私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

コースを使って、介護している良い人、悟った人、愛を感じられる人でありたかったです。

聖霊のガイダンスで、介護の仕事に就いて8ヶ月以上が経った。

 

仕事を始めた時は、

相手が誰なのか教えて欲しい!

という意欲を持ってやっていた。

 

最近は、まったく仕事で神を一番にしたくない。

そこにいる認知症で高齢で、老いている人たちを、

私自身として見たいという意欲を持ちたくない。全然見たくない。

 

仕事中と仕事外の時間で、

エスとともにある感覚がまるで違う。

 

仕事中は忘れ去っているから。

 

忘れたいから。

 

聖霊がこの職に導いたのは、

「介護やっているわたし、介護を立派にこなすわたしが消えるためだよ。」と言われた。

 

何を!このヤロー!

 

愛を持って接するとか、

殺意と憎悪しか湧かない私にできるわけないだろう!

 

立派でなんかあれる訳ない。

立派でありたい、なんて思ってませんよ!そんな野望みたいなこと。

慈悲を持って施設で介護やれている私、なんて思ってるわけないだろう!

 

そう思ってました。

そんなこと思ってないことにしたかったです。

 

これを書き出していると、ここがキラーンと光った!

「賜物ー!✨」

げーー、、、そんなふうに思ってたのか😱

 

賜物持ったままで、天国に入れないよ。神に目覚められないよ。

はあ。。そうか。

 

そんなふうに思ってたのか。

 

仕事で立派であろう、完璧にこなそう、愛を持ってみよう、

愛を持って見ていると思われたい、

愛と慈悲である人に思われたい、

愛を与える私でありたい、見られたい。

そう見れる、見られる私を目指すんだ!

いつもバリバリそう思ってます。

 

毎回、毎回、

よし、完璧を目指すぞ!

私は今日こそ愛を持ってみるんだ!愛を持って接するんだ!

今日こそ愛だったと教えてもらいたいんだ。

それも本当の願望かもしれない。

 

だけれども私はその手前に、バリバリ隠している野望があります。

 

完璧でありたい、立派でありたい、

怒りも憎悪もひた隠しにして、愛を持って見ることを目標にしてます。

 

愛になりたいんです。

正しい人でありたいんです。

 

いかにも正しいことしているようはふりをして、隠してきました。

 

自分の邪悪さ、醜さを。

 

早く○んでくれないかな。

こっちの手を煩わせないで欲しいわ!こっちの体が壊れるわ!

全然こっちのいうこと聞かねーし。

ぶっ壊れたモーターみたいにおんなじことの繰り返し言うな!

やめてくれよ!

こっちの精神崩壊するわ!

可愛いとも何とも思わんわ!

はよ逝け。

保険かもしれないけどお金とって、こんな大勢を集めて見るなんていう仕組み誰が作ったんだよ!馬鹿じゃないの?

きついんだよ!体も、何もかも。

人手不足だし、人がいたとしても最低人員とか決めてるから、人が増えたところで楽にならないんですけど。

イラつくわ。

 

シワシワとか男の人で気持ち悪い人いるし、あーいや。近寄りたくもない。

体もおり曲がってて、きついんだよ。重いし。

醜い。

可愛いなんて思えない。

見た目も中身も。

便だって薬混じってて匂いがほんと気持ち悪くなるし、

綺麗にしてるのに、殴られる、絶叫される、怒鳴られる、

人殺しでーす!と言って悪者にされ他の職員に助けを求められる。

おい!とかお願いしまーすー!とずーっと一日中精神病棟の中にいるのと変わらずに言われまくる。

げっそりするわ。

そう言われて悲しく傷つくし、罪悪感感じるし、殺意しか感じない。

当たり前のことしてるだけで誰も評価しない。されたくもない。

長生きすんなよ。

若い人が犠牲になって生かして何になるんだ。

 

毎日毎日、イラついてます。

殺意、憎悪、恨み、真っ黒です。

中身がそんなんなのに、愛としてみれる人になろう、なろう、としていました。

 

兄弟から、前勤めていた時と、変わった?と言われたこともきっかけだった。

 

変わんねーわ!全然。

ちっとも変わってない!

