私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

静岡撮影旅①愛は美味しいね

賢太さんのブログを見て、

同じ場所にいて同じようなことを感じたとしても、

それぞれの断片がspeak upする必要があるという話を思い出した。

 

そうなのだろうか。。

私にはspeak upする価値がない、、という思考が現れる。言いたくない、無理だ。

だけど言う必要があるのだろう。

誰のためでもなく、自分のために。

 

忘れようとする私は、思い出すことができるのだろうか?

 

泣けてくる。

兄弟が覚えてくれていたから、思い出そうとすることができる。

信頼して思い出してみる。

 

”私と一緒に思い出してごらん”

聖霊はそう言って、私の手を取ってくれている。

 

神の愛を思い出したい。

今もう一度、その意欲を捧げます。

 

。。。。

まずこの静岡撮影旅が前倒しになり、

急遽、賢太さんと車を借りる方のところへ取りに行くことになった。

 

その前日に賢太さんから

私と繋がりたくないという感情が上がっているというエクスプレスを聞いた。

 

それを聞いて、

嬉しいー!嬉しいなあ。

打ち明けてくれてありがとう!

嬉しい。嬉しい。あなたの思いを聞かせてくれてありがとう!

 

ありがとう。ありがとう。

そう感じていた。

 

のり子さんを通して、私に対して嫌だとか困るというラファエルの思いを聞いた時や、

輪島ののり子さんのエクスプレスの時みたいに。あの奇跡と同じ。

 

話していくうちに、

どこからか話の途中から、頭が垂れ下がってきて、ずっと頭があげられなくなった。

 

車を貸してくださる方に感謝が湧いてくる。

 

ああ、、、ありがたい。

 

神の子全体の目覚めのために、お借りします。

神よ、この車を差し出していただいてありがとうございます。

 

大切に、使わせていただきます。

 

そう感じていると話したら、

賢太さんが全部なんだよと話してくれた。

 

最初抵抗があったけど、

それを感じている対象物やこの時間、

そう感じる自分だけを特別にしたかった。

 

だけど車だけでなく、おにぎりも、ラファエル、のり子さんや兄弟との縁も

すべてのすべてが、神からお借りしているものなんだ。

 

今私は、目の前のことだけしか見えていない。

 

それさえも見えていない。

 

今、車を差し出してくださる方と車にだけ

心から神に、ありがとうございます!と頭が下がったけど、、、

 

全てが神からお借りしているものなんだ。

それが今、私にはわかっていないだけ。

 

神の子全体の私の目覚めのために、

すべてお借りしているものなんだ。人の縁も。タイミングも。すべて。

 

神からお借りするという謙虚さを、最近はすっかり忘れていた。

この時に比べると、神に自然に頭が下がるという謙虚さを、今も忘れている。

 

これは2019年7月に献身合宿に切り替わった時、教えていただいたことだ。

のり子さん宅をマインドトレーニングの場として五井先生から、イエスからお借りします。

そう祈るのだ、と。

 

やろうとしてやれないことだけど、

頭が下がる思いをまた感じさせていただいて、思い出させていただいてありがたかった。

 

もう一つ。

好物のフライドチキンを食べるとき、

 

神に養われている、

巣で待っているぴよぴよのひな鳥の私が

口を開けて神からいただくように、

 

「愛は美味しいね!」

って言いながら、食べるんだよ。

 

自分が自分に赦すんだよ。と賢太さんに教えられた。

 

チキンを食べてはダメなのではなく、

いいんだ。食べていいんだ。

 

「神の愛は美味しいね!」

 

そう言いながら、食べるんだよ。

 

とても優しく胸に響いた。

 

そうなんだな。。

 

ひな鳥の私が、

神に養われて口を開けて待っていて、

 

与えられた神の愛を

「愛は美味しいね!」

と言って、巣にいる他のひなたちと一緒に食べていいんだ。と。

 

これを聖霊から教えられた時、

これが私にとって今回の旅でも、とても大切なことになるとは思っていなかった。。

  

 

だけれども、、

 

「欲しい!欲しい!ちょうだい!ちょうだい!」と

くれよ、くれよ、願望丸出しでピーピー泣いていて、

毛がなくてひょろひょろで、

 

親に与えられるのを待っているだけのひな鳥の

口をポカーンと無防備に開けている姿を思い浮かべた時、

 

ひょろひょろでキモい。ダサい。恥ずかしい。情けない。

そんなのが私なんていやだ!と思った。

 

素直に、

おかーちゃーん!と言って、

「私は、

神からの愛が欲しい、愛を与えられたい、愛を受け取りたい、養われたいよ。」

と認めたくなかった。

 

私はそんなひな鳥です。。なんて認めたくなかった。

 

もっとしっかりしているはずなんだ。

ひょろひょろなんかじゃない。

 

それも感じていた。

 

すでに

おかーーちゃーーん!って言って、泣いているのにね。。

 

 

賢太さんと話していくうちに、

「目的についてはっきりさせておくことが大切だ」と口から出た。

 

神に愛されていることを受け入れたい。

知りたい。

神に養われていたい。

フランチェスコの映画で感じたように、

完全に今、すべての神の子が愛されているんだ。

だから、そのように愛されていたい。

知りたい。

 

そう話した。

 

信頼して神にすべてを差し出す。

そう感じながら、兄弟と一緒に車を受け取り、届けることから始まった。

 

 

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