私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

帰り道オンラインリトリートで感じたこと①

 

聖霊

どうか私を癒しと平安へ導いてください。

そのために私をできる限り差し出したいです。

 

愛されることよりも愛することを

 

私が選択できるということを

思い出させてください。

 

 

8/14

まずリトリートで

画面をサラッと見たときに、

画面に映る自分の学習グループのメンバーの顔を見て、殺意と憎悪がわいた。

 

私が特別でなくなるじゃないか!

顔見ただけで飛びかかってキーとなる。

 

殺したい。

 

感じたままに浮かび上がらせていた。

 

悲しい。

 

Davidの話を聞きながら、

悲しみが上がっていた。

 

その後、

嬉しかったり、虚しかったり。

 

寂しさも感じていた。

 

感じたことをそのまま浮上させてあげた。

 

聖霊が導いてくださっているからなのだけど、

ここまで

今まで触れてこなかった感情や

忘れていたユタ〜今をブログで振り返ってきたこともあり、

 

とにかく

自分自身に正直であること、

素直になって浮上させていって、

聖霊に明け渡していきたいと思っていた。

 

ありがとう!

ありがとう!

ありがとう!

 

感謝。

  

それも感じた。

 

リトリートしょっぱなは、悲しい。悲しい。

涙が出たなあ。

 

かっこ悪い、それでもいい。

それでもいいから、素直に感じていることをOPENにさせていきたい。

 

目の前の相手がDavidだろうが、誰だろうが。

こちらに気づいていなくても、それでも構わない。

 

自分の心の中に。

 

素直でありたい。

私が抑圧してきたものを、外に出させてあげたい。

泣き叫びを浮上させていきたい。

 

 

時に、嬉しい。

虚しい、寂しい。

 

 

リトリートが終わった瞬間に、忘れないようにしたい!と思い、

行動、行動で突っ走りそうになった。

 

Davidやフランシスの「言っていること」を忘れたくないがために、

このブログに書きたい、

 

忘れたくないからと言って

文字起こしを始めようとする。

 

 

100%直感的になりたい。

それには多大な意欲と訓練が必要だ。

とDavidが言っていた。

 

もう過去からの学びを放棄したい。

 

ガイダンスに従っていかないと

抜け出せない。

 

stopして

聖霊に尋ねた。

 

リラックスすることの方が大切、という感じがした。

 

 

突っ走る衝動があったけど、

やめて横になった。

 

 

2:04:27〜

Davidが言っていたこと。

 

あなたはあなたの行動がそれほど重要ではないということに

気づき始めているでしょう。

その行動のもとにある目的、何のためにあるのかということが重要である。

もしあなたがより平安になればなるほど、赦しが全てであることに気づくでしょう。

私たちはただ行動を赦しているのではなくて、

私たちの中にある誤った信念を手放している。

 

 

今、これを打ちながら心が詰まって痛い。

不安、恐れ。

 

先に感想をブログに書いている

他の兄弟に負けないために、

 

逆転勝利してやりたいために、

良いもの、私の賜物を残すために、これを今打っている。

 

今立ち止まって聞いてみる。

 

 

 

聖霊、今私に何を言いたいですか?

 

何をするか、ではない

という感じがする。。

 

 

平安じゃないです、。

だから、今あなたと一緒じゃないと思う。

  

平安でいたいので、

これを手放します。

 

 

競争は本当に苦しい。。

 

 

全然平安じゃない。。

 

 

ソランの話を思い出す。

 

 

正しさよりも

平安でありたい。

 

 

印象に残ったところ。

8/14 Davidのコメントより

。。。。

私たちの知覚はまだクリアではないかもしれないけれど、

より明晰になっていくことができるでしょう。

私たちは謙虚になって、優しくなることができます。

とても親切で、受容的で。

そして恩寵の中で生きていく、と生き方を学ぶことができるでしょう。

そこから平安がやってくる。

 

結果を求めなくなれば、期待することがなくなります。

人々をまさにありのままに彼らを受け入れることができます。

そうすることによって、

その人の中にある光っている光を見ることができるようになっていく。

人々を判断するとは全く違ったものです。

相手に何かやるべき役割を与えて、

その通りにやってもらうと要求することをしなくなります。

私は、これはまさに奇跡だと感じます。

 

(中略)

私たちがオープンであって、聖霊を信頼するのであれば、

内なる幸せの道を知っているのです。

聖霊は素晴らしい方法で私たちを使います。

 

ああ、、、

 

そうだ。

導いてくれたように

自分の望みを

聖霊が教えてくれている。

 

期待をやめて、

ありのままの兄弟を受け入れたい。

光を兄弟に見たい!

そうしたい!

そうしたい!

 

泣く。。。

それだけを見たい!

 

幸せでありたい。

平安でありたい。

 

そのために、

聖霊を信頼すれば、

私が知っている全く違った方法で、

私を導いてくれるんだ。

 

私が思いつきもしないような、方法で。

 

確かに、、

今までもそうだったかもしれない。。

 

まだまだ

ほんのほんの少ししか分からないけれど。。

 

 

私には何も分からない。

 

信頼するしかない。

 

10年後、、、じゃなくて、

今、100%信頼したい。

 

 

怖い。

 

 

あなたにはできます。

  

と言われたような気がした。

 

 

えーー??本当なの?

 

疑いと恐れが出る。

 

 

それでも嬉しかった。

 

 

1日目、

素晴らしかった。

 

映画これからだけど、

すでに素晴らしかったし、本当にありがたい。

 

画面の兄弟には投影し、

近づくなよ!いるなよ!連発。

 

フランシスが

ソランは正しさをすべて手放していったという話を聞いて、

 

ソランをライバルのように感じた。

悔しい。負けたくない!

 

神を信じていないなんて、嘘だ!

神なんて嫌だ!

  

憎々しげな恨みのような。

 

そういう想念や感情が湧いていた。

 

これが浮上することを赦していきたい。

 

フランシスが言っていたように、

それをもう望まない。と決断し直すために。

 

 

あなたの誤った信念を

光に持っていくための手はずはもう整えてありますから、

あとはあなたがそれを受けいれるかです。

 

長引かせる必要はない。

それはあなた次第。

 

 

間違っているかもしれないけれど、、

聖霊

そう言われている感じがした。