聖霊のプランだったけど、リトリートが始まる1ヶ月前から闇に溢れていて、
またしても逃げ腰で、
直ちゃんやれいさんやみんなほど、強くコミットする意欲が湧かなかった。
そんな中、
リトリート前のミーティングで、のり子さんが言っていた一言だけが、心に響いて泣いた。
”勝ちたい私が上がってきて、流されていく”
”ダメダメでもいい。
9月リトリートで言われたように、同じようにまたカオスと言われてもいい。
奇跡が起こっても、起こらなくてもいい。”
9月、全体のために使っていただきたいと思っていて、
やっている、やれてると思っていた。
だけど、一つ残らず、全部間違いだった。
正しいと思っていたすべてが、ただ、神に勝ちたいだけだった。
リトリートが終わってもまだ分からなかったけど、
一つずつ打ちのめされていって、ようやく気付かされた。
このために、すべてあるんだ。
私が間違っていました。と。
ありがたい。
そう思うまでに時間がかかったけど。
正しい自分になろうとする私が晒されて、恥ずかしく、情けなく、惨めなほどにむき出しになる。
きつい。
でも、洗い流されたい。
それだけは意志したい。
神に勝ちたい私が上がってきて、洗い流されることを望む。
洗い流された後に、何があるのか分からない。
分からないけど、そこに何があるのか聖霊と一緒に見たい。
でもこのリトリートでそれが見れなくても、見れても、いい。
闇にまみれて終わっても、
これが続いても、赦そう。
それでもいい。
洗い流されたいから。
”何をやってるか、今は分からない。
いずれ分かる。”
のり子さんが言っていた、
それだけは信頼したい。