私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

神の子smile

仕事をしている時のこと。

 

担当の機械が動いていなくて、

あるキャラクターの

チョコレートから柄を外す作業をしていた。

 

ずっと立ち仕事だし、

 

ああ、またこの作業か。

早く終わらないかな。

くらいにしか思ったことがなかった。

 

 

淡々とやっていたら

 

聖霊

 

「神の子たちの笑顔の象徴だね〜」と言って微笑んだ。

 

 

ハッとした。

 

 

そのチョコレートは、

キャラクターが笑っている顔の形をしていて、

 

たくさんたくさん、

200個くらい?

いっぱいその顔が箱に入っていた。

 

 

神の子たちの笑顔。。

 

 

 

そう聖霊に言われるまで、

 

そんなことを思いもつかなかった。

 

 

ただ、

淡々と無機質に、

ああ、これか、くらいにしか思えなかった。

 

そのキャラクターを、可愛らしい、愛らしい、なんて見たことなかった。

 

 

だけれど

聖霊の眼差しは

 

とてもとても

愛おしく、

慈しみをもって、

 

箱の中のたくさんの笑顔を見て、

 

包み込んで

微笑んで愛している眼差しだった。

 

 

 

すごくびっくりした。

 

ああ、私たちをこういう眼差しで見てくれているんだ。

 

 

ずっとこういう目で見ているんだ。

 

 

一瞬だったけど、

とても嬉しかった。

 

 

これをブログに書こうという思いはなかった。

 

 

だけど

 

このことをブログに書くといいみたいだよ、

とれいさんに会った時、教えてもらった。 

 

 

それを聞いた時、

一番に感じたことは

 

それは聞き入れたくない。

 

負けたくない。

 

 

だから、

それには触れずに、隠し、

 

へーそうなんだ。と流し、

 

じゃあ書いてみようかな。と軽く返事をした。

 

 

その日は、

 

今思うと

わたしが

いかに自分がインスピレーションを受け取って

それに従ってきたかをたくさん話していて、

 

自分の手柄にし、喜んでひけらかす、ということをしていたと思う。

 

 

本当は、その場で、

 

「受け入れたくないと思っています。

 

素直にはいと受け入れて、

やることが悔しい。

 

素直に認めたくない。」

 

と思っています、とれいさん本人の前で言うべきだったかもしれない。

 

だけどその時、

本心を打ち明けようという考えさえ、浮かばなかった。

 

いーーえ!結構です。

と頑なに

 

受け入れません。と思っている。

 

と負けたくないことを

隠しておきたかった。

 

 

私は、インスピレーションがわからない、と言って

相手に頼ってきたなんて言いつつ、

 

実は、

 

目の前の相手からは受け取りません。

 

私は自分で受け取れるようになればいいんだ!と思っていたんだ。

 

兄弟には頼らない。と。

 

 

その日はたくさん

聖霊が導いてくれていることを見せてくれた。

 

だけど、

 

一物を隠したまま、

都合のいいところしか見ていなかった。

 

 

れいさんの口からは、

兄弟の口からは、聖霊のこととしては聞きたくない、と

思っていたけれど、

 

何日かたった今、

同じことをインスピレーションとして受け取っていた。

 

ああ、

 

兄弟の口から聞いたことはインスピレーションじゃないと決めつけて、

受け入れる気がなかったんだ。

 

自分がこうに違いない。

聖霊のガイダンスとはこうに違いない。とも決めつけていた。

 

実は、もう

たくさん受け取っているんだ。

 

 

ブログに書くということは

れいさんの口から聞いたけど、

それはガイダンスじゃないかもしれない。と一旦脇に寄せていた。

 

そのこと書くこと自体にも

うっすら抵抗を感じていた。

 

いや、激しく抵抗していた。

 

嫌だった。

 

 

だけど、

気になる。

 

 

そして、

どんな顔だったかな、、とノートにそのキャラクターの笑顔を書いてみた。

 

 

罪悪感を感じ始め、

 

そのキャラの書いた満面の笑顔を見た時、

 

涙が溢れて仕方なかった。

 

 

神の子たちのたくさんの笑顔、、、。

 

 

聖霊の慈しみ。

 

 

泣きながら思った。

 

ああ、

やっぱり、これはガイダンスだったんだ。。

 

カメラファンクションの時と同じ。

 

 

ああ、れいさんの口から

聖霊が、

神が教えてくれていたんだ。

 

とても屈辱的で、負けた感じがした。

 

でも、

何か崩れ去った。

 

 

「わたし」の思い通りにならないなら聞かない。

受け取りたいところからしか、受け取りません。

 

自分の都合のいいようにしか、従いません。と言っていたんだ。

 

 

なんか、とんでもなく

神の管になるということを間違えていた。

 

自分を保とうとしながら、そう言っていたのか。

 

 

 

聖霊に開いていたい。

 

自分が気に入らない、

認めたくない、

方法であっても。

 

受け入れたい。と

意欲を差し出したい。

 

 

まさか、それがガイダンス?ということもあるんだ。

 

自分があると耳に全く入らないんだ。

 

 

 

私には、

聖霊

あなたの慈しみと愛が必要です。

 

愛と助けを求めるものとして

ハエを見つめる、

愛と慈しみをもったまなざし、

 

神の子の笑顔としてみるまなざし、

 

大したことない小さな気づきで、

こんなシェアをしたらみんなに責められると思っていると、

 

それがシェアできてよかったね。と言ってくれる

聖霊の愛、慈しみ。

 

導き。

 

 

私には

愛と慈しみが本当に必要です。

 

あなたに助けてもらいたいです。

 

そして、それを受け入れたいです。

 

 

自分の都合のいい時だけでなく、

 

それをいつでも、どこでも

誰の前でも

何をしていても、

 

そう在ることが

 

素直である

パイプであるということなのかもしれない。

 

 

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