混沌の法則〜これが私だと信じている
映画レミニセンスを観て、
救いがない、絶望を感じていた後に、間違ってるかもしれないけど浮かんだのは、
”混沌の法則”。
ああ、そうだ。
まんま、あの映画は混沌の法則だった!
映画の登場人物全員の狂気は私の中に確かにあり、
外側にあるのではなく、今、その狂気のど真ん中にいるんだ。
他の誰かの狂気ではない。
混沌の法則というコース用語を利用して
私にはありませ〜ん!知りませ〜ん!と言って、今、知らんふりして他人事にしている。
ああ、、映画観にいきましたー、、と通り過ぎ去ろうとしていたのに気づく。
通り過ぎようとして夢見を長引かせようとするのではなく、
聖霊と共に立ち止まり、私の中にずっとあったその狂気を直視して、認めていかなければならない。
聖霊と眺めていきたい。
そうしていきたいんだ。
この私は狂っていると認めていきたい。
それを見ようとしてないから気づけないし、
狂っていたことを認めない限り、正気に戻れない。
正気に戻りたい。
永遠の愛という自覚が復活することを望む。
この邪悪さの私でいるよりも。
分離よりも。
奇跡講座の混沌の法則を読んでみた。
1.
混沌の「法則」は、決して理解できるようなものではないが、光のもとに運ぶことはできる。
混沌とした法則などというものには意味はなく、従って、それは理性の枠外にある。
それにもかかわらず、これらの法則は理性と真理に対する障害であるかに見えている。
それならば、それらを冷静に見てみることにしよう。
そうすれば、そうした法則の正体について理解し、それらが主張するものではなく、それらを超えたところを見ることができるようになる。
それらが何のためものものかを理解することは重要である。
というのも、そうした法則は、物事を無意味にし、真理を攻撃することを目的としているからである。
それでも、それらが統治しているものは無であるから、それらに背く必要はなく、ただそれらを見て、超えていけばよいだけである。
”それらに背く必要はなく、ただそれらを見て超えていけば良いだけである。”
この一文が浮かんだ時、すうっと光がさした。
嬉しい。
これを超えたい。
聖霊と共に、これを超えていきたい。
正気になりたいよ。
3月の勉強会映像の混沌の法則も見直してみた。
【混沌の法則】T23.II
①真理は人によって異なる。
②誰もが必ず罪を犯すはずであり、従って攻撃と死を受けるに値する。
③神は神の子を憎悪せざるを得ない。
④自分が獲得したものは自分が所有する。
⑤愛の代替がある。
ざっと目を通しただけで、
昨日のミーティングでの自分のエクスプレスや引っ掛かっているいくつかのエクスプレスを振り返ると、
そうだ、確かにこの法則のまんまだ。
T23 II 4-1
②誰もが必ず罪を犯すはずであり、従って攻撃と死を受けるに値する
本当だ。
弱いものだと判断し、誤りでなく罪あるものだと裁きたくなる。
私は裁くことができると信じている。
T23 II 17-2
何らかの形の攻撃が、愛でありえるだろうか。
攻撃ばかりしている。
リトリート前から、リトリート中、ずっと前から、今も、昨日も。
ぎゃあーーーって叫びながら。
混沌の法則って自分自身との戦いという章の中にあったんだな。
自分自身と戦ってるの?
自分自身に向かって「奪いやがったな!」よし、奪ってやる!と言い続けてるの?
3月勉強会映像から〜
犬=分離を信じている私
これ信じてるんだよ〜と聖霊からあっけらかんと言われた感じがして、
あははと笑ってしまった😆
笑われてる。。聖霊に。
いやー信じてましたねえ〜。。みたいに。
イエスに肩をポンと叩かれる。
そうだよ。
私と一緒にいなさい。
あなたには信じられないことかもしれないけど、
何も起きていなかったんだよ!
そんな感じ😊
神の子がこれを超えられないなんてあり得ない。
そうやって私たちは信頼されている。
絶対、大丈夫!超えられるからねって、イエスが肩を抱いてくれているよ😭
今、泣いてる。
私ができたことに、あなたたちができないことはない。
そんなのあり得ない。
そう感じた。
私が誰なのかを知っているのは、あなたです。
聖霊、どうか助けてください。
ここから引き上げて欲しい!
私は永遠に神の子で、
永遠に神が創造したままの神の子だと思い出させてください。
聖霊からこれに気づかせてもらった直後、
兄弟からコールをもらって、感じていることについて話させてもらった。
攻撃するところからではなく。。
ありがたい。。
混沌の法則も、それが隠そうとしているものも、
聖霊と一緒に見ていきたいです。
聖霊、ありがとうございます。