私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

静岡撮影旅④宿でのエクスプレスセッション

うまくやるために兄弟を利用して、

できなくなると怒り、攻撃、踏み倒そうとする。

 

自分が不利に立たされるや否や、

怒り、攻撃する。

 

超えていこうと意欲は持ったけど、

また同じことを繰り返してしまった。

 

頼りになるはずの賢太さんが、深い闇や罪悪感が上がっていて、

コンビニを探すなど、ナビのフォローをする。

 

れいさんも深い闇が上がっているのだろう。

 

させられている感が上がって、

イライラしていて、自暴自棄になってナビしようとする。

 

賢太さんは助手席に座った方が良いのか?と浮かんだが、

言い出せなかった。

 

またインスピレーションか分からない、という葛藤。

あれだけ、打ち明けること、と教えてもらったのに。

当事者になるのが嫌なんだ。

 

ああ、またやってしまった。

ラファエルが嫌うこと。

 

全体のために、とか言いながら、

自分に不利益になることになると、途端に攻撃しだす。

 

全体を潰そうとしにかかる。

 

やっぱ口だけだな、、。私は。

 

どうせ深い闇なんてわからない。

やっぱり賢太さんやれいさんの癒しのフォロー役かよ!という思いが湧いてきて、

聖霊に対する不信感、疑いが上がる。

 

輪島でも繰り返しているので、そのまま怒りに止まりたくないと思った。

 

宿に着くまでナビに専念したけど、

やっぱり私は役立たず、みたいに感じていた。

 

本当は、そういう時こそ、

聖霊を信頼し、チューニングする踏ん張る時だ。

 

宿に着いたら、

想像していた通りのラファエルの反応で、予想していた展開になっていった。

 

すでに決まっていた。そう感じる。

 

いつも頼りになるはずの賢太さんが、頼りにならないという知覚が起き、

イライラしていたし、

逆に優位に立てるチャンスみたいにも感じていた。

 

弱いものをふみ潰したくなるような衝動もあった。

 

どちらも本当の私ではない。

 

やはり、ここでも

リアルではない、と時々感じた。

 

どれもリアルではない。

 

聖霊が用意してくれたエクスプレスセッション。

自分に正直になること以外、求められていない。

 

いつもなら端っこに座るところだが、今日は違った。

 

2020年9月リトリートの時は、カメラは聖霊だと意識していた。

今回はそれをすっかり忘れてしまっていたので、下ばかり向いてしまった。

 

撮影前に、全体のためにお使いください、とずっと祈っていた。

 

話しながら、

ああ、ここまでのすべてが繋がっていたんだな、、と感じていた。

 

聖霊が導いてくれていた。

 

深い闇が分からない、とかインスピレーションが分からない、、というのも、

それがインスピレーションかどうか葛藤することに留まることで、

打ち明けようとすることを避けていたからだ。

 

感じていないはずがない、闇も。

深い、浅い、が問題なのではない。

 

光に闇を捧げていくことをしたくないだけなんだ。

 

その場にいる兄弟に助けられながら、

愛を阻む障壁を光に捧げる時間を、聖霊から与えていただいた。

 

大雨の中、何時間もずぶ濡れになって撮影するラファエル。

 

黒いガムテープで穴を塞いだ雨ガッパを着て、

靴は中までびしょ濡れ。

 

自分も撮影用にレインコートを買ったが、撮影のためではなく、自分のためだった。

 

しかもラファエルが着ているものより高い。

 

とことん、私は自分のことしか考えてない。

 

大雨の中、何時間も7台ものカメラをチューニングする

そのラファエルの神に献身する姿を見て、恥ずかしくなる。

 

こんなにも神から与えられている。

 

それに答えられたか、分からない。

心を最大限、全体のために聖霊に預けられただろうか?

 

意欲は差し出していた。

どうぞお使いください、と。

 

この撮影中も、リアルではない。と教えてもらっていた。

 

正直になること。

 

隣にいる賢太さんが打ち明けてくれたので、私も打ち明けた。

 

聖霊と兄弟を信頼して。

 

聖霊がすべてアレンジしてくれた。

 

心を。

 

賢太さんに、あの嬉しさ、感謝を感じた。

 

旅の最初、私と繋がりたくないとエクスプレスをしてくれた時に感じたのと同じように。

 

聖霊のありがとう、を。

 

洗い流されていったようだった。

 

撮影後、のり子さんの横顔をちらっと見ると、

微笑んでいた。

 

それが嬉しかった。

 

 

最後のショット。

 

「愛は美味しいね」の象徴のシーンに感じた。

 

神に養われている。

 

すべてが、聖霊から与えられた奇跡だった。

 

ありがとうございます。