私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

仕事中でも

朝から心が激怒していた。

 

母に対しても激怒が止まらなかった。

 

7月のミーティングをしていた時に、

 

この感じている怒りが

何なのかわかっていると思っているけど、

 

怒りが何なのか私にはわからない、、と気づきがあったことを思い出した。

 

聖霊、これが何なのか私にはわかりません。

 

 

仕事に行っても、

やはり正当化しようと怒り爆発していた。

 

今日も

同僚に怒りをぶつけてしまった。

 

それでも愛と助けを求める懇請に、

助けを与えようと意志し、

 

聖霊に助けを求める。

 

その繰り返しだった。

 

 

同僚はその後、笑って何事もなかったかのようにしていた。

 

聖霊に助けを求める。

 

怒り。

私が罪を信じていなければ、そういう反応にならないんだよ。

 

聖霊から優しく言われた気がした。

 

 

そうか。。

 

私が罪を信じているからなんだな。。

 

 

罪悪を信じている。ということは、

何度も何度も、1000回以上人から聞いたり、読んできたりしたのに

 

その時は、まったく気がつかなかった。

 

 

言われて気がつく。。

 

 

繰り返し、

ちょっとした不快な感情が湧いたり、

怒りが湧いた時も、

 

これは私の愛と助けを求める声なんだ。と自分自身に教えた。

 

そして助けを求めて、

聖霊に祈る。

 

聖霊に入ってもらっている時は、

平安と愛を感じていた。

 

 

あなたは愛です。

 

 

工場の騒音の中、

大きな声で仕事している人がいる中でも、

 

聖霊から伝わってきた。

 

愛しさを感じ、幸せを感じた。

 

 

仕事中だからとか

コースと関係ないところだから、というのは言い訳で、

 

私が耳を澄まして

聞く意欲を持てば、聞こえるんだ。

 

だから、聞こうとしなかっただけだ。

 

私が。

 

そう思った。

 

仕事の帰り道、

自転車で帰る時も

左、という感じがしたので、左に寄ると

 

右だったら正面から自転車が来ていたので

ぶつかっていたかもしれなかった。

 

どこにいるかとか

何しているかではなく、

 

本気で

今、聖霊に助けを求めているかどうか、だけなんだな。。

 

 

仕事中に上がった感情や出来事を晒すのを避けていたけれど、

 

それこそ自分に正直に

隠さず晒す必要があったんだな、と昨日気づいた。

 

それは

聖霊がずっと導いてくれているように、

 

無価値感や罪悪感、

今感じていることを聖霊に晒していくことで、

 

打ち明けていくこと。

 

金沢でののり子さんが正直に闇を晒してくれて

一緒に癒される奇跡や、

 

リトリートや合宿でのエクスプレスセッションは

クローズアップするのに、

 

まったくできていないダメダメ、

下の下の仕事中の感情や態度は、スルーしていた。

 

罪があって

汚れているものを隠しておきたかった。

 

醜く、

極悪で邪悪な私。

 

それこそ

私の愛と助けを求める懇請。

 

そうでした。

 

 

愛と助けを求める懇請を

隠さず、隠れず、晒すことなんだ。

 

小さな声に聞こえるようなことでも。

 

汚いもの、悪いものだと信じている。

 

それは違うんだ。

助けを求めている私の声なんだ。

 

だから、

気づいて拾い上げて

助けを与えてあげよう。

 

今。

 

少しずつ、そう思うようになった。