老人たちを慈しむのも、同じかそれ以上に。

 

ここ(順子)はもっと手厳しくさせて、努力させなきゃ、と考えようとしちゃう。

まず、ここ(順子)に酸素マスクをつけないと話にならない。

 

だからカースティンやフランシスは、

Rest in God Be gentle yourselfと口酸っぱくなるくらい言う。

 

「今日はRest in Godしたのか?どうやってやるのか?」

とのり子さんもカースティンやフランシスに突っ込まれた。うるさかった。

やろうとしない、知りたくない、理解したくないと思う部分があるから。

厳しくしてなんぼ、努力させてなんぼ、と思っている。

優しくしないでなんぼ。

甘やかさなくてなんぼって。

 

4:01:13〜

神はこの世界を愛している。慈しんでいる。という文がテキストにもある。

除外ができない。

自我と一緒に、分離した心が作り出した世界すら、神は幻想を認識しないけれども、

そういう例え話で説得させようとしている。

神は知覚がない。

幻想を見れない。

 

たとえ幻想だとしても、神は愛を延長する以外に何もできない。

そういう意味で神は裁いていませんよ、罪を見ていません、除外しませんよ。と教えたかった一節だと思う。

 

神は慈しみ、愛を与え、喜んで欲しい、幸せであって欲しい、

神そのものを、そのまま神の子が受け継いでくれることを望んでいる。

 

神の望みを、そのまま邪魔せず叶えるというのが、

私たちのファンクション。

 

自分自身を慈しむということと、

神を一番にするということとは何も矛盾してない。

 

(確かにここ(順子)だけ除外するわけない。神を一番にしたいから、そうしたい。)

そうしなければ嘘だよね。

わかったふりして、やってる気になってるだけ。

是非ともやらなきゃならない。

神の望みだから。

 

神はどの断片のことも、全く同じに完全に愛を与えること。

それしか神はできない。

完全な愛を同じように平等に、ただ延長させるということ以外、それ以外意志できない。

 

だから、何もしないというのが私たちにとっての最もな正解。

神が与える莫大な愛の延長を、邪魔しない

 

与えられているのだから与えられているままに、受け入れる。

私たちのファンクション。

最も重要なファンクション。

 

4:04:45〜

オンラインリトリートやカースティンやフランシスが葉山に来た時によく見かける。

こうやってない?

(胸の前で手をクロスしてあてる。ハグする。)

Davidもこうやってない?

(ユタに行った時、Davidが私(順子)の目の前で胸の前で手をクロスしていた。)

 

順子だけに慈しみを与えるのではなく、

自分と順子を同一で一つなので、自分を含めたハグ。

地球全体の神の子、宇宙全体の神の子、と自分も含めたハグ。

 

自分は別に与えなくていいよ、あなただけに、ではない。

自分も!

 

4:06:06〜

彼女たちが自分を除外して、みんなにだけ愛を与えようとしていないように見える。

自分のこともないがしろにしていない。

私はいいの!とかやらない。

 

自分が自分に愛を与えることを許可しているので、

だから兄弟とも分かち合える。

 

私はいいです!あなただけに、あなただけに。

自分を除外しているから、本当の延長は起こらない。

 

どこか自分は自分のことを嫌いながら、兄弟には100%の愛を延長するって不可能。

自分なんだから。その相手は。

 

まず自分が自分に愛を許可するということを、しなければならない。

 

そうやらないと話にならない。

踏ん張れるうちは自分に手厳しく実践できるが、本当に無理だな、と思う。

自分が自分に慈しんであげないと。

愛と助けを求める泣き叫びの心の状態なんだ。

ものすごく助けを必要としているんだ。

助けが必要な自分に助けや慈しみを与えないで、ここから先一歩も歩めない、と本当にのり子さんは挫折した。

 

順子も今から、ああ、、そうか。

自分が自分に慈しみを与えてあげないと無理か。

すごい闇を超越していく訳だから。

励ましてあげないと無理か。

 

4:09:46〜

どこかの誰かが与えてくれるまで待つ必要がない。

 

どこかの誰かという私が与えてくるシナリオが現れるまで、待つ必要がない。

今、この瞬間、自分が自分といるのだから。

 

今、できる。

 

順子が順子っていう私を認識しているということは、今、与えられる。

 

 

神も聖霊も言っている。

「よくやってるね。」って言っている。

 

「よくやってるね。」

 

言っているんだよ。

ああ、目を覚まそうとしているの。よくやってるね。

そうなんですよ。あなたは悪夢を見ているんですよ。

その悪夢から是非とも目覚めて欲しいと思っているんですよ。

どうか私の言うことを聞いて欲しい。

 

そうなんですよ!

私はあなたに愛を与えたいだけなんですよ。

どうかその愛を受け取って欲しい。慈しんでほしい。

喜んでいて欲しい。平安で幸せでいて欲しい。

是非ともお願いしますよ。

聖霊や神が懇願している。イエスが懇願している。

どうか私の心と繋がり、神が与えてくださっている、その愛を受け取って欲しい。

頼み込んでる。

お願いだから、あなたに与えられているこの喜び、愛をどうにか受け取ってくれませんか?

