私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

聖霊に従っていく道(12)〜輪島撮影②

<輪島撮影②>

撮影初日。

自宅に自転車を取りに来てくれたのだが、

私の私生活に、真我なるハートのメンバーが一緒にいる光景。

ここにけんたさんやれいさんがいるのが本当に不思議だった。

 

のり子さんに感じたことを書くのに、抵抗がある。

 

金沢駅の撮影中に感じたこと。

のり子さんと私は

けんたさんとれいさんの撮影を待っていた。

 

のり子さんが

Davidの動画を見たりしているのを見て、

その時

撮影にあからさまに協力的じゃないように見えて、

のり子さん、なんなんだよ!

と怒りと悲しみを感じていた。

 

のり子さんとそれ以外のメンバーとの心に隔たりがあって、

一つになっていないように感じていた。

 

その時、

このまま自転車乗ってexpanionするのは、無理だ。。と思っていた。

緊張感と、あきらめ、怒り、

私がのり子さんをそうしてしまったような罪悪感を感じていた。

 

その夜に

けんたさんからのり子さんに今の気持ちを聞いてみたい、と打ち明けがあって、

そこから

のり子さんが思いを打ち明けていってくれた。

 

実はのり子さんから

その時ものすごい闇が上がっていた、

Davidの動画を見ることは、聖霊からのガイダンスだったと初めて聞いて、

自分は誤解していたと気付いた。

 

ただその場にいた。

 

ただ、のり子さんが見せてくれていた態度のように見えるもの、

嫌な感じ、怒り、罪悪感、相手を責めるような言動。

これにあまりにも身に覚えがありすぎた。

 

私だ。

私の愛と助けを求める声だ。

最初はのり子さんのせいにしていて、怒っていたが

でももう、だんだんそう感じずにはいられなかった。

 

違う。

のり子、じゃない。

受け入れたい!

 

4月合宿で、

聖霊があんなにも体験させて教えてくれて、見せてくれたじゃないか。

 

”のり子さん”の声じゃない。

私の、愛と助けを求める声なんだ!

受け入れたいんだ。

それを強く強く願っていた。

 

のり子さんにあまりにフォーカスをしていたので、

正直、他のことはほとんど思い出せない。

 

撮影も。

この時、

ラファエルが何か動揺していたのは覚えている。

 

そういう思いで、

けんたさんやのり子さんが打ち明けていくのを聞いていた。

この後、

私自身はただ受け入れたいという思いで

そこにいただけだったけれど、

 

私は初めて感じた癒しを体験した。

 

のり子さんが、

愛と助けを求める声をさらしていった。

そして、癒しが起こるのを

隣で感じた奇跡。

 

その時、私が経験したことはこちらの記事

金沢〜輪島1日目夜の奇跡 - 夢から目覚める

 

この時

闇が光にひっくり返ったような驚き、

感動、

幸せな思いが衝撃的で、

 

この輪島の旅で一番印象的で、

他のことがぶっとんでいる。

 

このために、ここにいた。

と思うくらい。

 

それ以降

撮影、映像を撮ること自体、

expanionは確かに感じたけれど、

 

この時感じたこと、

あまりに印象が強く、

これだよ。と思って、他のことを忘れようとしたのかもしれない。

 

本気で闇を打ち明けていって、

さらしていく姿。

 

こっちだよね。

カメラ向ける方向、こっちだよね。

 

そう思った。

 

映画という方便でここにいるけれども、

撮影をやっているけれども、

 

私はこの兄弟のexpress、exposeの場に導かれて、

癒しが起こり、奇跡を体験する。

しかも私自身ではなく

兄弟がそれをすることで自分が癒されるという体験。

 

そのためにここにいたのだと思った。

 

撮影自体も、

奇跡だと思うことがたくさんあった。

 

それだけじゃない。

全部が奇跡なのかもしれないね、、

と最終日にれいさんやけんたさんと話した時、

本当にそうだ、と感じた。

 

私はここばかりクローズアップしてしまう。

 

聖霊に全てを手配されているこの旅は、

奇跡の旅だったと思う。

 

全くいい感じばかりではない。

むしろ逆。

もう嫌。

早く帰りたい。全員でこうやって行動することが窮屈だと思っていたし、

このヤロー!

映画撮影やめて帰る。ふざけんなと兄弟に何度思ったかしれない。

 

怒り、憎しみが爆発。

それでも奇跡も見せられた。与えられた。

身をもって

プランAとはこういうことなんだ。

 

聖霊に従っていくと

全て手配されていくのだと

実際に経験から、

 

こういう風にやっていくんだよ。と

目の前で見せてくれた。

怖いと感じていた。

 

その場にいても、

まだ他人事だった。

 

こうやって、

自分自身が実際に、それをやっていくんだよ。

 

そう聖霊

ポンポンと目の前に置かれて、

導いてくれていた。

 

 

それでも、奇跡も見せられ、

このように導かれていきたい。と意志していた。

 

ラファエルやこの撮影に怒りが爆発した時のこと。

それは自転車の撮影の時。

 

夕方だったか、朝だったか、

ラファエルに次の日の朝に音声だけ撮ると言われた。 

 

その時から、

私の中で疑いの思いがどんどん上がってきて、

自転車が風で倒れたのをみて、

あ、これはイエスがストップと言っているんだ。とか、

いろんなストップのサインが現れている。と信じ込んでいた。

 

恐怖。恐れ、怒り。が沸き起こった。

 

そして、

expansionどころか

景色や自転車の撮影をこれ以上するのは

やめたほうがいいと思い始めた。

音声撮るだけなんて、そんなのガイダンスじゃない、とか。

 

ラファエルに、辞めるように言わなくては。と思い、

ラファエルに疑いを感じる。と言った。

 

私以外はexpansionを感じていたようだった。

 

でも私は不安と恐れと怒りを感じていたので、

そのように正直に言った。

 

ラファエルに対する知覚は、

みんなを間違った方に導く極悪人のように感じていた。

 

映画に対しても、

こんなの何なんだよ!と心で怒りをぶつけた。

 

次の日の朝まで、

私は自分が撮影に参加するかを決めると言った。

 

葛藤。拒絶。不安。外れたい。激しい怒り。

ふざけんな。

自分は被害者だ。くそ。

もう一度祈る。

 

結局、

私は聖霊に使ってもらいたいという祈りを思い出し、

そこから一筋の光が入ってきて、

やっぱり撮影に参加することにした。

 

その後撮影でexpansionを感じた。

最終日は全員一体で撮影していることが感じられて、

嬉しく幸せだった。

 

やはり私の幸せは

エス聖霊を信頼し従っていくこの道にしかない。