私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

これを超えていきたい

映画チームやそこに参加している人に

今猛烈な嫉妬している。

 

どこで誰が何をしているかに、という以上に、

 

その人たちは神に慕われているから。

 

その人たちは素直に神を愛し、従い、

そして神に愛されているから。

 

それが悔しい。

 

怒っている。

 

わたしを除外しやがって。

 

7/18日の勉強会で、撮影の話を聞かされれば、

完全に除外されているのを感じる。

 

画面に写っているメンバーは全員

今進行中のプロジェクトに関わっている。

 

のり子さんはその人たちに向かって

一体となって話しているのを聞いて、腹が立つ。

 

この虚しさを埋めるために、

何やら動いてきた。

 

今始まったことじゃない。

 

わたしの中の

無価値感や見放された感を見たくなかったから。

 

でも

ここ数日で、一番エクスパンションを感じたのは、

のり子さんに正直に、この映画チームに対する思いを打ち明けた時だ。

 

嫉妬や負かしてやりたい。

映画上手くいかなければいいのに。そう思っている、と。

 

そして、

のり子さんが

みんなを信頼しているよと言った時。

 

それをわたしは信頼したいと思った。

 

感じていた。

一なるところ。

 

愛。

 

そうだ。

これを信頼したい。

 

昨日はそうだった。

 

でも、

どうしてもどうしても

映画に関しては、このプロジェクトが始まった時から、

 

今も今も

ずっとずっと怒り、抵抗、ふざけんなよ!

そういう思いがある。

 

自分が撮影の現場にいた時は尚更。

 

惨めだ。

 

何かしたいなんて、思わない。

 

わたしには関係ない。邪魔してやる。壊れてしまえ。

 

撮影失敗すればいいのに。

 

みんなは神に慕われて、

導かれているのに、

 

わたしは見捨てられた。

 

で、

手伝いたいと思わない。

陰でいいです。とも全く思わない。

 

表に出ないなんて、

自分が活躍しないなんて、冗談じゃない。

 

下僕みたいに

頭下げて、

みんなの下働きさせられるなんて、ごめんだ。

 

嬉しくなんかない。

 

今は離れているけど、

撮影に参加している時でもそう思っていた。

 

ずっとずっと、

映画の話が現れてから、そうだった。

 

他のことなら、まだ我慢できる。

ごまかせる。

 

でも映画だと、

自分の惨めさや情けなさが暴露されてしまう。

自分って無価値だ。

冗談じゃない。

そんなのと関わりたくないんだよ。

 

逃げたい。

 

まさこさんが

信頼してると言われて、手伝いたくなったと聞けば、

わたしは全然そんな風に思えないことに

怒る。

 

ますます、自分の疎外感を感じさせられて、ムカつく。

 

あなたもわたしを見捨てるんですか?と。

 

無価値感や虚しさ、

めちゃくちゃ破壊してやりたい。

 

正直にそう思っていると認めたいし、

浮上させてあげたい。

 

大丈夫です。。と言って

他のことに逃げたくないんだよ。

 

ガイダンス、よく分からない。

 

みんなにも疑いが起こっていて、

この怒りや無価値感は、

映画のプロジェクトに関わるメンバーだけでなく、

 

合宿云々の話を進めてきたメンバーにも

例外なくあったことに気づかされた。

 

そして、

感じたことを思ったことを打ち明けた。

 

これは本当にインスピレーションなのか疑わしく思う、とか、

みんなと一緒にいて深い癒しが起こるとは思えない。と。

 

想念が浮かんで、

打ち明けられずにはいられなかった。

 

隠しておけなかった。

 

自分の感じていることや思っていることに

正直でありたいんだ。

 

自分のものではないからこそ。

 

誰かを傷つけてしまうのではないか、とか

場を乱したらいけない、と思ってきた。

 

でも

もう隠れたくない。

仮面をつけるのはやめたい。

 

それは失敗かもしれない。

これは間違っているかもしれない。

 

でも、

聖霊に隠してきて、押しやってきたこの思いを

晒していきたい。

 

今年ユタに申し込みをするような

立ち止まらずに暴走してしまった失敗と思ったことも、

 

それを3月合宿のexposeに使っていただいて、

奇跡に逆転してくれたように、

 

必ず聖霊

失敗と思えるようなことでも、逆転させてくれると信頼したところから、

 

そして、

少しずつ

あれ?おかしいな?と思ったら立ち止まったり、

恐ろしいけれど、それを口にしていったりしていきたい。

 

それは間違っているかもしれないけれど。

 

 

惨めさや無価値感を無視したくない。

 

それをしっかり認めて、

 

わたしは愛を望む。

 

あれ、あの一つの愛を望むんだ。と

 

意志していきたい。

 

虚しさや怒り、

無価値感を感じていることを無視したくない。

 

そしてこれを超えていきたい。