 

エスも困った。Davidが断り続けるから。

神の摂理が、こっちからこっちから与えられようとしてるのに、Davidが断ってしまう。

エスも困った。

 

お願いだから受け取ってくれない?

あなたは無価値感に触れるかもしれませんけど、

無価値感を私に提供してくれれば私が取り消すから、いいから受け取ってくれない?

 

ここがすーーーごい順子にとっても、私たちにとっても、大切。

特に順子との会話で出てきたから、自分によく教えてあげて。

 

(何度も聞いていたのに、初めて聞いた気がした。)

 

与える気がない。

自分が自分に愛を与える気がなかった。

 

こいつ(順子)には、与えない。与えないぞ!!

 

自分が自分に愛を与えないってものすごい緊張感。

その中で赦しを実践して、神の子としてみる。

なかなか困難。自分で難しくしてしまう。

 

そもそも神は何を望んでいるか?

 

神は、神の子を愛し、自分と同じ姿として神の子を創造した。

神は神の子が夢見ている幻影だとしても、

 

この順子という断片の幸せや喜びを望んでない訳がない。

慈しまれている感覚を感じるのを、望んでない訳がない。

そもそも神は愛なんだから。

愛、喜び、平安、自由なのだから、それを延長することを望んでいるんだから。

 

よく自分に教える。ブログに載せる。

 

すっごい重要!!

 

頼むからここらへんで腑に落として欲しい。

 

4:15:07〜

神の意志と自分の意志が一致することが、神を一番にすること。

神を一番にするということは、神の意志以外の意志を持たない。

神の意志は、神の子の幸せ、神の子が愛を受け取ること。

神が与えている愛を、神の子が拒絶しないで、

神が与えているものをそのまま受け継ぐことを望んでいる。それが神のご意志。

 

なのに、

なんで順子がそのご意志を継いで自分に愛を延長しようとしないの?

 

神の意志に背いている。

神を一番になんかしてない。

 

神の意志に忠実に、自分もそれを受け継ぐということでしょ?

ということは、神の子である私が、神の子である私に対して愛を与える。

慈しみを与える。優しくする。

 

神は順子に手厳しい世界で、手厳しい人生を歩んで欲しいなんて、全く思っていない。

思っていたら救いはない。

 

神は愛を感じるということだけを望んでいる。私たちに。

なぜなら愛以外何もないから。

 

幻想の中で沈むことを神は望んでいない。意志していない。

神を一番にするというのは、

神が愛を受け取って欲しい、愛を与えたい、そのまま受け継ぐこと。

 

本当にお願いします。

2018年10月のカースティンリトリートあたりからずっと言ってると思う。聖霊は。

 

4:17:43〜

「受け取ってください!!」(と順子の口が勝手に動く。)笑

 

拒絶しないこと。

私たちにはリハビリが必要。

まだまだ深いレベルで、自分は罪深い、自分は醜い、自分はどうにもならないダメな存在だと信じているので、

信じているものがこれから取り消されていくけども、リハビリが必要。

 

この肉体レベルと思っている私が、私自身に慈しむ、Rest in Godさせてあげる。

積極的に優しくある。

自分が自分を励ます。認める。

リハビリ。

リハビリもすごく必要。

 

神のご意志を、最終的に自分の意志として受け継ぐ。

そこに完全に一致するまでに、リハビリが必要。

リハビリの一巻として一致し始めるということが必要。

 

自分が一番慈しむ。

どうやって慈しむのか、難しいって思うかもしれないけど、

慈しむ。

「ああ、よくやってるよ。」

頑張ってるね。

 

エスも、聖霊も、神も、

間違いなく「よくやってるね」っていうはず。

 

お前もっと頑張れ!って言わないよ。

 

お前もっとやれ!は、神の意志の真反対。

 

神は肯定しかできない。

肯定。

 

あなたは素晴らしい。

あなたは私の我が子です。

あなたは愛です。

 

4:20:40〜

それが一番重要。

ぶっちゃけ本当にここから歩めないよ。

自分が自分に慈しみを与えて、自分が自分に優しく、自分が自分を励ましながら、
認めながら生きないと絶対に歩めないよ。

 

どうにか自分に厳しくしながら、自分を認めない中で、この道、最終的に歩めますかね?ってDaivd コミュニティーの誰かに質問してごらん?

