私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうかあなたに打ち明けさせてください。

最期はイエスに看取られたい

お見送りの後、

 

その時感じていることが、

介護の仕事をしているからではなかったんだ、

そうなんだなと感じました。

 

でもまだ

私はこの仕事をしているという私が、私なんだと言い張る声がある。

 

何度もやってくるその誘惑に

これが私ではない。

これを望まないと

聖霊と繰り返し一緒に言うことを思い出させています。

 

いつも手早くできず、

作業や気づきが遅いと自分を責めている。

 

職員さんは「ゆっくりでいいよ。」と言ってくれて誰も責めない。

おばあちゃん達も私を急かすことはほとんどない。

 

手早くやるなんて、私には無理だ。

私にはまだ全然何もわかってない。

ダメダメ。

 

夜間ベッドに車椅子をつけることを忘れたり、

すぐ聞こうとしなかったり。

 

誰も責めないし、

注意だって利用者さんが安楽に過ごしてもらうため、というところから言ってくれる。

  

なんだかんだで、

職員さん達は利用者さん達を愛している。

 

素晴らしいな、と思うし、

その一員にさせてもらえていることがありがたい。

 

私には難しい。

いつも自分優先になっているから。

  

私の歪んだ見方で見た時、

私だけがこの人のことを特別に知っていて、分かっている。

喜ばせることができる、と職員同士が競争しているように見える。

 

そんなの望まない。

 

私はできている人でいたい、

私はわかっているというプライドを守ろうとしていることに気づいて、

本当に諦めていきたい。

 

もういい。

 

私も相手も今日が最期なら、

私は愛を与えることを選ぶ。

 

そう思って昨日、居室でオムツ交換に入った時、

 

聖霊から、

そこに神がいる。

 

と伝わってきました。

 

ほんの0.0001秒くらいだけだったけれど、

私には奇跡でした。

 

相手と私だけの空間。

汚物を取り除き、綺麗にさせていただく間に聞こえてきた声。

 

どれだけ聞こうとしていなかったのだろう。。

 

うまくやってとにかく切り抜けられればいい、

私だけよければいいという声を

私は望まない。

それは私ではない。

 

大の大人の男性、女性。

勤め先、立派だった経歴を持った方もいる。

 

人生の最期に、

身体も思うように動かせなくて、

理性も自分で制御できなくなってしまい、

 

もはや自分では隠すことができなくなってしまった

自分の身体の恥ずかしい部分、

 

思うように動かせない身体、

 

最後の最後まで自分の心の中に留めて隠しておきたかった

激しい怒りや悲しみ、嫉妬や罪悪感、愛を求める懇請。

 

どうにもできなくなってしまった私を委ね、晒す時、

 

そこにイエスにいてもらいたいんだよ。

最期はイエスに見送ってもらいたいんだ。

 

そう思うよ。。

 

聖霊

あなたの白い炎によって

私が燃やし尽くされますように。