私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

怒り

昨日、仕事中に

ものすごい激しい怒りをぶつけられるということがあった。

 

私を含む、そこにいる人たちへ向けてだったけど、

言葉にならない声や全身で表現していて、

びっくりしたし、怖かった。

 

あんなに激しい怒りの感情があったんだ。

 

そんな感情なんて、まったくないだろうと思っていた。

 

そして、

そこからその方と一対一になり、

沈黙が数時間続いた。

 

怖い。

 

ベッドに寝ているので、

そこから立ち上がって殴られることはないにしても、

 

放棄して逃げたかった。

 

祈るしかできず、

近づくと、いいと言って手を振り払ってくるので、

 

やはり椅子に座って、祈るしかなかった。

 

その方を、自分のいいように利用していた。

 

何もかも打ち捨てたくなる思いがわいていた。

 

自分の闇に直面したくない。

 

 

その時は、ただ

聖霊に助けを求めて祈っていた。

 

ここの仕事中、初めて本当に祈った。

 

けど

私の愛と助けを求める懇請だ、という考えも浮かばなかった。

 

その後、祈り続け、

愛を持って見たい。と思い、

 

目の奥を見た。

落ち着いていたので、そのままオムツ交換と清拭に入る。

 

まだ怖くて、

いつ怒り出すか分からない。

もちろん本人が嫌ならすぐにやめるつもりだった。

 

でも

その頃には穏やかで、いつものように手伝ってくれたりした。

 

相手に見えるけど、私自身なんだ。

 

今まで以上にそう思い、

 

これはイエスの体なんだと言い聞かせ、

丁寧に拭いた。

 

行きがけの電車やバスの中で、たまたま気になって見た

生配信でDavidが言っていた、

マザーテレサもたくさん闇を超えていった、というニュアンスが残っていた。

 

何ヶ月か前にマザーテレサへの手紙という映画を見た時、

道端に寝転んでいる死にゆく人、息絶え絶えの人がイエスに見えた。

 

マザーテレサたちが、

あと少しで息を引き取る人たちに親身になって介抱しているシーンの時、

「手足となりなさい」と聞こえた。

 

なのに全然、イエスの手足として

やろうとしていなかったよ。

 

自分が家族に怒られるんじゃないか、といつもビクビクしながらやっていた。

 

実際注意されることが多いし、

要求されるけど、それはご本人にとってどうなんだろうと思うのに、意見できない。

 

矛盾を感じていた。

 

けどそうしなければならない。

私の身が危うくなるから。

 

そんな思いだったよ。

 

今回、感情をぶつけられるということに直面できて、

自我は冗談じゃない、嫌だというけれど、

私自身の愛と助けを求める懇請を見せてくれてありがたかった。

 

私自身を見捨てていた、ということに気付きたくなかった。

 

私の泣き叫び。

確かに、あの怒りは私の中にあるな、、とその後、自分の中にあるのを認めた。

 

私自身が

私の泣き叫びをまだ無視し続けていることに

気づかせてくれてありがとう。

 

そして

マザーテレサへの手紙で受け取った、

 

相手がイエスに見えたこと。

手足となりなさい。というイエスの言葉。

 

私は精神疾患認知症です。

 

だから

どんなに頑張って忘れないようにしても無駄だから、

 

私は、それとして生きたい。

それとして生きます。

 

家に帰ってから、

そこに至るまで

明らかに私がネタ帳にネタを書き、全員のセリフが自分自身で

用意周到に準備して決めていたと分かり、後になって笑ってしまった。

 

けど本当に怖かった。

 

先週の勉強会の休憩中、

母からキッチンで

「イエスも復活したんだから、あなたも復活しなきゃね。」と言われた。

 

はい。と答えた。

 

ありがとうございます。