私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

今この瞬間を信頼したい

昨日の時点での話。

 

合宿に持っていくものをリストUPしてくれたものを

検討していくことから始めた。

 

気づいていたけれど、

決め方が過去のリトリートや合宿などの考え方に沿って

進んでいる。

 

聖霊と一致した感じはなくて、

怖いから、

過去のやり方は安心できるからそうしておこう。

そんな思いがあったことに

途中から気づいた。

 

とても不安で、

大きな聖霊の計画にお任せして

スーーと進んでいくような感覚はなかった。

 

途中、

決まり切ったメニューじゃなくて

夏野菜を買うのもいいよね、とまさこさんが言ってくれた時、

ふわーーと軽くなった。

 

ああ、そうやってお任せすればいいな。

広がっていく感覚があって、

 

そうそう。

任せればいいんだよ。

 

そう言われた感じがした。

 

そこから、

ああ、そうやってお任せしたところから

決めたらいいんだな。と思ったら、

とてもリラックスしてきた。

 

リラーックス

 

笑いが出てくる。

何が出てくるかお楽しみ。のような。

 

この違いが極端で分かりやすかった。

 

リラックスするためのガイダンス

と確かカースティンのリトリートの時に言われたことを思い出した。

 

リラックスが目的、ぐらいでもいいんだ。

そんなふうに感じた。

 

明菜さんが

Jesusに全部喋ってもらうから楽だよ。と言っていたと

かなえさんから聞いた時、

ああ、そうだな、、と感じて

聞きながらリラックスしてきた。

 

そういう風にいたい。

 

これに取り掛かる前に

祈ることから始めるべきだったと言われた時、

怒りが湧いたけど、

確かにそうだな、と思った。

 

そしてそれを

いつもいつも

ずっと私はやっている。

 

聖霊

尋ねない。

祈らない。

 

思考で満たして、

聞こうとしない。

 

怖い。

 

一つ一つみんなで食材について祈っている時。

 

最初はチューニングしながら

字が光って見えて、これが一致しているのかな?とか

笑いが出てきたりして、一致しているサインかな?とか

これはいらないかも、と思っていて良かったのだけど、

 

だんだん、

罪悪感が大きくなっていった。

 

これを聖霊に尋ねて

はっきり持っていく感じがします。と兄弟が言っているのを見ていたら、

自分がよくわからないことばかりで

 

全然分かってなくてダメじゃないか、と思い始め、

無価値感と罪悪感が浮上し始めた。

 

どこか

はっきり答えがわかるから良い悪い、ではない。と

言われている感じがしたけれど、

 

源に戻れず、

どんどん罪悪感が大きくなっていった。

 

聞けない私。

だからダメなんだというけれど、

 

やっぱり聞こうとしていない気がする。

 

大きなこととや

感じたことなど、決断のこととか、、内面的なこと

 

それ以上に

どこに行きますか?とか

何をしたら良いですか?と

物事や具体的なことを一つ一つ尋ねていくことは苦手だ。

 

わからない。

だからダメだ、、と言って

逃げているような気がする。

 

怖い。

 

エコーの部分じゃなくて

源にチューニングすることが大切だ、というようなことを

けんたさんが言っていて、

ほっとしてリラックスした。

 

あと

かなえさんのイエスとの関係のやり方と、

私の場合は違うのかもしれないという思考が上がった。

 

自分で聖霊にチューニングすることから、

逃げている。

 

それを人のせいにしてるな。

 

 

この人間と世界の関係性ではなく、

一なる兄弟を信頼したい。

 

 

順子よ。

あの、

一つのところの決断はどうした?

 

また忘れてるよ。

 

思い出したい。

 

聖霊

兄弟全員がいるところ、

私はそこに留まりたいです。

 

 

今、掴んでいる。

 

もう一度。

今、手を離そう。

 

聖霊

私には何も分かりません。

何もできません。

 

あなたにすべてをお任せします。

 

どうかあなたがなさってください。