私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

正直でありたい

三崎口での最終日。

29日の最後の料理の準備の時に、

 

後15分で準備しなければならない、という時に、

私は料理の準備に協力せず、

 

自分のシェアをどうしてもしたい。

させろよ、くらいに思っていた。

 

そして反発する気持ちがあって、

料理の準備に協力して欲しい。と言ってきたまさこさんやかなえさんに、

 

歯向かうような気持ちがあって、

そのまま他の人とシェアを続けてしまった。

 

撮影なんだから、

準備が最優先。

 

全員で一致して取りかからなければならない。

 

当然だ。

 

 

のに、

従わなければならないことに怒りが湧き上がってきて

 

素直に聞けなかった。

 

折れたくなかったけれど、

素直に手伝う感じではなかった。

 

それは相手に伝わっていただろうな。

 

そして

相手が怒っているのもわかったし、

 

それが怖かった。

 

 

だから

帰りの電車で、

表面的なことだけれども、

 

あの時私は怒っていた。

 

最優先しなければならなかったのは当然だから、あなたは正しい。

 

私が間違っていた。と話した。

 

だけど

どこか、

私が正しいのよ。

間違っているのはあなたよと思っていて、

 

譲りたくない、という何か噛んでいる感じで

言い訳しているように感じた。

 

本当に

心の底からは

 

ごめんなさい。

実は怒られて怖かった。とか言えなかった。

 

 

それでも、

黙っているのは嫌だったので、

 

1月の勉強会では

表面的にしかシェアできなかったけれども、

 

その時できる限りで

シェアした。

 

 

でも遠回しにしか

心の内を打ち明けられなかったと思う。

 

 

ようやく3月の今になって、

 

 

ああ、

まさこさんに、

 

今なら、

もっと正直に

本人と向き合って、打ち明けられるかもしれない。

 

と思った。

 

 

想像してみた。

 

 

あの、、と話そうとする。

 

 

まさこさんはただ立っていた。

 

 

光に包まれているようだった。

 

 

 

「私はあなたをもう赦していますよ。」

 

 

口で言う声ではなく、心の声が伝わってくる。

 

 

 

私が何度も謝ろうとしたり、

 

 

あの時はごめんねとか

誤魔化したとか

怒っていたとか

正直に打ち明けようとすると、

 

 

何度も

「私はあなたを赦していますよ。」

 

心が伝わってくる。

 

 

一人で泣いて、

これをブログで書いて終わりにしようとしていた。

 

 

本人に打ち明ける、という感じがした。

 

 

自己概念がなくなる感じがした。

嫌だ、とか

別に行動しなくてもいいのでは、とも思った。

 

でも、

もう自分の感じていることを

ごまかしたり、蓋をしたままにしておきたくない。

 

泣き叫んでいる私を

見捨てたくない。

 

まさこさんに声をかけ、

打ち明けてみることを実際にしてみた。

 

 

泣き叫んでいる私に

優しくしていきたいね。

 

 

一緒にそう思えてよかった。

 

 

まさこさん、ありがとう。

 

 

 

兄弟を信頼して、

勇気を出して声を出してみてよかったと思った。

 

 

 

次に感じているのは、

母に正直に素直に打ち明けてみること。