私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

金沢〜輪島1日目夜の奇跡

 

私にとって

金沢〜輪島の旅で一番の奇跡は、

 

 
1日目の夜、
 
 
 
のり子さんが正直に、
 
素直に思いを打ち明けてくださった後に起きた、癒しの体験だ。
 
 
 
 
 
4日間たくさん見た奇跡の中でも、
 
 
 
 
ここなんだよ!と
 
 
心が強く反応する。
 
 
 
 
 
この日の夜、
 
 
私はのり子さんが不機嫌というように知覚していて、
 
 
 
怖いと思っていた。
 
 
 
怒りも感じていた。
 
 
 
 
また、そうなったのは私のせいだと罪悪感も感じていた。
 
 
 
 
 
 
でも同時に、
 
 
私自身にものすごく身に覚えがあり、
 
 
 
のり子さんという別人が表しているように見えるけれども
 
 
 
まさに私の心の叫びだ、とも感じていた。
 
 
 
 
 
 
今まで先生として見ていたのり子さんが
 
 
 
不快な感情や態度をそのまま表してくれていたので、
 
 
 
 
それが自分自身の中にあるものだと認めざるを得なかった。
 
 
 
 
 
 
もはや先生としてではなく、
 
 
 
自分自身だと思っていた。
 
 
 
 
 
 
でも
 
それを完全に受け入れ、
 
 
 
正直に打ち明けることは難しいと感じていた。
  
 
 
 
 
 
 
お風呂から出ると
 
 
 
けんたさんがのり子さんに何を感じていたか聞いていて、
 
 
 
それにのり子さんが答えていたようだった。
 
 
 
 
 
のり子さんは実は今日
 
 
 
とてもとても深い闇が上がっていたとのことだった。
 
 
 
 
無価値感や恐れや悲しみ、怒り。
 
 
 
 
そうだったのか。。
 
 
 
気づかなかった。
 
 
 
 
 
のり子さんが正直に心の内を打ち明けてくれたので、
 
 
 
誤解が解けていったような感覚があった。
 
 
 
 
 
隣にいるけんたさんも
 
 
 
のり子さんに思ったことを打ち明けていた。
 
 
 
 
 
途中から、
 
 
 
私はのり子さんの隣に寄り添い、
 
 
 
 
 
手を握りながら、
 
 
 
のり子さんがゆっくりと打ち明けていくのを聞いていた。
 
 
 
 
 
のり子さんが
 
 
 
みんなのいる前で
 
 
 
 
ラファエルに
 
 
 
みんなのことを
 
 
愛と助けを求める声として見ているのと同じように
 
 
 
 
私を愛と助けを求める声として見て欲しい、
 
 
 
 
私にもそうして欲しい、と
 
 
 
 
泣きながら素直に思いを打ち明けているのを
 
 
聞いていた。
 
 
 
 
 
一体どうなるのだろうという思考が上がり、
 
 
 
恐れも感じたが、
 
 
 
 
 
私自身の思いを聞きながら
 
 
 
他の兄弟と一緒に見守っていた。
 
 
 
 
 
私がしたことは、それだけだった。
 
 
 
 
 
 
どこからか覚えていないけれど、
 
 
 
 
のり子さんが、
 
 
泣きながら何かが解けたような表情になっていった。
 
 
 
 
 
その時ののり子さんの顔は
 
 
とても美しく、無垢だった。
 
 
 
 
 
こんなにも愛されていていいんだね。と言っていた。
 
 
 
 
 
 
私の心の中から、
 
 
 
 
正直に打ち明けてくれて、とても嬉しい。
 
 
良かった!
 
 
本当にありがとう。ありがとう!
 
 
 
 
という思いが湧き上がってきて、
 
 
そのままのり子さんに伝えた。
 
 
 
 
本当に嬉しかった。。
 
 
 
 
 
苦しみや悲しみが
 
散って消え去っていくような、
 
 
 
 
溶け去っていくような、
 
 
 
 
解き放たれていくような感覚だった。
 
 
 
 
 
 
幸福感、安心感が
 
 
 
深く深く染み渡って広がっていく、
 
 
 
 
そんな感じだった。
 
 
 
 
 
とてもありがたくて、嬉しくて、幸せだった。
 
 
 
 
 
のり子さんが正直に、素直になってくれたことで
 
 
 
 
全ての人が
 
 
一緒に癒されていくような幸福感を感じていた。
 
 
 
 
 
奇跡だ。。
 
 
 
 
 
 
ありえないことだった。
 
 
 
 
頭で理解できなかった。
 
 
 
 
私自身は何もしていない。
 
 
 
 
なのに
 
私が幸せになって、癒されている。。
 
 
 
 
一体どういうことだろう。
 
 
 
 
 
 
闇を打ち明けたら、とんでもないことになる。
 
 
修羅場と化して終わると信じていたのに、
 
 
 
 
逆に癒しが起こっている!
 
