2021.12リトリートで感じたこと①
リトリート中にのり子さんが話してくれたことで、我に返った瞬間があった。
それは、
私には本当にまったく訳がわからないままに、
なぜかいつの間にか、
この映画プロジェクトが人生に現れてくれている。
本当だ。。
気づいたら、
神を一番にしたいと自分と同じ意志をした兄弟たちに囲まれている。
勉強会や、リトリートという場を与えられている。
ファンクションを与えられている。
なぜか、今、三崎口のテーブルに座っている。
11月から無価値感や恥や悲しみを打ち明けてきた、その相手のれいさんの隣に座っていた。
のり子さんが話をしてくれた後、ありがたくて泣いた。
ああ、、そうだったな。。
聖霊が全部整えてくれている。
気づいたら。
自分でなんか、
今ここにある一つも望んでいないし、
用意した覚えもないのに。。
訳がわからないまま、ここにいさせてもらっていた。
ありがたい。。
神への感謝なんて、すっかり忘れ去っていたよ。。
自分が、自分が、ばっかりで、
被害者だとしか思えなかった。
何が癒しなのかも、
どうやったら自分が癒やされるのかも、全く分からない。。
自分が何してるのか、分からない。
なんでこれが癒しに必要なのか、
癒しが何なのか、、
私にはまったく分かりません。。
なのに、ここにいる。
そうだ、信頼したい。
また、そう思えてきた。
聖霊を信頼したい。
なしていただきたい。
なのに、
上がってくるのは、本当にどうしようもない私ばっかり。
できない私ばっかり。
思考ばっかりしていて、気を散らしてばっかり。
聞きたくないよ。聖霊の声。
カメラがれいさんや直ちゃんに当たるけど、私はどうせ私はみんなの癒しのための踏み台なんだ。いつもそうなんだ。ふん!
れいさんや直ちゃん、みんなの癒しの踏み台なんだ、私は。
そんなふうに思っていて、
無価値感を感じていて、泣いて、
兄弟に勝ちたくて、子供みたいにひがんでばっかり。
本当にそればっかり。。
祈っても、どれを言われているのか分からない。
他の兄弟がパッと分かっているように見えて、それを堂々と言えているように思えて、自分が情けなくなる。
明後日の方向のことばかり考えていて、真剣に聖霊の答えを聞きたくない。
聖霊が怖い。
悔しくて、情けなくて、仕方ない。
虚しい。
逃げたいよ。
そればかりエクスプレスするので、ダメダメにしか思えない。
自分で自分を認めないと、その無価値感は消えないよ、とのり子さんから言われる。
抵抗があったけど、
自分を認めてあげたい、褒めてあげたい。
勇気がいるんだよ。と。
本当に、勇気がいる。
自分を褒めたり、認めてあげるって。
赦せないと思ってるから。
それでも、
聖霊に従おうとしている。
従いたいと思ってる。
心を合わせたいと思って、合わせようとしているんだ。
それで、100点満点なんだよ。
できても、できていなくても。
0点でも。
そう言われながら、
6月か7月にものり子さんに言われたけど、
もう一度、自分にそうしてあげたい、、。
何度も、嫌だと思ったけど、そうしよう。と思った。
気合いだ。
認めて褒めてあげるんだ。
神を一番にしようとしている私を、褒めてあげたい。