私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

ユタ報告シェア会から〜inspirationについて

※下書きに保存していた、

昨年ユタから帰って間もなく、怒りや抵抗が大爆発した時のこと。

今振り返ってみて、自分自身に隠したくないので、

1年後の今になったけど、晒します。

 

 

14日に

怒りが爆発し、悲しみと裏切られたという感情で

ギューっと自分の心を締め付けられて圧縮してしまっていた。

 

なんだか暗いところに

ボーンと蹴落とされたように感じていた。

 

私は全てを全否定することにしました。みたいに決め込んで、

 

神の愛のあれもこれも、嘘だったのかよ。。

と思い、悲しみに暮れていた。

 

今日(26日)の今日まで

ずっと抱え込んでいたけれど、

 

勉強会の隠さずにいることが大切だという

音声を聞いて、思い出せる分だけ少しずつ書いていこうと思った。

 

 

きっかけは、inspirationについて。

 

私はあまり、inspirationというのがはっきりと具体的にはわからない。

 

最後の最後まで、わからない。ということにしてしまう。

 

しかし、なんとなく感じる。ということはあったので、

早めに誰かがはっきりわかることを言ってくれることはありがたいなと思っている。

 

私の中に起きた、インスピレーションではなかったが、

ある人の口から聞く。ということがあった。

 

しかし、

自分の中ではピンとこない。

 

私のパターンだと、

周りの人から、それを聞くことが多かった。

 

ユタに行くというのも

mighty companionから助けられ、

コーヒーショップで「申し込み」と見知らぬお客さんが誰かと喋っている口から

ふと聞こえてきて、

 

ああそうなのかな?と思い、

mighty companionに手伝ってもらって

ようやくその場で申し込みをした。

 

人の口から聞いて、ああ、聖霊からかもしれない。とようやくそうかも?と思い始め、

それでもまだわからない時もある。

 

今回はその話を聞いて、

その場でその後、3〜4人の外国のmighty companionの口からそれらしきことが耳に入ってきた。

 

聖霊の支配する場で、ボランティアスタッフやティーチャーをやっている人たちだったので、

全く信用しないのだけど、そうなのかもしれないと思わざるを得なかった。

 

全くその本当の意味がわからないので、喜んでいたと思う。

 

あとなんだか、聖霊に気にかけられて嬉しいような、

ああこうやって私がわからなくても大丈夫なんだ。

兄弟を通して安心して導かれているんだ、と感じていた。

 

そうしていたところに、

シェア会でその話を出したら、

ああ否定されてしまった。と思ってしまった。

 

↓J子宇宙の中での話。

 

実はその場で言いたかった。

というか、言えばよかったのだけど、言えなかったし、言いたくなかった。

 

怒りを表現する場ではないと思った。

 

 

今日の今日まで、

起こっていないことを信じ込むことにしていた。

 

まず、

インスピレーションがわからない人間にとって、話してくれることがとてもありがたいので、教えて欲しいな、と思っていた。

 

だから、それを言わないのは

出し惜しみしていると感じた。

 

あと、

例に出して話してくれた人のことを、

私は大変なことをしてしまったようには全く感じなかった。

 

そのあとに、

「間違ったっていいんだ。」と言った人がいた。

 

ならば、

 

それは間違いではない。

 

 

何かを感じていて、

それを聞いて、いろんな兄弟の口から聞いて、ああそうだったんだ、やっぱり。と

確認する私のパターンを否定されたんだ。

 

ああ、そうか。

 

内容のことじゃないんだ。

 

今まで、

聖霊に導かれたことの全てを全否定された!

 

と思ってしまった。

 

起こっていないのだろうけど、

ユタまで行っておきながら、

 

今まで全部嘘だったっていうのかよ。と。

 

否定しやがってと

怒りが大噴出し出して、

 

その後、

あれだけ信じていたのに、裏切られたという悲しみや

 

もう信じられない。と

固い固い鉛をハートに埋め込み、

 

二度と開きたくありません。みたいになって

 

facebookのイイねも本当にイイねなんて、思ってねえよ。と思いながら、

イイねボタンを押す。ような

 

全くハートを開ききれない

信用できない。

悲しい。

 

みんな勝手に頑張ってね。

 

私は一人でやるから。

 

 

 

ジャーナリング聖霊の言葉も心に浮かんで来ないし、やる気もしない。

 

 

このパターンはいつものパターンで、

 

4月のリトリートに参加するしないの時、

ユタに行く行かないの時も

 

このパターンだ。

 

壁を作り、

私は愛されないということにする。

 

人のせいにする。

 

 

自分の中の光、

inspirationを塞いでいるのは

 

自分だ。

 

それを恐れているのはだれでもなく、

わたしだ。

 

でも、

被害者意識

被害者妄想を止められなかった。

 

その後のメッセンジャーのやりとりも

スルーし、

何か上昇しているような雰囲気に逆らって、

 

もう離れようかな。と思い出した。