なぜだろう
何かをネットで探すファンクションをしている時、
全部自分の思い通りにしたいとか、
早く片付けて、終わらせて楽になりたい、
手を離したいという動機でやっている。
それに気づかず突っ走り、
でもこれ、言わなくてそのままでいいよね。。とか
逆に、言わずに黙っておけば誰かがやるからいいだろう、と躊躇して終わることが多い。
それも違うと思いながら、UPする。
何やってんだろう、、と思いながらリビングへ行くと、
母が冷凍だけどナポリタンを解凍して用意してくれていた。
それをみた瞬間、
ありがとう!と上から降ってきた。
お疲れ様、用意しといたよ、という感じだった。
思わず母にありがとう!と言ったけど、
どこから、この、ありがとう、が来たのだろう?
UPした瞬間、
手放すためだったんだなと思った。
あきらめる。結果はもういいや。
そんな感じがして広がりを感じた。
ファンクションであっても
中毒のように没頭して探し始め、歯止めが効かなくなる。
形じゃなくて
何と一緒に見るか、だけなのか。
聖霊と見るか。
だけど99.99999......%、いや100%自我と同一化して探していてだめに決まってるのに、
何で「ありがとう」と言われるのだろう?
分からない。
それでも使っていただきたいと意欲があったのだろうか?私に。
ダメダメな自分でも使ってもらえる、ということを
静岡の撮影の旅で、れいさんや賢太さんは感じたようだったが、
私はそこまで感じられなかった。
まだ劣等感と、犠牲者感覚がある。
けど
こういうことなのか、、とふと感じた。
情けないし、
自己嫌悪と恥と殺意しか感じない。
それでも聖霊は私に、
ありがとう、と言ってくれているのか。。
それを感じたので、
全然言いたくないけど
ふと自分自身にそれを言ってあげようと思った。
Davidが胸の前で腕をクロスして、
うんうんとうなづきながら、
一なる子の私を抱きしめていた姿が浮かんだ。
自分を励まし、敬意を持って、慈しんで、
ありがとうって。
ありがとう。