私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

聖霊に従っていく道⑦兄弟に光を見たい

<3月下旬>

かなえさんと会うようになって、

まさこさんにエクスプレスさせてもらいたいと思うことがあって、

自分から声をかけた。

 

その時の記事

正直でありたい - 夢から目覚める

 

これを12月の時は、言えなかった。

 

これを打ち明けたいと思うようになったのは、

 

間違いなく、

ここまでの聖霊の導きで

かなえさんやれいさんや兄弟とのコミュニケーションがあったからこそだった。

 

大丈夫なんだ、

愛されているんだ、と

私なりに受け取れていたからだと思う。

 

悲しくて仕方ない時があっても、

 

ものすごく悔しかったり、

大恥かいて、情けなさを感じた後に、

聖霊から癒しが訪れることを

 

頭が忘れようとしても

心で経験させてくれていたから。

 

それを受け取れるだけ、

受け取っていったから。

 

 

愛されている、と書くことに抵抗があるけれども。

 

うやむやにしたくないんだ。

打ち明けても、大丈夫だ。

 

そう思えたのは、

聖霊に少しずつ少しずつ、

 

ついていって、

教えてもらっていったからこそ、

 

大丈夫なんだ。と思えたからなんだと思う。

 

聖霊から与えられたこの体験から、

このように兄弟を見たい。と思うようになっていった。

 

それまで、

本当の兄弟を見たいと

全然口に出して言う気になれなかった。

 

勉強会で他の兄弟がそのように言うのを聞いても、

私は全くそうは思いません!とガンとしたものがあって、

 

嫌だ。

 

口にしたくなかった。

 

だから、

ありがたかった。

 

例え

本人を前にした訳ではなかったけれども、

 

祈りながら感じたことは、本当に本当だった。

 

あの記事の中で書いた、

 

あなたはもう赦されていますよ

という聖霊の声の響きに、大号泣した。

 

ああ、これが癒し、赦しなんだ。

 

私は赦されている。

兄弟ってその光なんだ。

 

キリストの顔っていうのか?

 

癒されていたい!

赦されていたい!

 

なら、その光、

兄弟に見たい!

 

そう思うのは自然なこと。

 

でも逆に、

 

相手が光だったんだーー〜と

いきなり光の体験が起きる!みたいなことを

 

期待していたんだと思う。

 

これは垣間見させてくれただけで、

 

そこに至るために

自分が何をしていかなければならないのかを

 

全く無視して

 

ただくれよ。と言っていただけだった。

 

今もそうかもしれない。

 

 

そうだ。

期待していた。

 

都合よく忘れて、

 

欲しいもん、くれよ。と。

 

 

それは今もある。

 

それでも

あれを見たい!見たいと祈っていた。

望み - 夢から目覚める

兄弟に光を見たい - 夢から目覚める

 

忘れてました。。

 

 

また逆方向に走りたくなる時、

 

私はこれをまた思い出せる。

 

垣間見させてくれただけじゃん、、ということは

 

聖霊から与えられた体験を、

あなたがくれた体験はこれっぽっちですか?と文句垂れている。

 

すぐ、浅い経験とか

大したことないとか言ったりする。

 

聖霊からのギフトを。

 

今も、

大したことないって思って否定したくなる。

 

自分にそんな価値ない。と言って、

受け取ることを認めず、

 

神に勝とうとしているから。

 

そんなの、もうやめようよ。

 

全く無駄だよ。

 

 

どんな小さなことに見えても、

導いてくれる。

 

 

 

あなたは愛されている。

 

 

あなたの願望は何ですか?

 

こうやって光を打ち明けることで

広がっていくのを感じてください。

 

それはあなたの元にある。

 

それがあなたです。