私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

誰の何のための合宿か?

勉強会の映像を

さっき見終えた。

 

3月の合宿の、

ラファエルへの感謝のメールを誰も送っていない、という話を聞いた。

 

けんたさんも

ブログで気づきを書いていたが、

 

 

わたしは

 

あ、、

 

 

自分が癒されることだけしか

考えていないでしょ?と言われた感じがした。

 

その通りです。

 

 

えばちゃんが

GOD ISで感想を書いて、

愛と感謝を延長しているのに対し、

 

自分はそんな考えすら思い浮かばなったし、

 

 

それを見た時、

自分も書こうとなど思いも浮かばなかった。

 

 

自分がブログで書いた感想も、

読み手のことを考えて書いていない。

 

 

 

合宿で起ったようなことを

 

エクスプレスとか、

 

ああいうようなことを

ドキュメンタリーのように

 

ラファエル(聖霊)は

映画で撮りたかったのではないか、と

 

 

後になってふと感じた。

 

 

しかし

のり子さんやれいさんが

 

神の鉛筆となり

 

スマホカメラで撮っているのを見て、

 

わたしはやらないよ、、と思っていたし、

 

今も思っている。

 

 

 

合宿前にラファエルが、

のり子のリトリートでしょ?と言って、

 

のり子さんが

そんなこと一度も思ったことないよ。と言ったという話を聞いた時、

 

え〜?

本当に?

 

嘘だろう?と思った。

 

 

3月合宿は

ラファエルがそこにいてくれたからこそ、

大きな癒しが自分やみんなに起こったという思考があった。

 

 

この順子という設定では、

 

生真面目な日本人には、

ああいう深刻さのないところから言ってくれる

 

コースを実践的で学んで経験している外国人、という設定の人が

必要なのではないか、と

 

Davidさんが東京セミナーに来たときに強く感じ、

 

今もそう信じている。

 

セミナー後に

たくさん笑ったことを思い出した。

 

 

 

日本人という設定の人では、なし得なかった、って思ってる。

 

 

どこの国の人か?というより

神の道具に徹したい。という意志と決断をしているから、

なのだろうけれども、

 

どうにも

認めたくない。

 

 

で、

それを言ってしまうと、

 

今までやってきたのり子さんに怒られる、

悪いし、

 

という罪悪感があった。

 

のり子さんを否定したいと思っていることが

バレたら怖い。

 

 

だからと言って

今までのようにいつもの日本人だけでやったら

ああはならなかったよ、、って思っている。

 

 

のり子さんの

わたしの合宿だと思ったことはない。という話を聞いて、

 

 

一番に思ったのは、

 

本当に?

 

本当は思ってるでしょ?という

疑いと攻撃的な思い。

 

 

のり子さんのせいにしたかったけど、

 

わたしが

自分だけが癒されるための

自分のためだけの合宿って思ってるし、

 

 

全てが聖霊の手配と計画なんだ、って

思えてない。

 

わたしが正しい、と。

 

 

神がなさってくださった、って

心底思えてない。

 

 

合宿にかかわらず、

 

 

いつもいつも、

わたしだけが癒されたい、

わたしさえ良ければいい。

 

そう思っている。

 

 

そうか、

 

 

わたし、そう思っています。

 

 

これを正直に認めよう。

 

 

感じているのは

明らかに神の平安じゃない。

 

 

聖霊に捧げます。

 

 

I am willing to be wrong.

 

間違っていることを望みます。

 

 

助けてください。