まったく変わってねーんだよ!!

 

福祉の介護といういかにも綺麗そうなネームプレート、、

ネームバリューありそうでしょ?

 

罪なんか知りませーん、見ませーん、

私はいい人です、あなたに危害なんか与えませーん、悪い人ではありませーーん、

美しい私、そういう完璧な私を目指しまーす!、

という仮面です。

 

そういう仮面でいいから、仮面のままでいたかった。

何者かになりたかった。

 

その仮面の下には、

真っ黒、罪深いんだという思い、そこにいる全員に対しての恨み、憎悪と殺意しかありません!

ここにいる資格ない、逃げたい。

 

憎悪真っ黒からステップアップして、クリアで罪のない愛になっていける私、

になれると信じていました。

憎悪、自分の醜さ、無価値感から抜け出したくて、抜け出したくて、、

 

それが自分を苦しめていたのかもしれない。

 

レミニセンスを観た後、

聖霊から混沌の法則と教えられ、

これをただ見て超えていけばいいだけである、という一文を読んだことを思い出した。

 

そうだ。

そうなんだ。

そうだったんだよ。

 

私は思いっきり憎悪してます。

醜いんです。

恨んでます。

私は罪深いと信じているから、誰か他の人に、外に見たくて仕方ありませんでした。

高齢者のシワシワな体や、動かなくなった体の中に、罪を見たくて仕方ありません。

大っ嫌いです。

認知症になった人も、年寄りも。嫌い。大っ嫌い。

役に立たない人。

もう自分が誰かわからなくなってんだから、そのまま肉体が自然に滅びるままでいいじゃん。

なんで無理矢理、薬や医療や食事をご丁寧に3食、いいように食べ方や栄養まで計算されて与えるの?

それの面倒見る人は休憩時間潰して、休みなくヘロヘロでお給料少ないからかカップ麺とかだし。

何なの?これ。

イラつくわ。

病院追い出されるのも仕方ないよ。

 

悲しい。

悲しい。

自分の醜さを見たくなかったし、認めたくなくて、頑張ってました。

 

でも、あの一文を思い出した時、

これが確かにあります。

醜さ、邪悪さ、怒り、憎悪、むかつき、蔑み、恨み、無価値感

全部認めて受け入れて、どれひとつ除外せずに、、

聖霊と一緒に見るだけで良かったんじゃないだろうか??

 

この数ヶ月、必死だった。

もしくは麻痺させてスルーして終わり。

早くここから解放しろや!と思ってた。

 

邪悪さが確かに自分の中にあると認めて、

それをただ聖霊と眺めていけば良かったのかもしれない。

 

それが本当の私ではない、という答えを受け入れるために。

 

そうだったのか。。

 

さっきTVで白い犬が飼い主が亡くなって引き取られた家で、

その家族に怯えていて、ひきこもっていた。

心を開けなかった。怖くて。

 

だけど、

その犬がある日、家族の元に近づいてきた。

 

「彼は赦したんだ。」

 

そう心の奥から響いてきた。

 

彼は赦したのか。。

自分自身を。

 

泣けた。

 

解けて、緩んで、ほっとした。

 

自分を置いて死んでいった主人に、

私はこんな悲しい寂しい思いをさせられたっていう思いを。

自分から離れてみたいと望んで天国を出て行った私自身を。

それを望んだ自分自身を赦したのか?。。

その結果、惨めに感じている自分を。

惨めで空虚でどうしようもない私を。


自分自身を赦さない!!

そうずっと叫んでいる。

それが正しいことだと信じていたから。

間違ってないと思ってたから。それが救いだと。

 

だけど、それこそが間違っていたんだな。

 

私が一番赦せないのは、私です。

全部がそのカモフラージュ。

 

認めないぞ!という声がある。

だけど、もう認めていってあげて、いいんじゃない?

 

だってもうズタボロでしょ?