 

あり得ないって言うよ。

 

闇がいっぱい出てくるからだし、

神の意志に背きながら神の意志に一致するなんて、

できる訳がないじゃん。

 

どうにかなりませんかね?って質問したら、

あなた日本でやったリトリートに参加したんですか?って質問されるかもしれないよ(笑)

 

(そんなに大切なことだと思ってなかったな。。)

 

順子という断片だけでなく、みんなそう。

 

だから、リハビリするんだよ。

今、この瞬間、自分が自分に呼吸をさせてあげることを、もう一回思い出す。

自分に優しく。

Rest in God。

慈しむ。

慈悲を与える。

 

リハビリが必要。

そうやって、神のご意志にチューニングし始める。

 

それが2018年10月のカースティンリトリートに関連している。

カースティンは「あなたのためのリトリートだ」と言った。

順子という断片に対して。

一なる子全体の断片の順子が、あーだのこーだの言っていって、その順子に対して問いかける必要があった。

順子だけ特別に言っている訳じゃないけど、順子という断片に語りかけた。

「あなたのリトリートなんだ」と。

 

私が私に、私のためにこのリトリートがあるんだっていうことを受け入れさせることは、罪深いというように。

(あの時そう感じていた。)

 

でも、

 

100人いれば100人一人一人が、

「ああ、これは私のために現れてくださったリトリートなんだ。」

自分が自分に、そう、言うんだよ。

(胸の前で手をクロスして、自分で自分をハグする。抱きしめる。)

 

本当にここまで来てくれてありがとうって、

自分が自分に、言うんだよ。

 

エスが言っていること。

 

エスが私たちに言っていることを、

「イエスは私に言うでしょうけど、私は私に言わないね!」と背かない。歯向かわない。

 

エスが意志してくださっていることを、

私たちも彼と同じように意志するんだよ。

 

(私が私に、ありがとうねって言うんですか?)(そうです。)

 

エスも元人間だったから、

元人間にアイデンティティーを置いていたので、この道がどのぐらい険しいか、

同一化してきた心にとって、どのくらい険しいかよく知っている。

私たちと同じようなことをイエスは加速度的に経験したかも知れないけど、

同じものを経験したり、通り過ぎた。

だからどのぐらい意欲が必要なことか、知っている。

 

激励するに決まってるじゃん!

 

私はまだまだ甘い、というのがいっぱい上がってくる。)

その時、いちいち見破る必要がある。

それは自我。

 

(確かに、神に向かっていこうとしているのに、神がけなすはずが訳ないな。。)

 

自我の声。

謙虚そうに見えるけど、それは傲慢。

 

神の意志ではないものを、自分の意志として自分に教えようとするのは、一見謙虚そうに見える。

非常に傲慢。

 

よくここまで来てくれました。

 

 

どの時期にどういう闇に直面して、どうやって超えていくかというのは、

私たちの仕事ではない。

カリキュラムは聖霊がプラン立てているので、

自我の幻想を使いながら、それをいかに形成逆転させて、

神の救済計画として私たちをどういうふうに導いていくか。

カリキュラムを立てるのは聖霊の仕事。

 

私たちは聖霊の働きに背かないこと。

これに従おうとしている自分を認めること。慈しむこと。励ますこと。

愛を受け取ること。

愛を与えること。

Rest in Godさせてあげること。

 

私たちが前進しているか後退しているか、判断能力がない。

判断しようとするのも傲慢。

私はまだまだだ、とか。

これくらい進んでいるんじゃないか、とか。

それを判断する役割は聖霊

それも無駄。

 

極力、神や聖霊の邪魔をしない。

一瞬一瞬立ち止まって、辞める。

 

愛を隠している。

愛を隠すことをやめる。

 

もっともっと喜んで欲しいと思っている。聖霊は。

その程度の喜びじゃ足りなすぎる。

もっともっと莫大な喜び。

そんなもんじゃない。

あなたの本性は。本当の姿は。

そんな程度の喜びじゃない。

 

何万倍の喜びを与えたい!

受け取って欲しいと思っている。

 

2021年6月13日までかかったけど、本格的に受け入れる。

 

2021年6月13日に受け入れるか、2030年に受け入れるか。

 

本気で受け入れることを望んでいるはず。

ずっと言っているから、聖霊は。

 

謙虚そうに見える傲慢さをやめてくれって。

 

 

愛を拒まないで。

愛を隠さないで。

 

 

www.youtube.com

 

真我なるハートのり子さんのブログ: ✨自分に優しく Be Gentle✨

blog.goo.ne.jp

 

上ブログより、のり子さんからみんなへの励まし💖

 

この道を歩むみんな
とことん自分に優しくあろう。

 

 

のり子さん、ありがとうございます。

カースティン、フランシス、ありがとうございます。

神様ありがとうございます。

 

 

私、何度も自分に優しくあること、慈しむことを思い出そうとしているね。

よくやってるね。

私、ここまできてくれてありがとう。

ありがとう💕

 

 

f:id:mokumokuchang:20181031092822j:plain

 

f:id:mokumokuchang:20181031092803j:plain

 

f:id:mokumokuchang:20190809143301j:plain

 

私も、

私が私を迎え入れ、抱きしめ、慈しんでいこう🙏


このブログを書くきっかけを与えてくれたのは、直子さんだった。

直子さんのお陰さまです。
直ちゃん💖本当にありがとうございます🙏