 
 
 
 
しかも
 
私は隣にいただけなのに、
 
 
 
 
幸せを感じているとはどういうことだろう。。
 
 
 
 
 
 
自分が信じていたことの逆なんだ。
 
 
 
 
奇跡って。
 
 
 
 
 
 
ただ、幸せだった。
 
 
 
 
 
 
のり子さんが素直に打ち明けてくれたことに感謝しながら
 
 
 
 
嬉しくて幸せな気持ちで寝た。
 
 
 
 
 
ありがたかった。
 
 
 
 
 
 
何が起きたかわからなかったけれど、
 
 
 
 
 
ただ体験させてもらったことが
 
とてもありがたかった。
 
 
 
 
 
これを奇跡というのか。。
 
 
 
 
 
 
正直にいうと、
 
 
自分以外の人に癒しが起きて
 
 
 
ここまで私自身が癒されたことはなかったし、
 
 
 
 
こんなに嬉しくてありがたいと思ったことはなかった。
 
 
 
 
 
 
この時のことを思い出すと、
 
 
 
今でもその幸福感に心が満たされる。
 
 
 
 
 
 
深く深く、幸せが広がっていく。
 
 
 
 
 
 
心の奥から
 
 
ありがとうと湧いてくる。
 
 
 
 
 
 
尽きることのない感謝。
 
 
 
 
 
 
いつか消えてしまうのではないかという疑いがよぎるけれども、
 
 
 
 
 
それを今も衰えることなく感じられていることが、
 
 
 
奇跡だと思う。
 
 
 
 
 
 
後になって、のり子さんに
 
 
 
あの打ち明けの時、どういう思いで望んだかを聞いてみた。
 
 
 
 
 
腹を括っていた
 
 
と話してくれた。
 
 
 
 
 
覚悟、が必要なのだろう。
 
 
 
 
 
 
福井の夜、
 
絶対にどうにもならないレベルのレッスンがあり、
 
 
 
全員が完全にイエスにサレンダーした。
 
 
 
 
 
福井の翌朝、
 
莫大な癒し・奇跡があり、
 
 
 
伊根の舟屋のエクスパンションが起こった。
 
 
 
 
そして
のり子さんとラファエルの心が一つに溶ける
 
 
 
奇跡と癒しの体験があった。
 
 
 
 
 
もう一つ、
 
 
 
 
 
秋葉原ヨドバシカメラの地下駐車場で、
 
 
 
限界レベルの空腹なのに諸事情で、
 
 
 
そこではおいなりさんを食べられないと言われて
 
 
 
無価値感が強く上がり、
 
 
 
結果的に車の中のラファエルの膝の上で号泣したレッスンの話を
 
 
 
のり子さんがその後に話してくださった。
 
 
 
 
 
 
あの打ち明けの時、
 
 
 
 
のり子さんは
 
 
期待があるんだね、、と話していたと思う。
 
 
 
 
 
 
期待があることを
 
 
 
素直に認めて手放したのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
サレンダーしたのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
それをのり子さんが目の前で見せてくださったことで
 
 
 
受け取らせていただいた癒しの恩恵は、
 
 
 
 
 
私個人がわかるはずもないほどの大きな癒しだったと感じている。
 
 
 
 
 
 
そして
 
この癒しは
 
 
 
その時だけの、その場にいた人だけのものではなく、
 
 
 
 
 
今も
 
 
全ての私へ
 
 
広がっていっているように感じている。
 
 
 
 
 
 
のり子さん
 
 
ありがとうございます。
 
 
 
 
 
ラファエル
 
けんたさん
 
れいさん
 
 
ありがとうございます。
 
 
 
 
 
 
奇跡を見せていただいてありがとうございます。
 
 
 
 
 
 
(この奇跡をシェアするにあたり、
のり子さんに確認させていただき、了承を得ました。
 
 
またブログに載せるにあたり、
ご自身の福井や秋葉原での体験を、
要約した文章にして改めて教えていただきました。
 
 
のり子さん、本当にありがとうございます。)
 
 
私に癒しが起こったのは、
兄弟を自分として迎え入れたからだった。
それを教えてくださったのり子さんの体験記事↓
 
 
。。。。。。
 
この記事を書いた後、
のり子さんに送ったメッセンジャーより


のり子さん
先ほど、ブログにこの奇跡の記事をUPさせていただきました。
ここまでのアドバイス等、色々ありがとうございました。
 
 
これは順子個人が体験したことではない
という感覚があって
 
書き始めましたが、
 

私は隣で見ていただけなのに、

実際にサレンダーされたのり子さんのことを
自分のブログに書かせていただいて良いのだろうか、、という迷いもありました。
 

しかし今回、
 
順子目線から見て
のり子さんから受け取ったことを
 
みんなという私に伝えることが
ファンクションだったと思います。
 
 
そしてこれをやっていくのだ、と逃げ腰な自分に教えています。
 
 
 
聖霊にチューニングしながら、

スペース・句読点の一つ一つが読み手に伝わるように

何度も読み直し、

ここまで丁寧に書いたのは初めてでした。
 
 
 
自分のブログを書く目的が全く違うからだと思います。
 
 
 
映画撮影のカメラのレンズの
小さな小さな部品が一つないだけで、撮影が中止になってしまうことがある

という話をのり子さんから聞いたことを思い出しました。

 
 
私は常に聖霊から外れていますが、
 
そのような微妙さにもチューニングしていき、
 
 
聖霊になさしめていただくために
 
かなり訓練していく必要がある、、と痛感しました。
 
 
このような貴重な機会を与えていただいて
ありがとうございました。
 
 
そして
のり子さんが先に体験して見せていただいたことを
やっていく腹括りをしたいと思います。
 
 
 
 
もう一つ感じていることですが、
 
この記事を書かせていただいて
 
 
のり子さんは
私たちに与えに与えっぱなしである、、
 
 
ということに
 
ようやく気づき始めました。。
 
 
 
本当に
ありがとうございます。
 
 
。。。。。