 

赦そうよ。

緩めるんだよ。

自分で自分の首を絞めてきたその手を、イエスに手渡すんだ!

今、この瞬間。

 

それだけでいいんだ。

 

良かったんだ。。

 

何か特別なものにならなくていいし、なれないし、そんなものは必要なかったんだ!

 

私たちは神が創造したままの神の子なのだから。

 

神は知らないんだ。

 

あなたがこの世界にいることを。まったく知らない。

あなたが夢見ているだけだった。

 

帰ろう。

もういいよ。

目覚めていいよ。

その悪夢から、目覚めさせてあげていいよね。

だって自分で自分の首を絞めているだけだったっていうことがわかれば、

それをやめるだけなんだから。

 

やめてあげなさいって言われてる感じがする。

 

やめさせてあげよう。

自分に。

もういいよって。

 

そうだったのか。。

 

単純に思えて、本当なの?と疑いが出る。

やだなあ、とか。

 

本当だよって笑ってるなあ。。慈しみの目で見てくれてるなあ。

 

それはあなたの目です。

あなたは愛です。

愛以外の何者にもなれませんよ、と。

 

赦す。

 

この言葉、久しぶりに聞いたなあ。。

 

赦してあげてください。

慈愛の目で見てあげてください。私を。私自身しかないのだから。

いたわりなさい、あなたを。

神に向かおうとしているあなたを。

あなたは私なんです。

私が赦される時、あなたが赦される。

それは喜び、幸せ、神への道。

 

はい。わかりました。

 

邪悪さがあっていいんだ。

あってもいい。

あると信じていた。

それをありのままに見ていこうよ。

隠したりせず。私と共に。

真実を見せます。

 

怖いけど、

この邪悪さの下に一体何を隠しているんだろう、、、

死守してきた最奥にあるパンドラの箱を開けて、その泣き叫びに触れさせてあげたい。

触れていきたいです。

 

聖霊、あなたと共にしっかり見ていきたいです。

本当にそこに何があるのかを。

 

どうかそのように導いてください。

助けて欲しいです。

 

ありがとうございます。

 

本当はこのことを打ち明けるつもりはなかった。

だけど、

いい顔しようとするでしょ?あなたは(笑)と言われた気がして、、

全部開いて私に見せなさい。

隠しておいていいことひとつもないよ、と。

 

このブログの顔写真を一回伏せたのも、

この職業仮面を付けた時に、

何か色々明るみになること、思っていることを赤裸々に、感じていることを出すのに、

顔がバレると困るから、、と思ったからでした。

隠れていたかったから。

 

この打ち明けについて、間違っているかもしれません。

裁かれるのではないかという恐れがあります。

でも、

私はもう閉じたくないです。

 

愛に閉じていたくない。

愛に開きたい。

ガブリエルの歌みたいに。

 

そうすることで、わたしが誰なのか、忘れたままでいたくない。

思い出したいからです。

 

普段、仕事中はダメダメで

緊張の中でこのような仮面をつけながら、やっているけど、、

 

愛だけを教えなさい。

私と共に。

私に手を貸して欲しい。

 

強く響いてきます。

 

愛だけを教えなさい。

 

そう教えられ、導かれていることを、私は確かに感じています。

 

闇だらけの私には無理。

 

あなたは愛ではないものです、と私自身に教えるのか、

あなたは愛です、と私自身に教えるのか。

 

本当に、本当に、、

その二つのどちらかだけしかできないし、それしかしていないんだな。。

 

そう感じました。

 

職場でも何者かになろうとするのを、やめます。

 

ただ、日々浮かび上がってくるものをそのまま認めて、

聖霊に隠さず開いて、見せていきたいです。

リトリートの時のように、完璧であろうとか、立派だと見られたいなんていうの、

もう、職場でも辞めます!

 

ありがとうございます。

 

 

※ガブリエルの歌は、いつだったかの合宿でみんなで見た映画:歓びを歌にのせて

の中の歌です。

↑これも私のもの、にしようとしてました。