私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

静岡撮影旅⑤帰り道

次の日は、兄弟のインスピレーションと祈りから、

急遽まったく違う方面へ行くことになった。

 

この日が私にとっては最終日になった。

この旅の後、無価値感や、悲しみが上がってきた。

撮影ファンクションという特別性 - 私は知覚に問題があります

私にはspeak upする価値があるのだろうか? - 私は知覚に問題があります

自分が赦せない - 私は知覚に問題があります

 

仕事を休んでそのまま旅を続けるというのがガインダンスだったのだろう、

だから私はガイダンスに従わなかった。

みんなは愛されて導かれていくけど、

私はもう愛されないだろう、だめだろうというような

怒りや悲しみ、孤独が上がっていた。

 

まったく、私は意気地が無い。

会社や社会のルール、常識に囚われていて、

それを破ることが怖い。

 

お前の信仰はその程度かと思ったし、

 

そんなのできるわけないだろう!と聖霊を信頼せず逆ギレし、

マトリックスでネオがエージェントに捕まってしまったように思えた。

 

大雨の中、霧で数メートル先しか見えず、

まったく視界不良の中の高速道路を車が走っていく。

 

ふと後部座席で、

エスが運転していていて、包まれているように感じた。

 

私たちから見るとまったく先が見えない。分からない。

 

信頼して身を委ねる。

 

美保の松原に神の道という歩道があった。

 

松林の中、

神社の鳥居まで一直線に続く道。

 

目を開けてみればなんの障害物もなく、

真っ直ぐで迷いようがない平らな道なのに、

 

目を閉じている私には

神の道が複雑で不安、恐ろしく思えている。

 

まったく先が分からない。

この道を走っているように。

 

昨晩、この撮影に合う天候に合わせて、日程を調整しようとしていた時のこと。

 

この撮影の前も、仕事で体がきつかったにもかかわらず、

「行きます!」「大丈夫です!」と簡単に返事した。

 

その後、のり子さんとれいさんが話しているのを聞いて、

その「行きます」と返事した自分の動機が、浮ついているのを感じた。

 

明らかに「飛びついて」いた。

 

聖霊に尋ねもせずに。

 

自分の価値を高めようとするために、、

これを逃したら損する!という衝動から

自分が何か得られそうなファンクションに手をあげ、返事していた。

 

そう話しているのを聞いて、

まったくそのとおりだと思った。

 

何をやるにしても、

仕事も、話すことも、何かをサーチすることも。

 

これが、

「あなた、松ぼっくり拾いね」と言われたら、飛びつかなかった。

 

松原にたくさん松ぼっくりが落ちていたのを見て、

これだけを拾いなさいと言われてもいい、と思っていた。

 

だけど、

全体のためとか言いながら、

本当は「松ぼっくり拾うだけなんて嫌だ!」と思っているんだよ、私。。

そうなんだよ。

 

ああ、そうか。

そう認めて、打ち明けた。

 

それは、

「価値がない、価値を高めるためにそう言いました」

そこを打ち明けるのだ、とのり子さんに指摘されてようやく言えたのであって、

 

まだまだ認めんぞ、、と思いながらの浅いところからの打ち明けだった。

  

確かに、それをまったく認めたくなかった。

ましてや口に出して打ち明けるなんて思ってもみなかった。

 

 

まったく逆のことを打ち明けるのか。

 

私、やってやる、

私は知っている、わかっている、この方がいいに違いない

という思いと。

 

まったく聖霊に尋ねず、飛び出していく。いつも。

あの輪島の自転車撮影の時に、3人一緒に協調して進むのではなく、

自分は優れていると証明したくて、一人ダッシュして出て行った時みたいだ。

 

その場にいる動機も、ほとんどそれだった。

 

でもそういう時って、平安じゃないな。

 

何かを成す者でありたい。

成す者として、何かを成さねば。

私はできる。

 

自分の価値を高めるために。

愛されるために。

 

そんなこと必要ないんだよ、

すでに愛されているよって教えてくれているのに、

耳を貸そうとしてない。

 

それに気づいてやめていきたい。

 

飛び出していくことが失敗や、ダメだったり

それで愛される資格がなくなるわけではないはずだ。

 

そうだったな。。

 

それでも道中、不信感と疑いが何度か上がってきた。

 

やはり輪島で見たようなやりとりが現れたりして、

自分の疑いがそのまま反映されていたのだと思う。

 

それでも信用するしかないんだよ。

 

信頼して神に委ねる。

 

無事撮影が終わり、

私は一人、みんなと別れて帰路に着く。

 

私にとっては、ここからが始まりだった。

 

失ってしまった、寂しい、孤独、無価値感、悲しい、もう価値がない、、。

 

みんなとハグして駅で別れ、

帰りの新幹線で、頼りにできるのは聖霊だけになった。

 

自分は愛されていない、自分で愛を断ち切ってしまったと信じていて

ずっと号泣していた。

 

本当に私はこの距離を移動したのか?というほど映像も時間も止まっていて、

しばらく悲しみでいっぱいだった。

 

愛されていることを知りたい。

それが目的なのに、

 

神に愛されていないと信じている。

失ってしまったと信じている。

疑っている。

そう決断していることを正直に認めて、

 

ここまで与えていただいた奇跡を思い出しながら、

 

それが間違っていることを望むと

もう一度意欲を差し出そう。

 

信頼しようと何度も思い直す。

  

それでも

帰り道、ほとんどそんなふうには思えなかった。

 

愛されてないという思いだけだった。

 

そのまま運ばれていった。

 

それでも旅の後も、導かれていった。

愛されているということに。

  

だからもう一度、

聖霊を信頼して、従っていきたい。

 

神の愛に身を委ねていきたい。

 

 

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